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よりよい明日を考える対談連載。最後の課題は難民の活躍。彼らの未来は私たちの未来でもある
昨年、紛争や迫害で故郷を追われた人の数は、初めて1億人を超えた。日本にもウクライナをはじめ、アフガニスタンやミャンマーなど、これまで100カ国以上から難民として来た人がいるという。彼らに新しいかたちの支援をしているWELgee。多様性の時代にふさわしい難民支援の在り方とは。代表の渡部カンコロンゴ清花さんに聞いた。
榮倉 以前、テレビで難民の若者を取材しているドキュメンタリー番組を見ました。親、兄弟を置いて、危険を冒しながら国を脱出して、希望を持って新しい場所へ向かったけれど、そこにたどり着く前に亡くなる若者もいて。とても胸が痛みました。日本では難民の方々は、今どんな状況に置かれているのでしょうか。
渡部 日本でもなかなか厳しい状況です。まず、安定した暮らしを得るために「難民認定」の申請を出すのですが、日本で難民認定が下りるのはわずか数%。狭き門なんですね。
榮倉 数%ですか。あとの多くの方々は、どうなさるのですか。
渡部 再度、申請を出すことになります。この繰り返しで、3回も4回も申請を出して、やっと認められる人もいれば、申請して何年もたつのに面談にすら呼ばれない人もいます。
榮倉 それは苦しいですね。その間、皆さん、どう生活を?
渡部 1回目の申請の間は、就労許可がもらえるので、建設現場や夜間の警備員のアルバイトなどで食いつなぐ人も多いですが、1回目で申請が下りないと就労許可がなくなってしまうんです。でも祖国にいられないから逃げてきている方々も多いので、それでやむを得ず不法就労になったり、支援者に援助してもらったり。ただ、そういう生活は、人の尊厳をひどく傷つけるんです。
榮倉 ひとくちに難民と言っても、さまざまな職についていた方々がいるわけで、誇りやアイデンティティが傷ついてしまいますね。
渡部 そうなんです。たとえばアフガニスタンでは、今また武装勢力タリバンが復権して、女子の教育が禁じられています。似たような地域で女性の教育の権利を守る活動をしていたNGOのリーダーの女性は、過激派の脅迫から逃れて、日本に逃げてきました。またシリアのプログラマーの男性は、国を超えた経済圏を作ろうとしていたけれど、徴兵され、戦地に送り出されるのを恐れて日本へ脱出してきました。
榮倉 皆さん、祖国をよくしたいと思って活動していたんですね。
渡部 はい。時代が違えば、地域のリーダーになっていたかもしれない人たちです。そういう人たちが日本で傷ついていくのは、本当にもったいないなと思って。そこで私たちは、難民の方々が経験を活かした就労につながることができるよう企業とのマッチングのサポートを始めました。
榮倉 就職できれば、ひとりの人間として自立できるし、活躍の場も得られます。自分の居場所や役割を得ることは大事なことですよね。
渡部 おっしゃる通りです。また、それだけでなく、企業が雇用のスポンサーになり、就労の在留資格が得られるんですね。「そんな道があるなら、何年も難民認定を待つだけでない方法があるかもしれない」と考えたのが6年ほど前でした。
1991年、静岡県生まれ。NPO法人WELgee 代表。静岡文化芸術大学卒業、東京大学大学院修士課程修了。2016年に日本に来た難民の仲間と「WELgee」を設立。2018年、NPO法人化し、難民の支援に携わる。
1988年、鹿児島県生まれ。2004年に俳優デビュー。映画『余命1ヶ月の花嫁』のほか、昨年のドラマ「オールドルーキー」「モダンラブ・東京」などの話題作に多数出演。現在はトッズのアンバサダーも務めている。