シンメトリーの言語芸術とファッションの出合いがもたらすのは、どこまでも自由な解釈と、無限に広がるイマジネーション。唯一無二の創作を続ける美術家が紡ぐ神秘的な作品に身をゆだね、未知の世界へ
シンメトリーの言語芸術とファッションの出合いがもたらすのは、どこまでも自由な解釈と、無限に広がるイマジネーション。唯一無二の創作を続ける美術家が紡ぐ神秘的な作品に身をゆだね、未知の世界へ
インタビュー / 福田尚代 “言葉は雲のように”
言葉と戯れ、その概念を広げるアーティストに、クリエーションの起点や動機を聞く
制約があるから見えてくる新しい景色を求めて
――回文をはじめ、文字や言葉にまつわる作品を生み出し続けている福田さん。その関心の原点を教えてください。
「小さい頃から本を読むことが好きでした。文字を読むと、そこにはない景色が目の前に現れる。まるで魔法のようで、自分だけの秘密を持っているような感覚があったんです。中でも一番衝撃を受けたのが、小学3年生のときに出合ったジュール・ヴェルヌの名作『海底二万海里』。魚の名前がずらっと並んでいるページがあって魅了されたのを覚えています。今思えば、このときから“世界は言葉でできている”と考えるようになったのかもしれません。私の創作の根本を築いた原体験ともいえます」
――そんな読書好きの福田さんと回文との出合いはいつ頃ですか。
「皆さんと同じく子どもの頃です。“さかさ”のような言葉遊びに出合うたびに人一倍驚き、そこには言葉の謎が潜んでいるのではないかと感じていました。その後20代になり、いくつかの偶然が重なって、自分でも回文を書くようになりました」
――回文のどういった点に強く惹かれたのでしょうか。
「回文には、始まりから読んでも終わりから読んでも同じにならなければいけないという制約があります。ですから、書きたいことをそのまま書けるわけではありません。でも、それがよかった。もともと私は自己表現には興味がなく、文章でも美術でも、自分を前面に出したいとは思わない。むしろ若い頃から、自分から離れたいという気持ちがありました。そうした中で、制約に身を置くことで私などには思いもよらない景色に出合える回文こそ最も適した表現方法だったんです」
――今回SPURでは、福田さんの回文作品から着想を得て、ファッションストーリーを撮影しました。
「自分の回文をもとにビジュアルが作られるという試みは初めてで、とてもうれしく思っています。過去作をピックアップしていただいたほか、この企画のためにふたつの書き下ろし作品を用意しました。編集部からは、 ファッションアイテムや纏うことにまつわるキーワードを回文に入れるというリクエストをいただきましたが、このようにお題をもらうのも初めてのことです。新鮮な気持ちでペンをとり、書かせていただきました」
――その作品を受け取り、SPURがビジュアル化。第三者が自身の作品に新たな解釈を加えることについてはどのように感じますか。
「過去にこんなことがありました。私にとって人生で一番つらい時期に生まれた作品を、ある展覧会に出品した際、カップルが話しながら笑顔で鑑賞していたんです。その姿を目にしたときに作品が浄化されたような、私自身も癒やされるような感覚があって、今でも深く心に残っています。作品を受け止める人の心の中に起きていることは、誰にものぞくことも知ることもできません。ですので、作品の受け取り方について、私から何かを求めるのはおこがましいと思っています」
――編集部が掲載する回文を選定する過程で、イメージは浮かぶものの、意味を正しく受け止められているのかと迷う瞬間もありました。そのお話を伺い、より自由な気持ちで作品に向き合うことができました。
「言葉は通常、人が何かを伝えるための便利な道具ですが、私は、人がいないところに言葉そのものが存在していると思っています。回文を書くとき、前から読んでも後ろから読んでも同じになるように言葉を並べていると、ひらがなは意味のまとまりを失い、一文字一文字に分解されていく。その断片がたまたまある組み合わせになったとき、雲のようにぼんやりとしたイメージが立ち上がる。でもそれは一瞬のことで、すぐに別の組み合わせへと変わっていく。だから、書いている私自身でも最後まで意味がわからないこともある。解釈は人それぞれでいいのだと思います」
制作に向き合う時間が自身を保つ術だった
――現在、神奈川県立近代美術館の鎌倉別館にて、初期の大作から新作までを展示した企画展『福田尚代 あわいのほとり』が開催中です。展示作品の中には、回文のほかに、膨大な量の消しゴムを船やベッドなどの形に彫刻して制作された《漂着物/波打ち際》や、〝蓮〟という文字を何十万回も書き込んだ《不忍、蜘蛛の糸》など、いずれも膨大な時間をかけて制作された作品が並びます。効率やスピードが重視される時代に、あえて時間をかけて制作し続ける理由を教えてください。
「時間をかけて作り続けることは、私の中でごく自然に大切にしてきたことでした。若い頃はさまざまな事情で美術に専念できない時期もあり、自分のためだけに使える時間は限られていました。だからこそ、その合間にできる消しゴムの彫刻を始めたのだと思います。消しゴムは柔らかくて削りやすく、小さいので、少し早起きすれば一日1個くらいは作れる。どんなに大変なときでも、それを自分に課して続けてきました。回文に関しても、最初の20年ほどは誰にも認められないまま続けてきました。それでも続けられたのは、誰かに見せるためというよりも、『そうしている時間そのもの』が自分にとって必要だったから。その時間に助けられて、自分を保つことができていた。メディテーションのようなものかもしれません。生き延びるための糧として作っていたものが、今こうして見てもらえるものになり幸運ですね」
――最後にSPUR読者へのメッセージをお願いします。
「お好みの服を纏って、ぜひ作品に会いにいらしてください。きっと何かを受けとっていただけると思います。また、丹精を込めた本『あわいのほとりのひとり』も、近しい感性を持つ未知の方々に、手にとっていただけたらうれしいです」
『福田尚代 あわいのほとり』
会場/神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
会期/開催中〜5月17日
初期から新作を含む主要な作品と併せて、美術と言葉を往還するアーティストの創作世界を紹介。作品を肌で感じられるインスタレーションや書き下ろしの回文も展示。見どころは、近年、作家が関心を寄せる「あわい」をテーマにした《漂着物/ひとすくい》や《漂着物/波打ち際》だ。
《漂着物/波打ち際》部分 撮影:髙橋健治
『あわいのほとりのひとり』
平凡社/3,300円
回文と美術作品を収録した最新作品集。作家・詩人の池澤夏樹の特別寄稿による解説「福田尚代論のためのメモ」や、著者インタビューも収録する。
1967年埼玉県生まれ。「世界は言葉でできている」という独自の思索を、言葉と美術を通して探求。回文に取り組むほか、本や栞紐、手紙、鉛筆、消しゴムなど、いずれも言葉に関わり、人の手に触れられた記憶を宿す物を素材に、削る、折る、切り抜く、ほどく、糸で縫うといった技法を用いて作品を制作する。






