夢に香りはありますか? 【調香師 フランシス・クルジャン】×【作家 千早 茜】スペシャル対談

ディオール パフューム クリエイション ディレクターに就任した稀代の天才調香師、フランシス・クルジャン。彼と、調香師を主人公にした小説を上梓した直木賞作家・千早茜さんの対談が実現した。唯一無二の香りを探求する者と、それを言葉で表現する者——。多くの人々を虜にする「香り」のイメージが生まれる背景を二人が語る

ディオールと出合い、始まる。調香師としての新たな旅路

フランシス・クルジャン

私がディオール パフュームにもたらすモダニティは誠実さ

調香師は香りの聖地といわれる南フランス・グラースの出身者が多い。そんな中、約30年前、生粋のパリジャンでありながら弱冠26歳という若さでデビューしたフランシス・クルジャン。創り出す香りはもちろん、それを用いたインスタレーションなど新しい手法で業界に新風を巻き起こした。数多くのメゾンで名作フレグランスを発表した後、2009年に自身の名を冠するブランドを立ち上げる。「ニッチラグジュアリー」という新ジャンルを確立した。そんな彼が歴史あるメゾン、ディオールのパフューム クリエイション ディレクターに就任。実はディオールとは浅からぬ縁があった——。

「祖父がテーラーだったこともあり、私にとってクチュールは幼少の頃から身近で重要でした。叔母と母もディオールのパタンナーだったので、ムッシュの描いたスケッチをもとに、白色の布でパターンを起こすのを眺めていたものでした。私自身もデザイナーになりたかったのですが、絵が苦手で諦めてしまった。それでもクチュールの傍らにいたいと、メゾンに欠かせない香水をつくる調香師という仕事を選びました。偉大なヘリテージをたくさん持つディオールで調香するということはプレッシャーもあるのですが、同時に楽しみでもある。私が迎えられたのはモダニティを吹き込むため。私にとってそれは誠実さです。自分なりの哲学をもってディオールのための調香に臨んでいきます」

Francis Kurkdjian × Akane Chihaya 調香には背景となるストーリーが必要

目に見えない香りの調べをフレグランスという美しい芸術に変えるクルジャンと、色彩やノート、味や音を鮮やかな表現で切り取る作家・千早茜さんとの特別対談

フランシス・クルジャンプロフィール画像
ディオール パフューム クリエイション ディレクターフランシス・クルジャン

1995年、弱冠26歳でのデビュー以来、一躍人気調香師に。さまざまな現代アーティストとのコラボレーションを通じてフレグランスをまとうことをアートの域まで押し上げた。2021年、ディオール パフューム クリエイション ディレクターに就任。

千早 茜プロフィール画像
作家千早 茜

1979年北海道生まれ。幼少期をアフリカのザンビアで過ごす。2008年『魚神』でデビュー。2023年『しろがねの葉』で直木三十五賞受賞。調香師を主人公として描いた『透明な夜の香り』の続編『赤い月の香り』は著者初のシリーズもの。

近著で調香師の感性をみずみずしく描いた千早茜さん。自身も無類の香水好きなのかと思いきや、実は鼻がききすぎるゆえにフレグランスをまとうことはほぼないという。だからこそなのか、目に見えない香りを形にする調香師というミステリアスな職業に強く惹かれるそう。以前から、その存在が気になっていたと語る、フランシス・クルジャン氏との対談が実現した。

 

目に見えない香りを言葉にするのはとても難しい

作家 千早 茜

千早(以下C) 調香師って、とても神秘的な仕事ですよね。毎年どのぐらいの方がデビューするのですか? ちなみに日本の文学界においては新人作家が80人〜100人ほど誕生すると聞きます。

クルジャン(以下K) そうですね、おおよそ20人ぐらいかと思います。その中で残る人はさらに少ないですよ。

C 私は目に見えないものを文字にしてみたいと常々思っているんです。香りもそのひとつです。調香師同士でしか伝わらない特別な言葉や独特な表現などあるんでしょうか?

K 言葉で表現するのは難しいですよね。フランス語と日本語ではどちらが香りに関する語彙が多いんだろう? 

