「KYOTOGRAPHIE」の写真家たちが考える。写真は社会のために何ができるのか

4月より開催される「KYOTOGRAPHIE」(京都国際写真祭)のテーマは「SOURCE」。ルーツや源、始まりを意味する言葉を世界各国の写真家がそれぞれ解釈した。SPURでは展示を行うフォトグラファーに、自身の創作活動の源、そして社会との向き合い方を聞いた。写真が提示した新しい世界の在り方を一緒に考えたい。

川内倫子さんと潮田登久子さんが考える、写真が持つ力

「KYOTOGRAPHIE」の写真家たちの画像_1

『From Our Windows』

川内倫子「Cui Cui + as it is」
潮田登久子「冷蔵庫+マイハズバンド」

Supported by KERING’S WOMEN IN MOTION

川内倫子さんプロフィール画像
川内倫子さん

かわうち りんこ●1972年生まれ。2002年に写真集『うたたね』『花火』(ともにリトルモア)で第27回木村伊兵衛写真賞受賞。国内外で作品を発表し続けている。近著にエッセイ『そんなふう』(ナナロク社)のほか、写真集を多数発表している。

潮田登久子さんプロフィール画像
潮田登久子さん

うしおだ とくこ●1940年生まれ。石元泰博と大辻清司に師事し、1970年代からフリーの写真家として活動をスタート。代表作に「冷蔵庫」や「本の景色」シリーズなど。写真集『マイハズバンド』(トーチプレス)を2022年に発表した。

生活の中、目の前にある、身近なものを撮る

「as it is」川内倫子
「as it is」は、川内倫子さんが自身の出産から約3年間、子育てを通して撮りためた風景を収めたシリーズ。初の写真集『うたたね』から20年を経て、家族の姿を通じて日常風景を写した原点回帰ともいえる作品群だ。川内さんが綴った「母親」としてのテキストも挟み込まれる

——お二人が「KYOTOGRAPHIE」でコラボレーションをする展示とは、どのような内容になるのでしょうか。

川内(以下K) タイトルは『From Our Windows』に決まりました。会場となる京都市京セラ美術館で、二つの部屋それぞれを窓に見立てて、別々ではあるものの、緩やかにつながっていることが感じられるような空間をつくろうと考えています。

潮田(以下U) 作品については私よりも見る人のほうが深く読み取ってくださることも多くて、いつも驚きがあります。それは評論という視点ではなく、初めて見る人でもそうやって写真を“読んで”くれている感じがする。だから今回の展示も、見てくださる人にどう感じるかはおまかせしたいです。

 潮田さんの代表作の一つに、家庭の象徴ともいえる冷蔵庫を写したシリーズがありますよね。2年前に刊行された『マイハズバンド』もそうですが、被写体が身近な家族というのは、私の被写体とも通底するものだなと思っています。

「as it is」川内倫子

——お二人ともまだ女性の写真家が少ない時代から活動されていますが、自身のことや社会のことで変化を感じていることはありますか?

 時が流れても、目の前にある身近なものを対象に写真を撮って発表する、表現方法自体は昔も今も私は変わっていません。でも、時を経て、人々の中で社会に対する考え方が大きく変化してきたことは感じますね。

 私の場合はきっと潮田さんの時代に比べたら、女性が活動しやすい時代に生まれていますよね。先人の皆さんのおかげで今があるんだと実感しています。時代が少し違えばこうやって仕事や活動もできなかっただろうなって。写真の世界のことで言えば以前は軽量の機材も少なかったし、もっとマッチョな業界だったなと思います。一方で、男性は「強くあらねば」という思想を押しつけられていたと思うのでそれも大変だったはず。これは女性だけの問題ではなく、社会全体の問題だと思いますが、今後は社会がもっと変わっていかなければならないと感じますね。

U 私は写真を撮ることが人生そのもので、女性男性ということはあまり意識していなかったし、むきになって怒るようなことはなかったんです。でも昔、撮影現場に行ったら「女なのにスカートをはいてこないの?」と言われたなんてことがありましたね。今思えばあまりにもばかばかしいことですけど、ただその男の人も悪気があって言ったのではなくて、若い女の子にちょっと声をかけてあげたというくらいの意識だった。そういう社会でしたからね。

