
背もたれ中央にはAMの頭文字が刻まれています。
しかし、イギリスの歴史作家アントニア・フレーザーによる伝記「マリー・アントワネット」が出版されたことも契機になり、ただの贅沢好きの軽薄な女性、というイメージが変わってきたようです。国内よりも海外で高まるマリー・アントワネットの評価。今回の展覧会「マリー・アントワネット・スタイル」がフランスではなくイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館が企画したといたというのも象徴的です。これまで当時の文化や芸術は国王だった夫の名前の「ルイ16世様式」と呼ばれていて、シンプルで安定感と秩序があるイメージでした。それを「マリー・アントワネット様式」という新しい視点で見ることによって、当時の芸術やファッションの魅力を再発見する、という企画展です。

輝くような白い肌がマリー・アントワネットの魅力。ヴェルサイユでは身分が高い女性はまっ赤な頬紅をつける慣わしがあったそうで、肖像画にもそれが表れています。夫と死別したら「禁欲のしるし」として頬紅はつけなくなります。
日本人は「ベルサイユのばら」の影響もあり、マリー・アントワネットにはそこまで厳しい見方はしていない人が多いと思われます。むしろ、つまらない夫との不和、宮殿での息苦しい人間関係、革命による境遇の激変などに翻弄された、悲劇的で大変な人生だったと察せられます。
普通なら心折れてしまいそうなところ、ハプスブルク家の気高さと強さを受け継いだマリー・アントワネットは自力で生きる術を模索していたのです。そのうちの一つは、古い固定観念に縛られず、自分の自由な感性を貫くことでした。
今回の「マリー・アントワネット・スタイル」展は、まさに彼女の革新的なライフスタイルを一望できる展示。アジア巡回展のためにロンドンでの展示から出品内容を再編成し、ドレス、ジュエリー、家具調度品、絵画や版画、写真など、約200点で構成されています。

今回の展示で世界初公開となる「マリー・アントワネット旧蔵の天然真珠とダイヤモンドの3連ネックレス」マリー・アントワネットは真珠もこよなく愛していました。なんと119粒もの大ぶりな天然真珠が使われています。

鯨のヒゲで成形された「ボディス『グラン・コール』」は上半身にフィットするデザイン。現代のボディスーツ風のトップスのようでかなりおしゃれです。
第1章は「マリー・アントワネット:スタイルの源泉 1770-1793」。14歳という若さで王太子妃としてフランスに嫁いだマリー・アントワネット。銀色に輝くウェディングドレスで宮廷にデビューし、圧倒的な輝きと存在感を見せつけました。初々しい美しさが人々を魅了し、当初は国民の人気も高かったのです。
展示室に並ぶドレスや女性用の胴着(ボディス)などを見るとウエストが極細ですが、14歳の少女の体型だから、というのもありそうです。また、当時は広がったスカートの対比でウエストをより細く見せるスタイルが主流でした。

「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」は18世紀のフォーマルドレスの形式。ストライプと花柄の組み合わせに卓越したセンスを感じます。
華やかで大きく広がったスカートの「ローブ・ア・ラ・フランセーズ」の、かすれたような花柄とストライプの組み合わせが素敵すぎました。マリー・アントワネットは柄の色の出方にこだわり、糸を先染めするシネ・シルクという製法を好んでいたそうです。「ローブ・ア・ラングレーズ」はイギリス風のシンプルなドレス。
そしてスカートの後ろが持ち上がった「ローブ・ア・ラ・ポロネーズ」など、より動きやすくて着心地が良いドレスが登場。庶民から見るとどれも、お姫様感あふれるゴージャス系ドレスですが、着る人にとっては素材やデザインの違いで快適性が格段に上がったのでしょう。

「ローブ・ア・ラングレーズ」はこう見えてカジュアルな装いだそうです。ギャザーで作ったスカートのふくらみが特徴です。

「ジャケット『ピエロ』」は、アントワネットが非公式の場で着用した、プリントコットンの衣装。トップスもエレガントなコーディネイトで着こなしていらっしゃいました。
マリー・アントワネットはさらに着心地の良さを追求し、コットン素材にたどり着きます。高級プリントコットン「トワルド・ド・ジュイ」を次々注文。「シュミーズ・ア・ラ・レーヌ」という軽やかな白い綿モスリンのドレスも愛用していました。
この白いシュミーズドレス姿の肖像画が公開されると、王妃らしからぬラフすぎる出立ちや、フランスの絹産業を軽視してインドのコットンを採用したことが批判の的に。でも話題になったことで大炎上からのコットンの大流行を巻き起こすのが、さすがマリー・アントワネットです。まさにインフルエンサーの先駆けで、ネットがない時代から数字を持っていてトップ独走状態でした。