C 日本語は漢字があるので、同じ発音でも「香り」「薫り」「芳り」と使い分けられます。ジャンルは異なりますが、ワインのソムリエも、たくさんの専門用語を使われますよね。

K ソムリエやワイン醸造家とお話しする機会があったのですが、香りに関しての言葉は重なる部分も多いですね。彼らはテロワールに関する専門用語が多いかな。調香師は世界各地の香料を扱うので、ボキャブラリーは僕らのほうが多いかも。たとえば、彼らが「このワインはバニラのような」と表現しても、私は「バニラではなく、ベンゾインだ」と言いたくなります。

※テロワール……ワインづくりにおいては、ぶどう畑の自然環境要因のこと。

調香は香料ありきではなく、その香りの物語を描くもの

調香師 フランシス・クルジャン

C 一度、調香師の方に伺ってみたかったのですが、寝ているときの夢で香りを感じたことはありますか?

K 人生で2、3回あったと思います。プロジェクトの最中のことだったので、どちらかというと悪夢に近かった(笑)。昔から香りそのものから調香を始めることはなくて。音や景色など、視覚、聴覚、それぞれの感覚を通じて、ビビッときたものから、新しいノートを創ることが多いですね。

C 以前、クリスタルガラスをイメージした香水を創られていて、匂いがないものから発想することに驚きました。

K 水晶は固く濃密であるけれど、透明で印象としては軽やか。その矛盾を表したいと思いました。私にとって調香は絵を描くようなもの。何かを見て描く具象ではなく、無から生み出すポップアートに近いのかも。フレグランスを創るには、何を表現したいのか自分なりのストーリーが必要なんです。私からも千早さんに質問です。本のタイトルはいつ決めるの? 最初に決めてから、書き出すのですか?

C 作品によりますね。最初からバチッと決まっているときもあれば、後から徐々に決まるものも。作家は最初に言葉が出てくる人、ビジュアルが浮かぶ人、2通りに分かれると思います。私は後者で音や色、香りなどをそこに取り入れたいんですよね。「紺色の声」とか、姿形のない声を色で表現したり。

K なるほど。香水の名付けとも似ていますね。ところで、千早さんは香道を体験したことはありますか? 香木を嗅いで香りを〝聞く〟んですよね。香って、自分の感情の動きを言葉で表すのが面白いですよね。新しいものを生み出す調香とは異なります。

C はい。京都に住んでいたので、体験したことはあります。いつか香道に着想を得た物語も描いてみたいですね。ところで、クルジャンさんは仕事上で気をつけていることはありますか? 以前、日本の調香師の方に体調管理はもちろん、嗅覚に影響を及ぼす食事についてもかなりストイックに注意を払っていると聞きました。

K 確かに風邪は引けないけれど。僕自身は神経質には考えていないですよ。だって、調香という行為は本来楽しいものですからね。ただ、作業の大詰めで、微妙なニュアンスを感知しないといけないときは夜更かしや、お酒を飲むことを控えることがあります。

C のびのびと調香する様子が目に浮かびます。素敵なスタイルですね。

「ジャドール ロー」『赤い月の香り』千早 茜・著

「ジャドール ロー」
ディオールを象徴する名香・ジャドールをフランシス・クルジャンが新たに解釈。ジャドールの神髄をゴールドととらえた彼は、ジャスミン、ローズをはじめとする花々の存在感を際立たせ、よりつややかなフローラルブーケにアレンジ。まるで、純度の高いゴールドのエッセンスを溶かし出したかのような、なめらかでセンシュアルな仕上がりに進化した。
ジャドール ロー(50㎖)¥23,320〈8月25日発売〉/パルファン・クリスチャン・ディオール

『赤い月の香り』
人並みはずれた嗅覚をもつ天才調香師・小川朔にスカウトされた主人公・朝倉満の視点で描かれる物語。朔のもとに訪れる香りにまつわる、さまざまな執着を持った依頼人とその香りに触れるうちに満の過去が解き明かされていく──。色彩や音とともに描かれる情景から、香りや匂いが鮮明に立ち上ってくるような静謐かつドラマティックな長編小説。『透明な夜の香り』の第2弾。直木賞受賞第一作。
『赤い月の香り』千早 茜・著 集英社/1,760円

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