朝吹真理子(以下朝吹) 2009年に石内さんが『ひろしま』で毎日芸術賞を受賞されたときのパーティ会場で、初めて石内さんの写真集を見て「このきれいな布は何だろう」と鮮烈な印象を受けました。そのパーティで編集の人に声をかけてもらったことが、小説を書くきっかけにつながったんです。石内さんの写真を見たことは、今につながっている気がしています。
石内都(以下石内) まあ、そうだったんですね。
朝吹 広島は、カタカナの〝ヒロシマ〟ばかりが印象づけられてしまっています。そこには、日々を生きていた人たちが確かにいたのに、それが実感しにくくなっている。『ひろしま』を見て感じたのは、大事に着ていた人の記憶がたくさん堆積しているその衣服に、現在の光があたっていること。過去のものが過去としてではなく、新しいものとして現前していることに驚きました。
石内 私自身、もともと広島に対してリアリティがなかったんです。それが依頼を受けて広島で初めて遺品たちを見たとき、原爆を受けたことが大きすぎて隠れていたけれど、パリやロンドンや東京のように、広島の若い女の子たちもおしゃれをしていたんだと、よくわかったの。服の模様はとても可愛いし、デザインもカッコいい。もし私があのとき広島にいたら着ていたかもしれない。そういう現実感があったんです。ただ、写真は過去は撮れない。〝今〟しか撮れないの。目の前にある今しか撮れないという意味で、『ひろしま』は私と遺品との今を撮っているんです。遺品と向き合っている時間と空気を撮っている。これはフリーダ・カーロの遺品の写真でも同じことです。
朝吹 私は過去が普遍ではなく、現在によって可変していくという実感をいつももっています。だからこそ昔のものに惹かれるのかなと。『ひろしま』も本を開いた瞬間に今になる、という感覚に毎回驚きます。今『新潮』で連載中の「TIMELESS」という小説には、被爆三世の人が出てきています。小説を書くうえで『ひろしま』を何度も見ています。丁寧にしわを伸ばされて気持ちよく息をしている衣服の写真を見ると、肉体の形で声をやり取りすることはできないけれど、コアな部分と出会っているように思えます。それが書くことのイメージにもつながっています。
石内 すごくうれしい(笑)。今までのヒロシマは教科書的、歴史的、反戦平和的な、まさに〝ヒロシマ〟のイメージ。けれど私が現実に見た遺品たちは違った顔をしていた。だから変な言い方だけど、ヒロシマをもっと自由にしたいと思ったの。遺品のブラウスはあって肉体のない少女に、いつ帰ってきても大丈夫だよと言ってあげたいんです。今年も、すごくカッコいいワンピースが届けられて、それを撮りに行きます。画像を見せてもらったんだけど、もう感動して涙が出てきて。私にとってヒロシマはもう他人事じゃないの。いちばん身近な問題として、ヒロシマという歴史を見ているのよね。でもそれは過去じゃない。現在進行形で私が生きているという意味においての歴史と会っている。そういう感じを受けています。
Frida by Ishiuchi 2012/2016 ©Ishiuchi Miyako
フリーダは幼少期にポリオにかかったうえ、18歳のときにバス事故で重傷を負ったこともあり、左右の脚の長さや大きさが違っていた
朝吹 フリーダ・カーロについては、シュルレアリストと親交のあった画家という漠然とした印象しかもっていなかったんです。でも映像や絵を見たら、フリーダが痛苦や激動という言葉で覆われてしまっていることがわかりました。ヒロシマと同じですよね。人生というのは続きもので、そのことを毎秒毎秒感じていたら生きていけないから普段は忘れていますが、現在の向こうにある歴史と、その先の未来に、自分が確実につながっていることを、石内さんの写真から感じます。
石内 若くても、時間に対する考え方が私とあまり変わらないのね(笑)。私にとって時間はとても大切。私が最初に何を写したいと思ったかというと、時間なんです。『1・9・4・7』の手足の写真は、時間の貯蔵庫としての身体、つまり時間を撮っている。
朝吹 石内さんはエッセイで、肉体は時をとどめておくうつわで、風景もそうではないかと書いておられます。肉体はチューブみたいなもので、瞬間瞬間の時間が通り抜けていく。あるものは蓄積し、大方は通り抜ける。私もそう感じることがあるんです。
Frida by Ishiuchi 2012/2016 ©Ishiuchi Miyako
明るい色遣いのドレス。2012年の『Frida by Ishiuchi』から
石内 都:写真家。1947年群馬県桐生市生まれ、横須賀市育ち。1979年第4回木村伊兵衛賞受賞。2008年写真集『ひろしま』(集英社)、2013年写真集『Frida by Ishiuchi』(RM、メキシコ)を発表。2014年ハッセルブラッド国際写真賞受賞。
朝吹真理子:作家。1984年東京都生まれ。2009年『流跡』(新潮文庫)でデビュー。2010年に同作で第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少受賞。2011年『きことわ』(新潮文庫)で第144回芥川賞を受賞。現在『新潮』で「TIMELESS」を連載中。
SPUR2016年9月号掲載
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