K 自分のことで言えば、昔と基盤となるところは変わってないのですが、やっぱり子どもを産んだことは大きな変化だったと思います。7歳の娘がいるのですが、子育てをしていると社会と自分は関係ないでは済まされないことがたくさん出てきて。子どもの未来を考えるようになって、さまざまな社会問題に対して前よりもリアルに感じるようになったと思います。そういえば今、写真展をやっていて(2月24日まで開催された『Tomorrow is another day』展)、20年ぐらい前にアフガニスタンを訪れた際の写真を展示しているんです。久しぶりに当時撮影したプリントを並べて見て、あのときは行けたけど、今はこの場所には行けないなと思ったんですよね。

U それは物理的に?

K 精神的にもですね。アフガニスタンに行くときには、遺書を書いて行ったんですよ。本当にその可能性もあったし、覚悟もあったから。若かったこともありますが、「自分の目で現地を見なければならない」という使命感に駆られているような感じでした。実際に現地では戦闘用の銃を持った兵士が護衛について、悪路を10時間も車で移動することもあったりして。でも今は、自分の子どもを守るために死ねないという気持ちが一番だから、やっぱり行けないですね。

U すごい体験ですよね、戦争のための銃なんて目の前で見たら相当なものだと思います。

写真の中に写り込む “毒”とリアリティ

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約40年間発表されることのなかった、夫で写真家の島尾伸三と娘・まほと世田谷区・豪徳寺にある洋館の一室で暮らす日々を写した「マイハズバンド」シリーズ。モノクロで写した家族や、生活の中にある「もの」の痕跡や気配には、静寂とにぎやかさ、孤独がないまぜになった潮田さんの表現が光る

——普通は見過ごしてしまうものをカメラ越しにとらえていると思うのですが、どのような世界を見ているのでしょうか。

U たとえば、本ばかりを撮った「本の景色」シリーズがあるのですが、最初は漠然と本を撮ってみたいと思っただけなんですよ。でも、ただ本を撮っているだけだと飽きてしまう。本を「もの」として外側から撮っているわけだから、ちゃんと私ならではの目線が必要。そうじゃないと写真は面白くならない。あえて図書館にあったボロボロになった昔の本を撮らせてもらったことがあるのですが、図書館の方が「お金がなくてこんな状態だということを世間に知られてしまう」って言ったんですよ。でもこちらは、「あ、やった! 私の視点で撮れたんだ」と思うわけ。そうすると、楽しくなって次に進めるのね。でも、また飽きるから撮り方を模索する。そうやって続けていたら何十年もたっていたという感じなんですよ。

K 私の場合はカメラを持つとスイッチが入る感覚があります。モードに入って、集中するというか。カメラを持ってないときはもう少しぼやっとしていますね。

U 写真って、身近で些細なものを写していたとしても、その中にちょっと意地悪な視線や“毒”のようなものがスパイスとしてあることが大事だと思っています。どんなこともいい面ばかりではないし、毒がないと面白くないですからね。

K とても共感します。いろんな要素が織り交ざっているのがいいなと思っているので。写真には、自分が生きている同じ世界の現実にあったことが写るから、リアリティを伴って感じることができますよね。そんな力が写真にはあるのではないかと思います。

ヴィヴィアン・サッセンが模索する、写真表現の次なる目的地

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『PHOSPHOR|発光体:アート&ファッション 1990ー2023』

Presented by DIOR

Viviane Sassenプロフィール画像
Viviane Sassen

1972年、アムステルダム生まれ。幼少期をケニアで過ごし、ユトレヒト芸術大学とアトリエ・アーネムで写真を学ぶ。2007年にオランダで最も権威ある芸術賞のローマ賞を受賞。

自分の二つの面を象徴する、ファッションとアート

ヴィヴィアン・サッセンというアーティストの名前を聞いて、最初に頭に思い浮かぶのはどんなイメージだろう? 幼少期を過ごしたケニアや南アフリカで現地の人々をモデルに撮影した、謎めいた写真の数々? ステラ・マッカートニーやルイ・ヴィトンといったメゾンの広告キャンペーンビジュアル? もしくは、大胆にカットアップした写真で構築したシュールなコラージュだろうか? 

