できないことができるようになる、面白さを原動力に
シュウ・フェンファンさん(以下、シュウ) お目にかかれて光栄です。鳥海さんはクールでストイックなイメージがあるのですが、笑顔がとても優しい方ですね。一瞬で緊張がほぐれました。
鳥海連志さん(以下、鳥海) こちらこそ、お会いできてうれしいです。僕がこの部屋に入ってフェンファンさんの姿を見た瞬間、王子がいる!と思いました。ブロンドの髪が、窓から差し込む陽の光に反射して輝いていました。
シュウ 鳥海さんも金髪の時期がありましたよね。いつもヘアスタイルがおしゃれだなと思いながらインスタグラムを拝見しています。毎回そのときの気分で決めているのですか?
鳥海 そうですね。大事な大会に臨むときは、気を引き締める意味も込めて髪型を変えています。
シュウ 僕も髪色をよく変えるので、その気持ちはわかるような気がします。今日は日本代表のエースとしてご活躍なさっている鳥海さんにたくさん聞きたいことがあります。そもそも車いすバスケットボールを始めたきっかけは何だったのですか?
鳥海 両親も兄もバスケットボールプレーヤーだった影響で、小さいころからバスケが好きだったのですが、競技者にはなれませんでした。というのも、僕には先天性の障害があり、3歳で両ひざ下の切断手術を受けたからです。車いすバスケの存在を知ったのは、中学1年生のときでした。初めて見学に行ったとき、コート内で車いすに乗った選手たちがすごいスピードで走っているのを見て、瞬時に虜になりました。当時所属していた学校の部活をすぐに辞めて、そこからずっと車いすバスケ一本でやってきました。今から10年以上前のことですが、フェンファンさんは、そのころはまだ中国にいらっしゃいましたよね。
シュウ はい。当時僕は進学校に通っていたので、毎日勉強に励んでいました。受験という目標はあったけれど、ほかに熱中できることはなく、今のようなアーティスト活動がしたいとも思っていませんでした。鳥海さんのように夢中になれるものを見つけるのは、そう簡単なことではないと思います。どうしてそこまで車いすバスケに打ち込めたのでしょうか。
鳥海 始めたばかりのころは、ゴール下でもシュートが届かないし、車いすをこぐスピードも誰よりも遅かったので、乗り越えないといけない壁がたくさんありました。そこから徐々にシュートが決まるようになって、走るスピードも上がっていって、気づいたらどっぷりハマっていました。できないことができるようになっていくのが、とにかく面白かったです。
シュウ 壁を乗り越えたときのよろこびは、その人にしか味わえないものですよね。当時感じた面白さは、今もずっと持ち続けていらっしゃいますか?
鳥海 むしろ、始めたときよりも増している実感があります。車いすバスケは、さまざまな障害のある選手が一緒にプレーする競技です。それぞれの選手に独自のプレースタイルがあるので、それをメンバー全員が理解して連携がバチッと決まり、理想のプレーができた瞬間は、何かが降りてくるような感覚になります。
世界トップクラスのスピードを誇る、男子日本代表チーム
シュウ 車いすバスケットボールでは、プレーヤーの障害の度合いに応じて、障害の重い順に1.0~4.5の持ち点が与えられ、コートに立つ5人の持ち点は合計14.0以下でなければならないというルールがあります。障害の程度にかかわらず、すべての選手が公平に出場機会を得られる仕組みになっていますね。試合に勝つためには、14点の枠内でどの選手を組み合わせるかが重要になってくるのでしょうか。
鳥海 その通りです。僕は2.5の持ち点が与えられている「ミドルポインター」ですが、男子日本代表チームはミドルポインターを主軸に5人のユニットを構成しています。これに対してヨーロッパのチームに多いのが、障害の程度が軽い「ハイポインター」と、障害の程度が重い「ローポインター」を組み合わせるラインナップです。持ち点の合計を14に収めながら、ユニットの色を自由に変えられるのも車いすバスケの魅力のひとつです。
シュウ ミドルポインターの層が厚い男子日本代表チームの強みを教えていただけますか?
鳥海 攻守両方において、すべてのことをある程度高いレベルでこなせるのがミドルポインターで、僕たちが売りにしているのはスピードです。体格の大きい海外の選手と戦うためには、彼らをシュートエリアに入れさせないためのディフェンスが重要になってきます。それを可能にする素早い動きと高度なチェアスキルが、男子日本代表の持ち味です。
東京2020パラリンピックの男子車いすバスケットボール決勝戦で、アメリカの選手をディフェンスする鳥海さん。(Photo by Adam Pretty/Getty Images)
シュウ 確かに、日本代表の試合を動画で見て、倍速再生なんじゃないかと思うほどのスピード感に圧倒されました。車いす同士の衝突や転倒も激しいので、見ていてハラハラします。
鳥海 全力で車いすをこいでいるときに接触が起こると、軽く1、2メートルは飛ばされます。
シュウ すごい……想像を絶します。鳥海さんは、体幹機能がハイポインター並みに使えるミドルポインターだと評されていますが、2016年のリオデジャネイロパラリンピックから2021年の東京パラリンピックまでの5年間で、車いすの座面の高さを20cmも上げたというのは衝撃的でした。数cmの差でも操作性はかなり変わりますよね。
鳥海 たとえば自動車が急カーブを走るときに、車高の低いスポーツカーと車高の高いジープとでは、体の振られ方が全然違いますよね。それと同じで、車いすも座面が低い方がターンしやすくなります。両脚がない僕の場合、下半身の重心がどうしても軽くなるので、セッティングを変えるのは至難の業だったのですが、あえて挑戦しました。
悔しさを受け止めることが、次につながる
シュウ 速さだけでなく、高さもストロングポイントに加わったということですね。それはやはり、リオパラリンピックの結果に満足できなかったからこそのチャレンジだったのでしょうか。
鳥海 そうですね。リオパラでは、チームは6位以上を目指していたのですが、結果は9位でした。しかも自分はベンチスタートで、試合を決定づけるシーンで貢献することもできませんでした。当時高校3年生だったのですが、中1から6年間ずっと車いすバスケだけに向き合ってきたのに、それでも結果を出せなかったことがショックでした。自分のなかで何かがプツッと途切れたように、この先どうすればいいか分からなくなり、リオパラが終わってから数ヵ月ほど悩みました。
シュウ そこからどうやって前を向けるようになったのですか?
