【ビヨンセ】お嬢様から過酷な修行、流産と出産からの学び……「一番を目指さない」ビヨンセが女王になった理由

この春、緊急サイン会を行って日本を騒がせたビヨンセ。デコトラなどの観光写真もアップするなどして、話題をつくりつづけている。

歌も踊りもヴィジュアルも完璧なスーパースター代表格のビヨンセは、母国アメリカでも最高峰の存在として讃えられている。たとえば、ビルボードチャートで1990年代から2020年代にかけた四年代連続でナンバーワンヒットを記録したアーティストは、彼女とマライア・キャリーの二人だけだ。

一家の大黒柱をになわされた天才少女

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photo:Getty Images

1981年テキサス州の裕福な家庭に生まれたビヨンセ・ノウルズ・カーターは、大人しい少女だったという。圧倒的な歌唱力が発覚すると、父マシューが歌手キャリアを本格支援。まだ7歳だった長女に対し、コンテスト出場のみならず、歌いながら1キロ走らせるなどの熱血指導を課していった。この父が大企業をやめて子どもの芸能活動にフルコミットしたことで家族の経済状況は悪化。両親が別居することになり、10代の長女に一家の未来が懸かる状況になってしまった。

1990年代後半には、父のプロデュースのもと、R&Bガールズグループ、デスティニーズ・チャイルドとしてメジャーデビュー。映画『メン・イン・ブラック』『チャーリーズ・エンジェル』への提供曲をヒットさせ、世界中で人気を博していった。

流産と出産

21世紀に入ってグループが休止しても、20代となったビヨンセの快進撃はつづく。代表曲『Crazy In Love』や『Single Ladies (Put a Ring on It)』を大ヒットさせていき、ノンストップ状態で仕事に邁進し、世界中をまわっていった。日本でもサマンサタバサの広告塔として木村拓哉と共演を果たしている。

しかし、人生の転機となる悲劇に見舞われた。2008年に結婚したラッパーのジェイ・Zとのあいだで、複数回流産を経験。「子どもの母になる前に自分自身の親にならなければいけない」、つまり精神的に独立しなければいけないとする神の教えなのだととらえたビヨンセは、父のもとから去ってみずからの権限を確立した。そして2012年、長女に恵まれることとなる。

史上最高の「音楽界の女王」

2010年代、30代のキャリアは、より大きな視座で展開された。母親となって子の未来を第一に考えるようになったことで、音楽界で「ナンバーワンであること」が優先事項ではなくなったのだという。こうして、キャッチーなヒット曲よりも、より実験的な音楽、社会的なテーマのアルバム志向を強めることとなった。フェミニズム視点で人生の苦難を振り返る『Beyoncé』や、夫の不倫からブラック・ライブズ・マターへとつながる『Lemonade』など、自身の家系の機能不全の連鎖とアフリカ系アメリカ人の苦難の歴史を重ね合わせる大作にチャレンジしていく。

「一番」を目指さない革新的かつ社会派な方針は、ビヨンセを特別な女王の地位にひきあげた。Netflixドキュメンタリー『HOMECOMING: ビヨンセ・ライブ作品』で映される2018年コーチェラ・フェスティバル公演は、後輩のチャンス・ザ・ラッパーより「マイケル・ジャクソンを超えた史上最高のショー」とまで評されている。

人生で一番楽しい40代

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双子にも恵まれたビヨンセは、40代となった現在が人生でもっとも楽しい時期だという。社会問題への関与はつづけているが、仕事では個人としての楽しさを重視するようになった。現在展開されているアルバム三部作における『ルネッサンス』はハウス&ダンス、このたびの『カウボーイ・カーター』はカントリー&アメリカーナで、どちらも「白人のジャンル」というイメージがついたサウンドの黒人ルーツを再解釈しつつ遊び心に満ちた内容になっている。日本での緊急サイン会も、ファンとの楽しい交流を望んでのことだったのだろう。

辰己JUNKプロフィール画像
辰己JUNK

セレブリティや音楽、映画、ドラマなど、アメリカのポップカルチャー情報をメディアに多数寄稿。著書に『アメリカン・セレブリティーズ』(スモール出版)

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