光と影が交錯しビビッドな色彩がコントラストを成す、彼女のマジカルなビジュアル表現。それらを堪能できる、キャリア最大規模の回顧展が『PHOSPHOR: Art & Fashion1990-2023』だ。さる2月までパリのヨーロッパ写真美術館(以下MEP)で開催されていたこの話題の展覧会が、「KYOTOGRAPHIE」にやってくる。

「MEPは非常にヨーロッパ的なクラシカルな建物なんですが、『KYOTOGRAPHIE』で会場に用いる場所は、ラフでインダストリアルな、まったく違うタイプの空間(京都新聞ビルの地下にある印刷工場跡)。そこに、セノグラファーの遠藤克彦建築研究所の協力を得て展示スペースを用意するんです。日本人の視点でさまざまな課題に対して、われわれ西欧の人間とは異なる回答を提示してくださるはず。最終的にどんな仕上がりになるのか自分でも読めないので、今からとても楽しみです」と話すヴィヴィアン。

普段は「この先に何が待っているのか探し出すこと」に夢中で、過去を振り返ることにはさほど興味を抱かなかったという。しかし、一年を費やして本展の準備を進める中で、さまざまな発見があったそうだ。

「MEPのキュレーターであるクロチルド・モレットとの共同作業で展覧会を作り上げたんですが、作品の数があまりにも多く、すべてを見てもらうのは物理的に難しくて。まず私自身が各時代、各シリーズから、展示したい作品の候補を大まかにセレクトしました。自分のベストを選ぶつもりで。すると、すっかり存在を忘れていたピースが見つかったりしたんです。たとえばその一つは、1990年に撮影した自画像にペインティングを施した作品で、まさに、ここ数年間に私が試みてきた手法なんですよね。“30年前と同じことをやっているのか”と愕然としました(笑)。もちろん表現は当時より深まっている。でも、核の部分は変わっていないんです」。

そこでヴィヴィアンは、展覧会のスタート地点を1990年に設定。当時18歳だった彼女は芸術大学に進んで写真を専門的に学び始めた。“Art & Fashion”とタイトルに掲げているように、卒業後プロとして仕事を始めた当初からパーソナルなアート写真とより商業的なファッション写真、二つの表現を並行して追求してきた。時にはその境界線をぼかしながら。

「アート写真とファッション写真はお互いに影響し合い、同時に進化してきました。アート写真の制作で得た知見が、ファッション写真に反映されるのはもちろんのこと、逆の場合も少なくありません。私は『POP』や『PURPLE』といったインディペンデント雑誌でファッション写真を撮影することが多く、自由に実験的な試みを行なってきました。またその撮影には大勢の人が関わりますから、コラボレーションを通じてさまざまなアイデアを試すこともできるので、そういった体験がアート作品に影響を与える。

過去にも言ったことがありますが、両者は私のパーソナリティの二つの面を象徴していて、内向的な面を象徴するのがアート写真。ややシリアスかつメランコリックです。他方で、外向的な面を象徴するファッション写真はよりプレイフルですから、両者のバランスをとることが私にとってすごく重要なんです」

本展を構成する上でも、そのバランスをヴィヴィアンは重視。ファッション写真とアート写真だけでなく、ほかにもアナログ表現とデジタル表現といった補完的なカテゴリーに分けられる作品を、バランスよく配置した。

「とはいえ、カテゴリーに関係なく、すべての作品が必要なことに気づきました。究極的にはどれも生と死に関わっており、誘惑や思慕、恐れといったテーマが共通していた。これらの作品は自分の内面のエモーショナルな領域において、カタリストの役割を果たし、制作を通じて一人の人間としても成長できたんです」

