メガネの奥の瞳は、意外にキレイな学級委員

[丸尾君]「あなたは学級委員の座を狙ってますね、ズバリそうでしょう」が口癖の丸尾君。まる子とたまちゃんとスタモツチノコ株式会社を設立しようとするくらいには仲がいい。 深いグリーンのハイゲージニットにハイネックシャツを差して、清潔感のある知的な着こなしに。

ニット¥36,000・ハーフパンツ¥23,000/メゾン キツネ カスタマーセンター(メゾン キツネ) ハイネックシャツ¥12,000/サンスペル 表参道(サンスペル) メガネ¥33,000/G.B.ガファス(アルマミカ)

特別書き下ろしエッセイ①

ももこさんとのこと
文・柳原陽一郎

 1989年秋、ぼくは突然「たま」というバンドのメンバーとしてテレビに出る人になっていた。平成は始まったばかり。バブル景気の恩恵なんて全く受けたこともない、その日暮らしのアマチュアミュージシャンが「イカ天」というテレビのバンド合戦番組で勝ち抜いてしまった結果、自分ではコントロールできない奇妙な日々を過ごすことになってしまった。その頃ぼくは芝居にも出演していて、千秋楽の日にスタッフが「今日、さくらももこが見に来るらしいよ」と教えてくれた。テレビさえ家にない生活をしていたぼくは「さくらももこ」と言われてもよくわからない。なんとなく新人演歌歌手か漫才コンビの人が来るのかなと思った。芝居がハネたあとの打ち上げで、チロチロ視線をこちらに向ける女性がいた。地方の信用金庫に必ずいる地味なおねえさんという感じ。話をしたのかしなかったのかさえ憶えていないのだが、たぶんそれがももこさんとの初遭遇だ。
 1990年2月頃、「たま」の所属事務所が決まり、レコーディングをすることになった。河口湖畔のスタジオでリハーサル合宿をしたのだが、メンバー全員が慣れない取材とテレビ出演で心身ともにクタクタの状態だった。リハーサル合宿とは名ばかりで、ご飯を食べては全員、大部屋で雑魚寝をする日々。誰か(もしかしたらももこさん本人)が差し入れてくれた『ちびまる子ちゃん』の単行本が全巻あったので、皆でそれを回し読み。そのときにようやく、芝居の打ち上げにいた信用金庫のおねえさんと、漫画家「さくらももこ」が一致した。
 その数カ月後、ある雑誌で「たま」の連載が始まり、ももこさんがその連載用に4コマ漫画を描いてくれることになった。ご挨拶がてら中央線某駅近くのももこ邸に遊びに行った。おみやげに枇杷を持っていったのだが、それが妙にももこさんにはウケていた。「枇杷がおみやげだなんて今時そんな人いないよ~」って。その日ぼくは「一人たま」とか、「一人ビートルズ」なんてくだらない芸を披露したのだが、何より面白かったのはビデオ鑑賞会だった。見えざる力が働いたとしか思えない奇跡の瞬間ばかりを集めたビデオの数々。火事場から助け出されたばかりのおじいさんが饒舌に自分の昔話を始めたり、悲しみに沈む葬儀参列者の前をド派手なストリップ劇場の宣伝カーが通ったり……そんな神シーンばかりのビデオを見ては朝まで笑い転げた。
 それからももこ邸には時々遊びに行った。仕事場から出てきたももこさんが、「こんなの描いちゃったんだけどさあ」と言って、酒とおつまみが散らばってるテーブルの上で生原稿を見せるものだから、こっちはハラハラした。ちょうど「神のちから」を描いていた頃で、その内容に呆れるやら、感心するやら、もはやこの人のマジカル・くっだらない・ツアーは誰にも止められないだろうと思った。

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やなぎはら よういちろう●1990年にバンド「たま」のメンバーとしてメジャーデビュー。'95年にソロ活動を開始。歌作りとライブを活動の主軸としつつ、ジャンルを問わないセッションも行う。心の機微をファンタジーや言葉遊びに託した歌詞や、哀愁漂うボーカルが魅力。2018年12月にアルバム『小唄三昧』を発表。

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