変革の時は今。斎藤幸平×コムアイ『服は未来を描けるか』

2020年9月に上梓した新書『人新世の「資本論」』が30万部を突破するベストセラーとなっている気鋭の経済思想家、斎藤幸平さん。「資本主義が限界を迎えている」今、ファッションはどんな未来を志向するべきか?多彩な表現を通して社会へ新しい価値観を提案するコムアイさんと、その道すじを探る。

 

世界人口は2割増。でも服の生産量は2倍に

 

コムアイ 実は私のまわりでも斎藤さんの著書『人新世の「資本論」』が大ヒットしていて。私も読まなくちゃと思っていたところに、この対談のお話をいただいて「ラッキーすぎる!」って。斎藤さんの言説の力強さ、お噂は伺っていましたけれど、この本も共感するところが多くて、とても勉強になりました。

斎藤 現代は物があふれ、何でも手に入る大量生産・大量消費型の社会ですよね。でもそういう経済活動、つまり資本主義のせいで、途上国の人が劣悪な環境で働かされたり、自然環境に気候変動など深刻な影響が出ています。このまま経済成長が続けば地球は破滅の一途をたどることになる。もはや待ったなしです。では、資本主義の際限なき利潤追求を止めるにはどうしたらいいのか。それをこの本では考えました。

コムアイ 私も今の資本主義にはずっと懐疑的な気持ちがありました。街を歩いていても言葉やビジュアルとか、とにかくすべてが消費を促すものばかりで「私に物を売りつけるな!」ってずっと思っていて。特に嫌いだったのが電車の中吊り広告です。中学時代は通学途中に広告、特に不安を煽って買うことを勧める生命保険、流行を追いかけることを強いるファッション誌の中吊りなんかがあふれていると、本当に気分が悪くなってしまって。私にとっては大気汚染と同じでした。

斎藤 中吊り広告は、まさに過剰消費社会の象徴という感じですよね。今日の対談のテーマもファッションということですけれど、やはり一番の問題は、作りすぎ、捨てすぎということだと思います。たとえば2000年から2015年の15年間で、世界の人口は2割程度しか増えていないのに、服の生産量は2倍になっている。しかも国内だけで見ても年間生産数の約半分、つまり15億着ぐらいは売れ残っていて、大半が埋め立て処分や焼却処分という形で、そのまま捨てられています。

コムアイ 膨大な数ですね。

斎藤 人々にたくさん買ってもらって、どんどん消費していくのは、お金儲けの論理からすればいいかもしれない。けれど、服を作っている人にも、売っている人にも、消費している私たちにも、さらに言えば地球環境にも、とんでもない負荷がかかっている。この状況に早くブレーキをかける必要があると思っています。「じゃあ、どれだけ服の生産量を減らせばいいんだ」という話になりますけれど、少なくとも20年前のレベルには、すぐにでも落とせるのではないでしょうか。15年で服の量が倍になるって、どう考えてもおかしな話ですから。

コムアイ 服の生産量が増大したのは、やはりファストファッションの影響が大きいですよね。

斎藤 流行の服を安く作って、安く売って、ワンシーズンで破棄する。そういう短いサイクルでの生産・販売の影響は大きいですね。もちろん僕もファストファッションを利用することもありますが、毎シーズン新しいものを作り続けるのはどう考えたって持続可能じゃない。フランスでは、売れ残った洋服の廃棄を禁止する法律が昨年施行され、売れ残ったものはまず慈善団体などに寄付することが義務づけられるようになりました。また、ドイツでは消費サイクルを早めないために年明けまでセールをしないように規制しています。まずは法律で過剰な競争を強制的にやめさせる必要があると思います。

 

ファストファッション化するハイファッション


斎藤 それと今日、僕がぜひ言いたいのが、最近ハイブランドがさまざまなコラボレーションをしたりして、シーズンごとに新しい商品を出したりしますけれど、コラボしすぎ。これについては僕は本当に怒ってます。消費者は「新しいのが出たから、また買わなきゃ!」って次々と商品を買いますが、コラボすることでその商品はシーズンが特定されてしまうから結局ワンシーズンしか使えないことにもなる。そういうビジネスは作り手にとってもマイナスで、むしろ自分たちの首を絞めていると思います。短期的には、何十万円の限定バッグが飛ぶように売れるかもしれないけれど、長期的にやっていくと市場も飽和していきますから。

