Willem Dafoe/ウィレム・デフォー

Willem Dafoe/ウィレム・デフォー

1955年アメリカ生まれ。NY拠点の前衛劇団ウースターグループで活動後、映画界へ。『ストリート・オブ・ファイヤー』(’84)のストリートギャング、『プラトーン』(’86)のベトナム戦争従軍兵、『最後の誘惑』(’88)のキリスト等、役の幅は広く、活躍の場もハリウッドにとどまらない、アカデミー賞助演男優賞にも3度ノミネートされている名優だ。

©Walk Home Productions LLC 2018
©Walk Home Productions LLC 2018

『永遠の門 ゴッホの見た未来』

ゴッホは本当に自分の腹部を自分で撃ったのか!? まるでミステリー小説のようなアルルでの日々を丁寧に追いながら、「けっして彼はかわいそうな人間ではなかった」という未来を見つめる新しい視点で「芸術とは何か?」を問う壮大な物語。風のささやき、光の様子など、自身画家であるJ・シュナーベル監督の手腕が冴える。W・デフォーも文句なしの好演。

30 minutes with ♥ Willem Dafoe

何かを創り出そうとする人間の苦悩は痛いほどわかる

成功したからと言って、同じことをやるのは腐敗だよ

 「アハハハ、それはあり得ないよ!」 スクリーンでおなじみの低いトーンの声でウィレム・デフォーが笑い飛ばしたのは、「俳優は同じような役ばかり演じていたら腐敗してしまう」という言葉に対して、当方が「それはよかった。あなたが(『スパイダーマン』の悪役)『人喰い怪物ゴブリン』(’10)とかに出演しなくって」と冗談を言ったときの反応だ。

 改めて触れるまでもなく、デフォーの俳優としての幅の広さはものすごいものがある。磔刑に処されるキリストを演じたと思えば希代の極悪人を楽しそうに演じ、オールヌードで夫婦の崩壊する姿を描いた『アンチクライスト』(’09)のようなハリウッドでは絶対に作れない難作にも挑戦し続けている。

「そういう意味で言えば、僕が画家ゴッホを演じた『永遠の門 ゴッホの見た未来』も、単なるゴッホの伝記物ではないんだ。確かにゴッホという人物の、特にアルルで暮らした晩年の日々の側面を借りて物語構成はしているけれど、描きたかったのは“芸術とは何か? 芸術家とはどういう人間なのか?”もっと言えば、人間は何のために何かを“創造するのか?”という根源的な問いかけ。往々にして僕らはゴッホのような、生前ちゃんと評価されなかった芸術家に対して、“かわいそうに”とか“惨めだ”といった感情を抱いてしまうけど、物を創造するのはそんなレベルをはるかに超えている。もっと純粋な思いから生まれる行為で、それは僕のような役者であっても同じなんだ。だから、ゴッホの抱える葛藤は容易に理解できたし、自分のそれとパラレルだなと感じたよ」

「芸術とは何だ!?」という深遠な問いかけを見事に表すのは、聖職者に扮したマッツ・ミケルセンとの緊迫したやりとりのシーン。ふたりの名優が圧倒的に画面を支配する贅沢さは、映画ならではの醍醐味と言えるだろう。

「ゴッホの生涯をなぞるわけではないとは言っても、演じるにあたってはあらゆる文献を調べたし、何冊もの本も読んだし、監督の(画家でもある)ジュリアン・シュナーベルから絵の描き方を徹底的に教えてもらったよ。そうした過程でも、彼における絵を描くことと、俳優としての自分が頭ではなく体で何かを表現するってことが、やはり共通なんだと気がついた。映画の中でゴッホがシェイクスピアの『リチャード3世』を読んでいるシーンがあるが、いろいろ調べていくうちに、彼なら何の不思議もない、と。本当に『リチャード3世』だったかどうかは別としてね(笑)」

日本に憧れたゴッホと同じように能に出合い芸に取り入れた 

 映画には、ゴッホが滞在するアルルにやってきた友人の画家ゴーギャンが、「一緒にマダガスカルに行こう!」と誘うと、「僕は日本に行きたい」と返す、私たち日本人にとってはうれしいシーンがある。浮世絵を通して日本に慣れたゴッホらしい台詞だ。

「でも彼の自然に対する思い、自然とのつながり方、物の見方、精神の在りようは確かに東に向いていたんじゃないかな。京都に住んでいた旅行作家で、日本人の奥さんと暮らすピコ・アイヤーという人物がいるんだけど、彼の書いた『A Beginner’s Guide to Japan: Observations and Provocations』という皮肉なタイトルの本にはダライ・ラマについての言及があり、“ダライ・ラマが説話をするとき、西側社会では意識についての話では皆寝てしまうのだ。心理(学)の話になるとムクッと起きる。逆に、東側では、心理(学)の話には興味がなく、意識について語ると皆聞き入る”と。明らかに僕はひとりの演じ手として、意識というものの価値を、そして意味の大切さというのも、もちろん感じている。ある意味、芸のフォルムに自分の身を委ねるということも考えている。自分自身も自然の一部だと捉えるゴッホにも通じるよね」

 そう言えば、以前デフォーにインタビューしたとき、「なぜか息子が日本文化に興味を持ち、日本語も習っている」と教えてくれたことを思い出した。

 「息子だけでなく、僕も初来日で見た能に衝撃を受けて、能用の衣装の布地をけっこう買い求め、(当時所属していた)前衛劇団ウースターグループの舞台で使ったよ(笑)。そんなところも何となくゴッホとつながっているかもしれないな」

 昨年のベネチア国際映画祭で初上映され、見事男優賞を受賞した間違いなく彼の代表作のひとつとなるだろう『永遠の門』のPRでいくつもの取材を受けるうちに、次第に辟易としてきた質問があるという。それは「63歳のあなたが、よく37歳のゴッホを演じ切りましたね」というもの。質問者は「若いですね」とでもいう意味の褒め言葉のつもりだったのだろうか。

「僕は今でも自分は22歳ぐらいのつもりでいるから、この手の質問が続くとさすがにイラッとしてしまう。シェイクスピアの『テンペスト』の主人公プロスペローを演じてみたら?とすすめられても、確かにあれはいい役だけど僕はまだ若すぎると思っているくらいだからね(笑)。本当のことを言うと、37歳のゴッホはすでに若くはなかった。あの時代の平均寿命は47歳ぐらいだったというし、画家になる前に彼はいろんなことを経験していて、教師やソーシャルワーカー、聖職に就こうとしたこともあり、弟テオのために働こうともしていた。つまりさまざまな人生経験をしてきたんだよ。それでいて、アルル時代はものすごい数の絵を描いている。描くことイコール生きることで、そんな彼の生を探求するうちに、僕自身の生を投影できると感じたんだ」

 ポール・ゴーギャン役のオスカー・アイザックが、『スター・ウォーズ』シリーズの撮影のせいで、現場に合流するのが遅れたことを気づかった上で、「でも僕らはみんなオスカーが大好きだから、ついにやって来たときは大歓迎だったよ(笑)」と。大御所ぶったところは微塵もない。

「やることがいっぱいあるんだ。映画だけでなく、また舞台の仕事も入っているし、妻と作る映画もある。エネルギー? ほら、22歳だからね(笑)。自分の興味の赴くままに進むよ!」

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