人生、キャラクターを形成した、 幼い頃の記憶を振り返る

「Of Mud and Lotus」シリーズの「Eudocimus Ruber」 
ペインティングを施し、異なる質感イメージ同士をコラージュし、写真を再構築する「Of Mud and Lotus」シリーズの「Eudocimus Ruber」 

そんな自分の歩みをまとめ上げる言葉として、彼女は“発光体”を指す、“PHOS
PHOR”を選んだ。若い頃から愛着を抱き、常に心に引っかかっていた言葉なのだとヴィヴィアンは説明する。

「どこで最初に目にしたのか定かではないんですが、20代前半に、当時のボーイフレンドの部屋のドアに“PHOSPHOR”と書いたのを覚えていて(笑)。とにかく本当に長い間、私とともにある言葉なんです。文字を並べたときの見え方や、発音したときの聞こえ方にも惹かれました。また、内から光を放つことを示唆するという意味も美しい。そして“PHOTOGRAPHY”に通ずる部分もありますからね」

展覧会の開催に合わせて同じタイトルの写真集も出版。一つの区切りをつけたことで大きな解放感を味わっている彼女は、このあと新たな一歩を踏み出すにあたり、アーカイブスのクリーンアップを考えている。

「展覧会と写真集で自分の歩みを検証し終えた今、もう過去のことは考えずに済みますし、古い作品を思い切って処分するつもりです。そうしたら、すごく身軽に感じられると思ってて」。次にやりたいことも、徐々に見えてきたようだ。

「Lexicon」シリーズの「Milk」
ルーツであるアフリカを再訪して撮影した「Lexicon」シリーズの「Milk」。「Lexicon」は20 13年の第55回ヴェネツィア・ビエンナーレで展示するために選んだ、新旧の作品で構成されていた

「昨今新たなメディアとして、AIの進化が注目を浴びていますよね。でも私には関心が持てないんです。AIが生むイメージは、最初に見たときのインパクトはありますが、印象に残らないことが多い。魂にまで届かないというか。そんなことを考えているうちに改めて、“写真の本質とは何なのか?”と自問し始めたんです。

そして、自分が最も親しみを抱く写真は、亡くなってしまった人たちのポートレートなんだと悟りました。これまでそれを撮影することにあまり興味が湧かなかったんですが、最近は心が傾き、近い将来シリーズとして取り組むことを考えています。来年アムステルダムは市制750周年を迎えるので、この街で暮らす人たちの姿を撮るのもいいですよね」

また、とあるブランドの仕事で近々ケニアでの撮影を予定しているヴィヴィアン。かつて暮らした村に足をのばし、自分の世話をしてくれた乳母に会うつもりだと、楽しそうに語る。

「今年の『KYOTO GRAPHIE』のテーマである“SOURCE”は、源泉から尽きることなく湧き出る、意識とクリエイティビティの流れを想起させます。私にとってそれは、ケニアで生活していたときに刻まれた人生最初の記憶に結びついていて、のちに制作する作品に決定的な影響を及ぼしました。3〜4歳の頃の体験は私たちの世界観の形成に多大なインパクトを与えますからね。そういう意味で、50代に突入し、展覧会でキャリアを総括して、そしてケニアで暮らしていた村を訪れることで、一つのサイクルが完結し、出発点に戻ってきたような気分です」

『Dior Magazine』の2021年春夏号より
ディオールがシーズンごとに刊行する『Dior Magazine』の2021年春夏号より

彼女いわく、自分がアフリカ各地で撮影する写真には文化的盗用につながる側面があると——特にブラック・ライヴズ・マター運動が起きてから——しばしば指摘されるようにもなった。ヴィヴィアンはこうした批判を真摯に受け止め、自分なりの回答を見出したという。

「白人女性が、権力行使のツールになり得るカメラを手にして、自分を優位な立場に置いているのですから、そういうふうに判断される側面は理解できます。しかし、カメラは関係性を築くツールであり、どのようにコミュニケーションをとるかを重視しています。究極的には誠実な活動姿勢を貫くよりほかないと思うんです。他者とコネクトするためにこのツールを用い、最善を尽くしたい」