コムアイ 本当にそうですね。コラボ商品やレア商品は、今や株とか金融商品みたいな感じになってますよね。それはもはやファッションじゃないと思うし、むしろファッションも犠牲になってるような気がします。本来ファッションって、何か美しいものをまとったときに、心がピンとするような気持ち自体のことを言うんだと私は思うんですけれど、今はファッションというワード自体が資本主義に利用されて下世話なものになってしまっている。ファッション本来の力強さを取り戻すためにも行きすぎた資本主義に勝たなきゃ!って思います。

斎藤 僕は人間にとって、ファッションは所有できる芸術品として、社会に欠くことのできない非常にエッセンシャルなものだと思っています。けれどそれこそ戦争時とか、ある種極端な社会において、最初にいらないと思われるものでもある。今回のコロナ禍でそれはよくわかりましたね。だからファッションを本当に大切にしたいなら、やはり平和な社会でいられるように地球環境に配慮しなければならない。短期的な利益を求めた結果、最終的に自分の生業自体が犠牲になってしまうかもしれません。

コムアイ 消費者としてはどうでしょう。ファストファッションブランドを買わないとか、自分が本当に欲しいものだけを買うようにするとか、できることはいろいろありますけれど、何でも着られる自由や、贅沢で得られる満足感みたいなものは、やはり手放さなければならないのでしょうか。

斎藤 いや、いきなりそこまで極端に考える必要はなくて、たとえばお金を貯めて、憧れのエルメスのバーキンを買って「やった!」って思う気持ちはわかります。高額でも定番で長持ちするような品質のいいバッグを作って「一生ものですよ」って売ることは必ずしも悪いことじゃない。本当に一個で満足するなら……。でも、さっきも言ったように、資本主義はコラボレーションなどによって稀少性を作り出して、短いサイクルで売って儲けようとします。要するにハイブランドもファストファッション化してるわけですね。だからそれに抵抗する「一生もの」みたいな価値観をしっかりと復活させていくことが大事ですよね。それによってファッションの伝統的な技術とかクリエイティビティも守られていくことになるはずです。つまりスローダウンするっていうことは貧しさではないし、きらびやかさを即座に手放すって意味ではなくて、むしろ長期的に伝統とか文化のよさを守っていくための手段だと僕は思っています。

 

世の中の多くの矛盾が「見える化」された


斎藤 実は今日はコムアイさんにお礼を言いたいことがありまして。新しい社会のあり方を考える毎日新聞の連載「斎藤幸平の分岐点ニッポン」で、ジビエ業の会社を興した若者に同行して、野生の鹿を捕まえて解体するという過程をリポートしたんです。それの元ネタはコムアイさんで、鹿の解体をライブパフォーマンスでなさっていたのに影響されたものなんです。

コムアイ お役に立てて本当に光栄です。私があのパフォーマンスを始めたのは、音楽を聴きに来てくれる人にも動物が食べ物になっていく過程を生で見て、その意味を考えてほしいという思いがあったからでした。野生動物の解体を体験できる「解体ワークショップ」でやり方を教えてもらっていました。

斎藤 そこまで行動されるのが本当にすごい。

コムアイ 小学生の頃から、食べるものがどこから来るのかと、自分が捨てたものがどこに行くのかにすごく興味があったんです。大学生のとき、就農体験をして、初めて自分が食べてるものと出してるものがどうなってるのかを確認することができてすごく安心しました。その一方で、みんなでお世話をしていた豚を食肉処理の施設へ送り出す体験をして、動物を殺して肉を食べるという行為の意味を考えるようになりました。そして、その生産の背景が切り離されている暮らしは、やっぱりちょっとおかしいんだなと。

斎藤 物がどこから来て、それがどこに行くのかっていうのを考えることはとても大事なことだと思います。ドイツの思想家、カール・マルクスは、これを「人間と自然の物質代謝」と呼んでいます。人間は暮らしの中で、さまざまなものを生産し、消費して、廃棄していますが、このとき必ず自然から何かを搾取したり、排出したりしています。そういう絶えざる自然との循環の中でしか人間は生きていくことができないんだと。でも、今の近代的な暮らしの中にいては、その過程が「見えない化」していて、自然への負荷を実感することは難しいですよね。