鳥海 神奈川のクラブチームに所属していた古澤拓也選手が、一緒にプレーしようと誘ってくれたんです。僕たちはともにU23世界選手権の代表でありダブルエースとして、チームを引っ張っていく立場にありました。これから日本代表を背負っていかなければならないという責任感が芽生えたこともありますが、何よりも同世代の古澤選手と一緒にプレーするのが純粋に楽しそうだと思えたことが大きかったです。地元の長崎から神奈川のチームに移籍し、再スタートを切ることができました。
シュウ 仲間に助けられたのですね。僕が留学で来日したのもちょうど同じ時期で、当時通っていた大学のキャンパスは神奈川にありました。さらに言うと、鳥海さんが東京パラリンピックで銀メダルを獲得された2021年は、僕がINIとしてデビューした年でもあるんです。
鳥海 すごい、お互いの節目が重なっていますね。フェンファンさんはアーティスト活動を続けてきたなかで、悔しい経験をされたことはありますか?
シュウ INIとしてデビューして今年で5年になるのですが、まだ一度も紅白歌合戦に出場できていないので、毎年発表のタイミングでメンバー全員で悔しがっています。そのときは「今年もダメだった」と落ち込むのですが、年始には立ち直り、気持ちを新たに1年頑張ろうと切り替えます。最近はありがたいことにお仕事の幅が広がってきて、こうして鳥海さんとお話しする機会もいただけるようになってきました。紅白出場は引き続き目標としつつ、今は自分にできることに真摯に取り組み、グループに貢献していきたいと思っています。
いかに誰も置いていかず、目標まで走り抜けるか
2024年アジア・オセアニア選手権で男子日本代表は4位となり、パリパラリンピック出場を逃すことになった(Photo by Yohei Osada/AFLO SPORT)
シュウ 東京2020パラリンピックでは男子日本代表として初の銀メダルを獲得。しかしその後のパリ2024パラリンピックでは出場を逃す、という激動の時期を過ごされたと思います。率直にどんなお気持ちだったのでしょうか。
鳥海 このままではダメだという危機感が大きかったです。2023年からプロとして契約を結んでいるアシックスからお声がけいただき、パリパラ開催中に現地に行って試合を観戦させていただきました。なじみの選手たちが目の前でプレーしている姿を観客席で見ることしかできなかった悔しさは、今でも忘れられません。でもその感情をしっかり受け止めることが、次のロサンゼルスに向けての第一歩だと思いました。あの経験は、自分にとって欠かせないステップだったんじゃないかなと思っています。
シュウ 逆境を乗り越えるには、強靭な精神力が必要だと思います。どのようにモチベーションを維持していくのですか?
鳥海 まず、僕たちには2028年のLAパラリンピックでのメダル獲得という、大きな目標があります。そのためには次の大会は何位以上でフィニッシュしたい、この時期までにこのくらいの結果を残したいという中期目標を設定し、それに向かって進んでいきます。ただしその道のりは平坦ではなく、いくら努力しても結果に結びつかないこともあります。そうなるとチーム全体が沈むのですが、下を向いている時間がないのも事実です。目標に向けてロードマップを強化すれば、自ずと練習量は増え、一人ひとりの自覚も強まっていきます。そんななかで、プレッシャーを上回る高いモチベーションを持っている選手がチームに残っていきました。
シュウ やはり、すごくシビアな世界ですね。
鳥海 僕たちが目指すのは、誰も置いていかず、パラリンピックまでみんなで走り抜くことです。僕自身もメンバーに支えられていますし、全員で助け合いながら壁を乗り越えていくのがチームスポーツだと思っています。それが良さであり、同時に難しさでもあると思います。
シュウ 僕もグループで活動しているので、その点はすごく共感します。僕たちの場合は、誰かと比較されることはあってもランク付けされるわけではないし、数字や勝敗で明確に評価されてしまうわけでもありません。でもその分課題が見えづらく、自分に足りないものに気付ける機会が限られています。INIはメンバーが11人もいるので、全員がモチベーションをずっと高いまま維持するのはやっぱり難しいです。僕自身も、悩むときはどうしてもあります。
鳥海 それでもINIのみなさんは、メンバー同士の絆が強いという印象があります。普段から心がけていることはありますか?
シュウ そうですね。メンバー全員で集まって話し合う場を頻繁に設けるようにしています。グループの現在地や目標などをその都度確かめ合い、お互いの理解を深め合うことで、忙しいなかでも団結して上を目指そうとしています。鳥海さんがおっしゃるように、チームワークにおいて助け合いは重要ですね。
(後編 につづく)