エルメスの「時間」

百戦錬磨の調香師です。クリスティーヌ・ナジェルという「ネ」は、ジボダン、フレグランス・リソース、フェルメニッヒなど業界を牽引するトップメーカーの要職を経て、2014年にエルメスに迎えられた才能。それまでナルシソ・ロドリゲスの「for her」をはじめとしたスマッシュ・ヒットを放ってきた彼女は、2014年からの2年間を先代専属調香師のジャン=クロード・エレナ氏と共に過ごしました。
これだけキャリアのあるプロが、2年間も時間をかけて晴れて単独で香水クリエーション・ディレクターに就任する―そこまで周到に? と私は意外に感じたわけです。そこでクリスティーヌに聞いてみました。「この2年はどのような時間だったのですか?」と。

彼女の答えはこうです。
「エルメスの特徴ともいえますが、長年働いてきた人への敬意、物語や歴史へのリスペクトというものがエルメスにはあるのです。私はエルメスに迎えられて、エルメスならではの時間の概念を知ったことが、私にとっての大きな贈り物だと感じました」
「日本の皆さんにもご理解いただける点かもしれませんが、時間をかけるということこそがエルメスの素晴らしさのひとつだと思うのです。この2年という期間は、決して誰かから課されたものではありません。私たち2人のクリエーターにとって必要な、自然に生まれた時間でした。ジャン=クロードの仕事を間近で見て、私自身もこれでスタートできるなと思えるタイミングがその時でしたし、彼にとっても、自分が少しずつ退く準備ができるタイミングだったと思います」

かくして、彼女ひとりでの創作となったのが、9月1日に発売されたばかりの《ギャロップ ドゥ エルメス》。この香り、本当に素晴らしいです。ぜひ、いちど触れてみてほしい。レザーとトルコ産ローズの出逢いがテーマになっています。そこにマルメロと サフランが抑制を効かせる。トップ・ミドル・ベースではなく、レザーとローズが均衡を保ちながら連続性のあるダンスを楽しむような、コンテンポラリーな香りの設計図を、彼女は追求しています。アンドロジナスとも言える、強くて優しいフレグランスです。
「柔らかさ、優しさ、強さといったものは、時間をかけてこそ実現できるものだのだと、そしてそれこそがエレ ガンスなのだと感じています。調香師は世界に500人ほどいると言われていますが、その中で私のようなメゾン専属の調香師は6人に限られています。それぞれの専属の調香師たちは、それまでにさまざまなメゾンとの仕事をしていた、そんなステップを必要とする世界です。さまざまなメゾンと仕事をしていた時は、 いつも時間に追われる状態だったわけですが、この2年間は、そのような慌ただしい時間を断ち切るために、必要な期間でもあったのです。時間と慣れ親しむた めに必要な時間をエルメスが私に与えてくれたのだと感じています。そうすることで時間を楽しむことができるようになるわけです」
彼女は先代のジャン=クロード・エレナについてもこんなふうに語ってくれました。
「調香師にとって、香りの世界は私たちのすべて。この世界から離れるというのはとても寂しいことなのです。ですから、退く調香師に、退くための必要な時間を与えるというのもエルメスなりの考えだったのだと思います」と。
馬の背に乗って駆けるバラの姿を香りに昇華した、それはそれは美しいフレグランスには、あぁ忙しい時間がないとあくせく毎日を過ごす私に、素敵な時間の概念も教えてくれました。
忙しない月曜日をもしかしたら過ごしているかもしれない皆さんにも、ぜひ。ぴーんと張り詰めた心がゆるっとほぐれる香りです。

なお、クリスティーヌのインタビューは今月23日発売のSPUR11月号で紹介します。本誌にもご期待ください。

エディターIGARASHIプロフィール画像
エディターIGARASHI

おしゃれスナップ、モデル連載コラム、美容専門誌などを経て現職。
趣味は相撲観戦、SPURおやつ部員。

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