クラウディア・アンドゥハルが写し続けた、正義のあるべき姿

『ヤノマミ|ダヴィ・コペナワとヤノマミ族のアーティスト』

Thyago Nogueiraプロフィール画像
Thyago Nogueira

サンパウロのモレイラ・サレス研究所の現代写真部門長兼、同研究所が出版する雑誌『ZUM』の編集長。キュレーターとして森山大道やウィリアム・エグレストンの展覧会を手がけ、ハッセルブラッド国際写真賞2019などの審査員も務める。

飾るためではなく社会正義を もたらすツールとしての写真

『Claudia Andujar: The Yanomami Struggle With Davi Kopenawa and Yanomami Artists』
「クラウディアは目に見えない、シャーマンが司るヤノマミ族の精神世界を記録しようと試みたんだと思います」とチアゴが解説する、超現実的な70年代の写真シリーズより。ともにブラジル北部ロライマ州で撮影。赤外線フィルムで撮ったヤノマミ族の少女

ブラジルのサンパウロにある写真美術館モレイラ・サレス研究所で2018年に開催されて以来、各地を巡回し、一人のフォトグラファーととある先住民の名前を世界中に浸透させてきた展覧会がある。

このたび「KYOTOGRAPHIE」では凝縮バージョンとして披露される『Claudia Andujar: The Yanomami Struggle With Davi Kopenawa and Yanomami Artists』だ。同研究所の現代写真部門長でキュレーターを務めたチアゴ・ノゲイラは、「12年前に着任したときから、クラウディア・アンドゥハルの作品の再考が急務だと思っていました。私にとってブラジルを代表するのみならず世界的な写真の巨匠であり、正当な評価と理解が成されていないと感じたんです」と話す。

現在92歳になるクラウディアの故郷はスイス。ルーマニア領のトランシルバニアで育つが、第二次大戦中にユダヤ系の父とその家族が強制収容所で亡くなり、彼女もホロコーストから逃れるために母とアメリカに移住。さらに大学卒業後にブラジルに渡ってフォトジャーナリストとして活動を始めた。

そして、1971年に雑誌の仕事で初めて、アマゾンの最深部で暮らす先住民ヤノマミ族と接触。たびたび足を運んで人々の信頼を勝ち取り、写真を介してまだ世界に知られていない文化や日常を伝えるようになる。その後、開発や病気によって存続を脅かされてきた彼らの権利の擁護にも情熱を注ぎ、スポークスパーソンでシャーマンでもあるダヴィ・コペナワや仲間とともに、ヤノマミ族が比較的平和に暮らせる継続的保護区の設置を実現させた。

すヤノマミ族の儀式の様子
死者への敬意を示すヤノマミ族の儀式の様子

クラウディアと多くの時間を過ごし、アーカイブスを丹念に調査したチアゴは、そんなヤノマミ族との関係に焦点を当てて、彼女たちが刻んだポリティカルなインパクトを伝えようと、本展を企画。自らもヤノマミ族を訪ねてダヴィの協力を取りつけた。そして、時代とともに変化していったクラウディアの写真にダヴィの言葉やヤノマミ族のアーティストによる作品や映像などを織り交ぜて展示することで、彼らの視点も反映させている。

「ヤノマミの人々にも自身の想いを語ってもらい、彼らの目にクラウディアの写真がどう写っているのか、彼らの世界観がどういう点においてユニークなのか、われわれはそこから何を学べるのか、そういったことを問いかけています。

キュレーションに着手した当時、クラウディアの写真はコレクターの間で人気が高かったものの、活動家の側面が忘れられていました。彼女はしばしば、“写真は私が人生で成し遂げた最も重要なものではない。私は社会正義の実現に全人生を捧げ、写真はそれを実現するツールの一つだった”と話していたにもかかわらず。彼女は粘り強く、頑固で、ひたむきな人です。ホロコーストで家族を失った経験から闘うエネルギーを得たとも語っていました。私はそういうアートの域を超えたクラウディアのストーリーを伝えたかったんです。貪欲さや資本主義、そしてマイノリティへの暴力に対抗すべく紡ぎ続けた物語そのものを」

