私が見たものを撮る。写真はひとつの創作物

石内 ヒロシマもフリーダもそうですが、肉体は滅んでもモノたちはそれ以上に長く存在します。その人が本当に愛していたモノたちは、非常に個的で、本来なら所有者がいなくなったらモノも消滅していいはずなのに、ずっと残る。不思議です。なぜかと考えたときに、ひとつの表現という意味で、彼女が身につけていたものは彼女そのものだと思いました。肉体がなくなってもモノがこれだけ残っているのは、フリーダがまだいるということです。

朝吹 石内さんが遺品を撮影している映像(ドキュメンタリー映画『フリーダ・カーロの遺品――石内都、織るように』)を見て、石内さんが撮ることによって、肉体を持っていた人はすでにいないけれど、ある意味肉体よりもその人であるものを発見している瞬間に、こちらも立ち会えている感動があったんです。薬の錠剤やガラス瓶が透明な光にさらされた写真を見ることで、フリーダ・カーロという画家ではなく、日常を生きていたひとりの女性と出会えている喜びが感じられました。

石内 それは写真の強さ。写真というのは真実は撮れないけれど、ある種の創作というか作り上げるものでもあります。だから遺品たちは私が見るとこう見える、というだけなの。『ひろしま』も「こんなにきれいなの?」と、たくさん批判されたけれど、私が見えたものを撮っているだけです。私は記録写真や反戦平和の写真を撮っているわけではなくて、フィルムに写し撮って、プリントして、大きく引き伸ばした、ひとつの創作としての写真をみなさんにお見せしている。フリーダの遺品も私の写真どおりではありません。


© Ito Kaori
生家である「青い家」、現フリーダ・カーロ博物館で撮影する石内。

私のひろしま。私のフリーダ

石内 『ひろしま』は、どういうわけか私に依頼が来て撮り始めました。フリーダもそうです。先方から頼まれた仕事として始めましたが、だんだん私物化していきました。ヒロシマを私物化するなんて、本当にひどいことよね(笑)。でもそうやって自分のものにしなくては表現できないんです。フリーダも私のフリーダに、ヒロシマも私のひろしまにしてしまう。フリーダの遺品を撮りに行く前に関連本を全部読んだけれど、結局自分の目で見て、遺品たちと出会って、自分で解釈して、私のフリーダはできあがったわけです。

朝吹 少し話はそれますが、私は古語が好きで、古語にはたくさんの唇の痕跡みたいなものを感じるんです。これまで生きて死んでいった匿名の人たちの声の重なりを、今生きている私が聞いて、誰かに会っているような気がする瞬間があります。それでこれまで生きてきた多くの唇が発するざわざわしたものが、小説の背後に聞こえたらいいなと思って書いています。

石内 『流跡』はそんな感じの小説でした。面白かったですよ。若い女っぽくなくて(笑)。それがよかった。私は書くのは苦手。写真があるから書けるの。写真がないと文字が出てこない。


「ひろしま #17」ⓒ Ishiuchi Miyako
「ひろしま #17」2007。小さな花のプリントが愛らしい。「私は遺品の全体像より細部の在り方のほうに興味があり、洋服の縫い目や裂け目に視線がいってしまう」と石内は書いている。(『写真関係』より)


「From ひろしま #9F」Donor:Oi, M.ⓒIshiuchi Miyako
「From ひろしま #9F」Donor.Oi, M.2014。ロングワンピースは、ウエストから下にたっぷりとギャザーが寄せられた贅沢なデザイン


「From ひろしま #59F」Donor:Watanabe, S.ⓒIshiuchi Miyako
「From ひろしま #59F」Donor.Watanabe, S.2007。現在も「ひろしま」シリーズの撮影は続いている

石内 都:写真家。1947年群馬県桐生市生まれ、横須賀市育ち。1979年第4回木村伊兵衛賞受賞。2008年写真集『ひろしま』(集英社)、2013年写真集『Frida by Ishiuchi』(RM、メキシコ)を発表。2014年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。

朝吹真理子:作家。1984年東京都生まれ。2009年『流跡』(新潮文庫)でデビュー。2010年に同作で第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少受賞。2011年『きことわ』(新潮文庫)で第144回芥川賞を受賞。現在『新潮』で「TIMELESS」を連載中。

SPUR2016年9月号掲載
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