コムアイ 服にしても食べ物にしてもお店に並んだものを見ているだけですもんね。

斎藤 地球は有限なので、無限の成長を求める資本主義は必ず問題を引き起こします。ところが、今まで見ないですんできた問題がここ数年で一気に表面化してきたと思います。過剰な経済活動で排出された二酸化炭素のせいで気候変動で猛暑になったり、台風が巨大化したりするのもそう。またコロナの影響で今まで見えなかったことが表面化していますよね。服の需要が急激に減って、生産工場では賃金の未払い問題も起きている。服を作っているのは大抵バングラデシュなどの途上国で、普段は「見えない化」されていたのが、コロナ禍によって「見える化」されてきた。

コムアイ 今は作り手と消費者が断絶させられてしまっているからわかりづらいけれど、自分が買ったものが、遠い国の誰かを傷つけたり、環境破壊につながって未来の誰かを殺している可能性がある。あまりにそういうことが多すぎて嫌になるけれど、私たちが向き合おうとしないと、もっと見えなくされてしまう。

斎藤 そうですね。美しい服で着飾って、いい気分になっていたとしても、実はその服や素材を作るための過酷な労働で人が亡くなっているかもしれないし、美しい宝石を買ったお金がミャンマーの軍事資金になっているかもしれない。そういう想像力をもっと働かせないといけないですね。

 

気候変動対策を個人の努力に帰するのは間違っている


斎藤 もうひとつのポイントとして、格差の問題があります。今の富裕層は、明らかに富を独占しすぎています。またその富の使い方が、プライベートジェットとか、スポーツカーとか、世界中に豪邸を何軒も建てたりして、ものすごく地球に負荷をかけている。世界の富裕層10%が二酸化炭素の半分を排出しているというデータもあります。一方、下から50%の人は、全体のわずか10%の二酸化炭素しか排出していない。だから富裕層や大企業にはその責任をとってもらわないと、どう考えても不公平なわけです。

コムアイ でも、富裕層の人たちが自ら進んで「いや、悪かったね」と何かを手放すとは考えられないし、へたしたら、彼らが都合のいいようにルールを作ってしまう可能性もあるから、私たちはもっともっと声を上げなくちゃいけないってことですね。

斎藤 実は、毎日新聞の連載で、脱プラスチック生活を1カ月ほど体験したことがありまして。これがものすごいエネルギーを使うんです。プラスチック容器に入っている味噌は買えないので「よし、今日は味噌工場まで行って、味噌をガラスの容器に入れてもらったぜ!」みたいな(笑)。

コムアイ すごい大変ですね(笑)。

斎藤 はい。それなりの達成感はありますが、労力がかかるわりに、その成果は少なくて。正直なところ僕ひとりがファストファッションを買うのをやめたって地球の崩壊は止まらないし、肉を食べるのをやめても二酸化炭素の排出量は変わんないわけです。もう個人の消費でどうにかなる話じゃないですよね。つまり僕が今回の『人新世の「資本論」』で一番言いたかったことは、環境維持を個人の努力に帰するのは、どう考えてもおかしいということです。プラスチックを使ってないものを探す努力を何でこっちがしなきゃいけないんだよって。プラスチックがダメなら、そうでない商品を企業が作るべきだという話です。それは服も同じです。

コムアイ 個人でエシカルな商品を買いましょうとか、リサイクルナイロンのものを買いましょうみたいなことでは、もう間に合わないと。

斎藤 そうです。炭素税をかけたり、何らかの規制をかけたりして、業界そのものを変えていかなきゃいけないし、社会や経済のあり方そのものも変えていくっていうようなことを、やらなきゃいけない段階に来ているなと感じます。それと個人の努力に帰してしまうと、努力をしていない人は、環境問題に意見を言う資格がないということになりがちで、それも非常によくないですね。

コムアイ 確かに「私は野菜だけで頑張ってるのに、あの人は牛丼食べてる」とか、不毛な対立が生まれますね。それって世界の紛争の構図と一緒で、本当は何に引き裂かれようとしてるのかっていうところに敵を見いださないといけないのに。

