取材中に泣いた4人のスターたち #4

★ジェーン・フォンダ

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母と自分たち兄妹を捨てて若い女に走った父ジョン・ヴォイトを今も許さないアンジェリーナ・ジョリーのように、ジェーン・フォンダは、浮気をして母を投身自殺に追いやった父ヘンリー・フォンダとずっと没交渉だった。でも父の最晩年の『黄昏』(’81)では共演を果たし、こんな忘れ得ぬエピソードも教えてくれた。

「死の床で、もう意識もない父の脚を私はずっとさすり続けたの。でも、父はピクリともしなかった。どのくらいさすっていたか覚えていないけど、もう諦めて病室を出ようとしたら・・・・・・か細い声が聞こえてきたのよ。『行かないでくれ』って」。震える声で流れる涙もかまわず語り続けるジェーンの姿に、話を聞いていたこちらもただ涙、涙。父親を亡くしたばかりの担当編集の女性も大泣きのインタビューになってしまった。『グランドフィナーレ』で久々に姿を見せたジェーン。父ヘンリーとの和解は何よりだったろう。

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★ダスティン・ホフマン

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インタビューの場にいた全員が泣いてしまったのはダスティン・ホフマンの時も。これから芽が出ようとしていた頃に大火傷を負い、数カ月間の入院を体験して「こういうことは誰にも起こり得ると悟ったよ」と、今も残る腕の火傷を見せてくれたダスティンは、ハリウッドスターというかアメリカ人には珍しく「広島、長崎の原爆は全面的にアメリカが悪い」とキッパリ。原爆を「さらなる犠牲者を増やさないためのもの」と肯定する大方の意見を「バカげているよ、あんなの」と言う。「スペインでピカソのゲルニカの絵を見たときに気づいたんだ。爆撃は、いや戦争は直接戦っている人間だけでなく、彼らの親も子どもも未来の孫も殺せ! 皆殺しにしろ!!  というものだ、と。善い戦争なんて、絶対にない。爆弾を落とされれば皆業火に焼かれ、苦しみ抜いて死んでいく。ゲルニカ、広島、長崎・・・・・・いったい、どこまで人は愚かなんだろう!?  僕はそんなのに加担したくないよ!」

涙だけでなく鼻水が流れるのも気にしない姿が印象的だった。

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★ジュリエット・ルイス

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こちらが「あなたは演じる役柄もあって、常にエキセントリックと誤解されて辛かったのでは?」と聞いた途端、奥目が涙でいっぱいになったのはジュリエット・ルイス。

「役はいいの。『ギルバート・グレイプ』(’93)で共演して親友になったレオナルド・ディカプリオとも、『10代でスコセッシ監督やロバート・デ・ニーロと仕事できた幸運を無駄にしないようにしなきゃね』と話してたし。でも、素の私もそうだと受け取られるのは傷ついたわ」。それもあってか、一時ドラッグやアルコールに溺れたことも。

「でもちっちゃな姪っ子に『ジュリエットおばちゃんって言われて懐かれるうちに、何かが変わったわ(笑)』」。インタビューの終わりかけには「なんだか今日はとっても歌いたい気分」と、突然ジャズナンバーを歌ってくれたジュリエット。まさに、今泣いたナントカが、だった。

★ヴァレリア・ブルーニ・テデスキ

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パリ16区のアパルトマンでヴァレリア・ブルーニ・テデスキにインタビューしていたら、突然電話がかかってきて、イタリアのおばちゃんみたいな大声で何やら叫んでいる。

「妹からだったわ。『街に出たから何か買ってきてほしいものはないか?』だって(笑)」

そう、実妹のカーラ・ブルーニ共々、元はイタリア・トリノの大富豪の娘。が、イタリアの誘拐ビジネスを恐れた両親は、家族ぐるみでフランスに移住したという。友人の吉武美智子さんからその話は聞いていたが、あえてヴァレリアの前では話題にしなかった。次に会ったときに自ら明かしてくれたが「あなたから言われない限りは、聞くつもりはなかった」と伝えると「ありがとう! あなたのその心遣い、本当にうれしいわ。というのは、メディアに根堀り葉堀り聞かれ、人々の好奇の目にさらされて、おかしくなりそうだったから。冗談じゃ済まないこと、なぜ分かってくれないの!?って」。

元々かすれた声のヴァレリアの嗚咽に近い声。冗談話にしていいはずはないだろう。

ジャーナリスト佐藤友紀プロフィール画像
ジャーナリスト佐藤友紀

映画や舞台、ダンスに造詣が深く、独自の視点で鋭く切り込むインタビューに定評が。ジョニー・デップから指名されることも多々。