ヴェルサイユ以外の舞踏会や仮面舞踏会では、この「ドミノ」と呼ばれる衣装を着るのが宮廷人の嗜みだったそうです。ゴージャスすぎるアウターです。
マリー・アントワネットは、ドレスだけでなくヘアスタイルにおいても革新的でした。「プフ」と呼ばれる、髪の中にクッションを詰めて頭の上に高く高く盛り上げた巨大な頭飾りは、高さが1メートルくらいになることも。
王妃専属の結髪師レオナール・オーティエや、お抱えのモード商ローズ・ベルタンと一緒に、クリエイティブなヘアスタイルを披露。頭飾りで、好きなものや私的な情景、自然の風景だけでなく時事ネタを表現することもありました。
夜空に彗星が現れたら、それもヘアスタイルで表現。戦艦の模型を頭の上に乗せた髪型も話題となりました。フランス海軍の艦船が勝利したことを祝福するものだったそうです。ヘアスタイルは、当時のフランス宮廷の女性たちが、自分の意見を発信するための重要なメディアだったのです。マリー・アントワネットのヘアスタイルは流行の発信源になりました。もはや王妃でなく、アートディレクターのようです。母のマリア・テレジアからは、馬車にも乗れないほど盛りまくった髪型をやめるように手紙で注意されたそうですが……。

「ファッションとご婦人たちのヘアスタイルをめぐる新しいゲーム」は1770年台の過激な髪型を紹介するすごろく。王太子の日常風景なども描かれています。いじられる対象になってきた気配が……

「ペダルハープ」は弦の色が虹色で美しいです。マリー・アントワネットは当時の名だたる作曲家とも親交があり、音楽も嗜んでいました。
マリー・アントワネットはあらゆる文化を牽引していました。当時の名だたる音楽家と親交を深めて、ハープを奏でたり作曲したりしていました。田園を舞台にした恋愛の曲「それは私の恋人」を制作。取り巻きが絶賛していた様子が浮かびます。ギターの音色も好んでいたそうで、音楽への感度も高かったようです。

足元を飾るバックルにも最高級の素材が使われていました。「ボウ形の靴用バックル」「青と白の人工宝石の靴用バックル」など、高級感を放っていました。

1781年、アントワネットは跡継ぎとなる王太子を出産しました。国中に祝福されて記念の「扇 母と息子」が作られました。このときはまだ国民に愛されていたのです。
素朴な田舎暮らしを楽しむため、離宮プチ・トリアノンの庭に「王妃の村里」を作らせて、シンプルなドレスで農作業に勤しんだ、というのも有名なエピソード。二拠点生活やサステナブルなライフスタイルを先取りしています。そこで生産された牛乳を孤児院に寄付していたとも伝えられます。悪女のイメージばかりが伝えられていますが、慈愛を感じさせるエピソードも。 フランスの王家ではじめて母乳による育児をしたという逸話もあります。

高級プリントコットン「トワル・ド・ジュイ」にハマっていて、ジュイ村の工房を自ら訪ねることもあったそうです。牧歌的な柄が主流でした。

「トワル・ド・ジュイ『全国連盟祭』」は、革命政府のプロバガンダ的なモチーフがプリントされていて、牧歌的な柄とは違う雰囲気です。

通称「サザーランド・ダイヤモンド」は、「首飾り事件」の元凶になった展示品で、本邦初公開。最高級の透明度の輝きで、今も魔力を感じさせます。
しかし世間に贅沢ぶりが伝えられ「赤字夫人」とまで呼ばれたマリー・アントワネット。次第に革命の足音が……。当初は革命政府と良い関係を築いていたそうですが、亡命未遂などで国民の信用を失ってしまいます。巨額詐欺事件「首飾り事件」に巻き込まれ、濡れ衣で超高額なダイヤモンドのアクセサリーを購入しようとしたと誤解され、さらに評判は悪化。今回、事件の元凶になったダイヤモンドの首飾りも展示されていて、妖しい輝きを放っていました。