斎藤 おっしゃるとおりです。そもそも時給900円で働いてる人にとってはファストファッションは必須だし、350円で食べられる牛丼がありがたい。それに対してビーガンのランチが1300円、オーガニックコットンのTシャツが4000円みたいな現実がある中で、「なんでファストファッション買ってんの?」みたいな話をしたって、「いやいや、俺の給料いくらだと思ってんの?」みたいな無意味な分断がまた生まれてしまうわけで。環境の問題は、ファストファッションを買ってる人であっても、牛丼を食べてる人であっても、ともに声を上げて解決していかなければならないものだし、それと同時に誰もが3000円のオーガニックコットンTシャツを買えるようにしようとか、労働者の賃金をしっかり上げていきましょうとか、格差の問題も解決するような方向に社会のあり方を変えていくことのほうが重要なわけです。

 

「コモン」の要素を取り入れて、服を共有財産としてケアする

 

コムアイ 実は高校生のとき、日本と真逆の世界を見てみたいと思って、友達とキューバに行って、3週間ぐらい滞在したんです。

斎藤 うちの親だったら許してくれないですね(笑)。どうでしたか。

コムアイ みんな、すごくのんびりしているんですよ。服はたくさん持っていないけどおしゃれで、気温も高いから服の面積もちっちゃくて、おっぱいもお尻もはみ出してるのが標準(笑)。あと、バッグを持たないので、女性は携帯電話を胸の谷間に挟んでて、それもめっちゃ好きでした。携帯電話も家族で共有していたりするんですね。みんな、暇なので朝から道端でおしゃべりしてるんですけど、「ちょっと電話借りられないかな」とか「道に迷ったかも」とか話したら「どうした、どうした」って、ぶわーって人が集まってきて。効率主義じゃないから、困ってる人がいたら、みんなで問題を解決するのが街を楽しくしているって感じだったんです。そんな光景を斎藤さんの本を読みながら思い出してました。

斎藤 今、気候変動を抑える目安としてよく言われるのが、生活の規模を1970年代後半にまで落とすということです。生活レベルを落とすっていうと嫌な感じですが、働きすぎの日本人が、キューバのそのムードに憧れる際の、その感性は大事にしたい。

コムアイ そうですね。ちなみに今日私が着ている服はヴィンテージショップのDEPTで借りたもの。そこのAKARIちゃんっていうスタッフが「これ、イチ押しです」ってすすめてくれたものなんです。すごく可愛くて、しかも思い入れがありそうだったので理由を聞いたら、もとはすごく小さいサイズのドレスだったのをお店のみんなでリメイクしたって言うんですね。背中が開いているデザインになっているのは、サイズを大きくするために上下を切ったためで、ほかにも細かいところをお直しして、もう少し幅広く着られるようにしたって。そんなふうに手をかけた服は、私にとってお守りのように感じるし、今日のテーマにぴったりだなって思って選びました。

斎藤 本当ですね。

コムアイ 古着もそうですけれど、一回買ったものをまた社会に戻したり、服を買うのでなくて借りたりするのは、みんなの共有財産にするような感覚なのかなって思います。それとリペアとかリメイクの技術も大事だから、自分たちで身につけていきたいし、それこそ雑誌にはそういった情報を発信してほしいですよね。古い服もこうリメイクしたらおしゃれになるとか、簡単な縫製の仕方とか。あと染め直すことも最近いいなと思っていて取り組んでいます。小さい汚れが気になるけど染めたらまったく気にならなかったり、色が気に入らずに着られなかったものも染め直すことでお気に入りになったり。捨てたり、手放したりする前に、どんなオプションがあるかなって、一度考えることは大事だと思います。

斎藤 今、おっしゃったのは服をみんなで大事にする、ケアするということですよね。これが私たちの消費主義的な価値観から転換する大きなヒントになるんですよ。『人新世の「資本論」』でも書きましたが、ポスト資本主義の未来を構想するうえで、ひとつ重要な概念として、「コモン」と呼ばれる考えがあります。「コモン」とは、社会的に人々に共有され、ケアされるべき富のことです。現在の市場原理主義のように、あらゆるものを商品化するのではなく、かといって、かつてのソ連をはじめとした社会主義国家のように、あらゆるものの国有化を目指すものではない。水や電力、住居や医療といったものを公共の財産として、民主的に管理・ケアすることです。これにより過剰な競争や、貧富の格差を抑えることが可能になるのです。コムアイさんが考えるように、服も共有財産として自分たちでケアして、シェアしていこうよという社会は、「コモン」の要素を取り入れることになりますね。そうすると「服の生産を減らすと仕事を失う人たちがいる」という話に必ずなるわけですけど、長く着るためにリペアする人がいるよね、染める人もいないとね、服を共有財産として管理する人も必要だよね、というところで新しい雇用も出てくるし、新しい技術も継承されるだろうし。恐らくそこで行われている経済活動は、短期的な利益を求める今の資本主義とは違うものになっているんじゃないでしょうか。

 

「3.5% 」の人が本気になれば社会は変えられる


コムアイ 私は社会をよりよいものにしていきたいと思っているんですけれど、そのベースには既存の社会への怒りがあるので、怒ってばっかりになっちゃうんです……。かといって「これ、めっちゃ面白いからやろうよ!」っていうハッピーすぎるテンションも嘘っぽいし。革命を成功させるには、どういう姿勢で闘っていけばいいのか、悩みます。

斎藤 それについて、僕は男性なので怒ったり、声を上げたりすることのハードルはすごく低いんだなっていうのは最近感じますね。女性が怒りを表現するとただのヒステリー扱いされて、でも、男だったら熱い人みたいに言われたりする。だからジェンダー的な観点から考えると単純には言えないけれど、怒る必要はあるし、怒りをポジティブなエネルギーに変えていくこともできると思います。

コムアイ そうですね。怒らなきゃいけないことは怒るべきだし、怒り続けることで変えられることもある。そのときに、まじめに怒るのがかっこ悪いみたいな冷笑主義は本当によくないと思います。

斎藤 そういう意味で、若い世代が比較的声を上げるようになっているのはとてもいい傾向だと思います。ファッションってイメージだし、美しさが大事なのに「いや、でも環境破壊しまくってるでしょ」ってなったら、多くの人たちが楽しめなくなるわけです。つまりブランドも対策を遅らせれば遅らせるほど、短期的には生き延びられたとしても、長期的には多くの人たちがどんどんマイナスイメージを持つようになる。だから消費者ももっと怒っていいと思います。たとえば今海外のタバコの箱には、「これを吸ったらがんになります」とか「これはタバコを吸った人の肺です」みたいな感じで警告が載っていますよね。同じように服もタグに「これを作ってる工場はこんなひどい場所です」「ここで働いている人の肺はこうなりました」みたいなことをつけることだって考えられるわけです。

コムアイ とにかく声を上げ続けることは大事ですね。そして本を読んでいて「3.5%」という数字が希望の光でした。

斎藤 そうなんです。ハーバード大学の研究チームによると「3.5%」の人が、非暴力的な方法で本気で立ち上がると、社会が大きく変わるといわれています。考えてみたら欧米だってグレタ・トゥーンベリが運動を始めるまでは、気候変動の問題も全然進展していなかった。彼女ひとりで始めたことがまたたく間に広がったわけです。日本でも「もっと頑張らなきゃ」っていう人たちが増えていけば、大きく変わっていくんじゃないでしょうか。

コムアイ そうですね。それと個人ができることを考えたときに、私たちはペッドボトルを使わないとか、生活の中でできることをイメージしますけれど、デモをしたり、企業や行政に意見をメールするなど政治的な働きかけをすることも個人ができることだと考えたいんです。国家も一人ひとりが変えられるものだと思うので。そういう個人のパワーというものを今こそみんなで思い出したいです。

 

『人新世の「資本論」』

人類の経済活動の痕跡が地球のあらゆるところに残され、自然への負荷がマックスに達している時代「人新世」。資本主義の際限なき利潤追求を止め、気候変動を防止するにはどうすべきか。その方法を晩期マルクスの思想からひもといた現代人必須の書。「新書大賞2021」を受賞し、累計30万部突破。(集英社新書/1,122円)

Profile
KOM_I●1992年、神奈川県生まれ。アーティスト。慶應義塾大学総合政策学部卒業。2012年より「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、YouTubeで作品を発表。独特のパフォーマンスが話題に。ミュージシャンとして活躍する一方、モデルや役者としても活動。

Profile
KOHEI SAITO●1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。Karl Marx's Ecosocialism: Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に』堀之内出版)で「ドイッチャー記念賞」を受賞。



SOURCE:SPUR 2021年6月号「変革の時は今 斎藤幸平×コムアイ『服は未来を描けるか』」interview & text:Hiromi Sato photography:Wakaba Noda〈TRON〉