「ボディスの装飾とイヤリング」ボウ形のモチーフにはトパーズとサファイアがちりばめられています。マリー・アントワネットが好んだデザイン。

マリー・アントワネットは漆器コレクターでもありました。日本展のオリジナルで出展されたこちらは「楼閣山水蒔絵水注」です。

「香箪笥」「箱(香箱)」などの漆コレクションも所有していたマリー・アントワネット。マリア・テレジアからも漆器などを継承していたそうです。

「ハルピュイアのマリー・アントワネット」「ハイエナのマリー・アントワネット」は、王妃をグロテスクなモンスターのように描いた風刺画。現代のネットでの誹謗中傷のように拡散しました。
マリー・アントワネットのモンスターのような風刺画や、ふしだらな行為をしているフェイクアートも拡散され、国民の憎しみは高まるばかり。ついに王政廃止になり、王族は投獄。ルイ16世に続いてマリー・アントワネットもギロチンにかけられてしまいます。絶望的な状況でも気品を保っていたマリー・アントワネット。断頭台に上がるときに処刑人の足を踏んでしまい、「ごめんなさいね。わざとではありませんのよ。でも、靴が汚れなくて良かった」と丁寧に謝罪。さすが生まれながらのロイヤルです。それが彼女の最期の言葉となりました。ギロチンの刃も展示されていますが、近くで見たら体が重くなったような……。繊細な方は遠目に見ることをおすすめします。

「フランス革命で用いられたギロチンの刃」革命機に使われたこのギロチンの刃は、アントネットの首をはねたものとされていて、黒ずみ具合が恐ろしいです。

日本オリジナルの展示。時代が変わって、マリー・アントワネットの大ファンで心酔していたという、 フランス皇帝ナポレオン3世の「皇后ウジェニー」の肖像画です。
「第2章 マリー・アントワネット:追憶と偶像化 1800-1940」では、死後も人々の記憶の中で生き続ける彼女の思い出の写真や芸術品などを展示。19世紀、フランス皇帝ナポレオン3世の妃となったウジェニーはマリー・アントワネットに強い憧れを抱いていました。マリー・アントワネットコスプレで撮影し、プチ・トリアノンで「マリー・アントワネット展」を開催するなど、推し活の域を超えてマリー・アントワネットを崇拝していました、これでマリー・アントワネットの魂も慰められたことでしょう。ウジェニー皇后も当時のファッションリーダー的な存在だったようです。

「マリー・アントワネット、ルイ16世、王太子ルイ・シャルル」は、王位を追われたファミリーの横顔を描いていて、美化されずむしろ悪意を感じさせる表情です。

ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」でキルスティン・ダンストが着用したドレス。衣装デザイナーはミレーナ・カノネロです。
「第3章 永遠(とわ)に新しく-マリー・アントワネット・スタイル」では、現代にも続くマリー・アントワネットのファッションやライフスタイルの影響について紹介しています。ケイト・モスがマリー・アントワネットを思わせる華やかでゴージャスな衣装をまとった写真や、ソフィア・コッポラ監督の映画「マリー・アントワネット」のためのドレスやマノロ・ブラニクの靴も展示。映画の色合いが記憶の中で蘇ります。そしてマリー・アントワネットにインスパイアされたモスキーノやヴァレンティノ、クリスチャン・ラクロワ、シャネル、ヴィヴィアン・ウエストウッド、クリスチャン・ディオールなどの錚々たるブランドのドレスの数々。華やかだけれどどこか儚くて、マリー・アントワネットの輝きと悲劇が入り混じる両極端の人生が思い起こされます。

モスキーノ2020-21秋冬コレクション「ケーキドレス」はジェレミー・スコットによるポップなデザイン。モスキーノ自身はマリー・アントワネットのスタイルからインスピレーションを得ていたそうです。
当時フランス経済に負担を与えたと批判されたマリー・アントワネットですが、数百年続く世界的なブランドになったので、浪費した額の何百倍もの富を生み出しているのではないでしょうか。彼女がいなければ、この美しい衣装やジュエリー、芸術品などは生まれず、職人の技術も含めて後世に継承されませんでした。そしてあの悲劇的な死がなければ、ここまでカリスマ的な存在にはならなかったと思われるので、全てが必然だったのでしょう……。フランス革命という政治的な激動の中、ライフスタイルやファッションの革命を起こしていたマリー・アントワネット。改めて共感と尊敬の念が高まる展覧会でした。

こちらも日本オリジナルの展示。マリー・アントワネットの肖像が取り入れられた斬新なデザインは「マリー・アントワネットの肖像のあるイヴニングドレス(ディオール2006年春夏オートクチュールコレクション)」アントワネットへのリスペクトが伝わります。
「マリー・アントワネット・スタイル」
期間:~2026年11月23日(月・祝)
時間:10:00~18:00 (11月21日・22日は20時まで)※入館はいずれも閉館時間の30分前まで
休:木曜 ※8月13日、9月24日、11月19日は開館
会場:横浜美術館
神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
https://www.marie2026.jp/