当のクラウディアは、現在は老齢のために公の場には姿を見せていないが、「私が時折家を訪ねると、いつも“ヤノマミ族の状況はどうですか?”と心配していますよ」とチアゴは言う。

「生物学的には子どもがいないものの彼女は、ヤノマミの人たちを“私の息子たち”と呼び、彼らはクラウディアを“母”と呼ぶ。本当に美しい関係だと思います。世界中でヤノマミ族の認知度が高まることが、彼らの保護につながるんです。それにクラウディアとヤノマミ族を巡るストーリーは、気候変動や人種差別などわれわれが今直面している問題の数々とも、大いに接点がある。だからこそこの展覧会は、各地で多くの人の心を動かしてきたんだと思います」

世界を動かしたのは、市民一人ひとりがとらえた写真

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ヒジャブをかぶらない女性が写る写真はマフサの故郷の町サッケズで2022年10月に撮影。マフサを追悼するため数千人が集まった

『イランの市民と写真家たち あなたは死なない ──もうひとつのイラン蜂起の物語──』

Ghazal Golshiriプロフィール画像
Ghazal Golshiri

1981年テヘラン生まれ。2006年に渡仏、2011年に「ル・モンド」紙に記者として入社。国際部に所属して中東地域を担当。2016年から3年間イラン特派員を務めた。

Marie Sumallaプロフィール画像
Marie Sumalla

1980年ペルピニャン生まれ。マグナム・フォト勤務を経て、2011年から「ル・モンド」紙のフォト・エディターに。写真やビジュアルのセレクションなどを統括。

一般市民の目を通して記録した、 イランの歴史的転換期

サッケズにあるマフサの墓
サッケズにあるマフサの墓。SNSに投稿され、ペルシャ語版のBBCにも掲載されたこの一枚は、彼女の墓を写した最初の写真

それは2022年の9月のこと。22歳のクルド系イラン人女性のマフサ・アミニが、イランで全女性に公の場所での着用が義務づけられているヒジャブを適切に着用しなかったとして逮捕され、勾留中に死亡。これをきっかけに、女性たちが主導する形で、自由を求めるかつてない規模の反政府デモが起き、イラン全土に拡大した。

「マフサの死が報じられたときはこれほど大きなムーブメントに発展するとは思ってもみませんでしたし、イランの人々に畏敬の念を抱いています」と語るのは、フランスを代表する日刊紙「ル・モンド」の記者で、自らもイラン出身のハザル・ゴルシリ。「KYOTOGRAPHIE」でフランス国外では初披露となる『You Don’t Die』は、彼女が同紙のフォト・エディターのマリー・スマラとともに、イランで起きたことの一部始終をビジュアルで記録するべく、企画したプロジェクトだ。

昨年2月にオンライン版で公開された『You Don’t Die』はほかの同種のプロジェクトとは一線を画していた。そこに掲載されていた写真や映像の大半は、イランの一般市民が撮影し、SNSに投稿したものだったのである。そんなアプローチを選ぶに至った経緯を、次のように説明する。

「ジャーナリストとしての私たちの仕事は、専門的解説を添えて読者に情報を伝えること。このプロジェクトも、同じスタンスで、イランのストリートで起きていることを伝える最良の方法を模索する中で思いつきました。というのもイランでは海外メディアの入国が制限され、公式ルートで入手できる写真がほぼないんです。そこで、SNSをチェックしようとハザルが提案したんです。真実はそこにあるのではないかと考えて」(マリー)

SNSにはフェイク画像もあふれていることから、二人は現地のジャーナリストたちの協力を得て、長い時間をかけて一つひとつ写真と映像の出自の裏づけを取り、撮影者の使用許可を得た。

「SNSの投稿はいつ消されるかわからないからこそ、これらの写真と映像でイランでの出来事を記録に残したかった。かねてより一方的な観点から見た歴史を押しつけてきたイラン政府に対し、私たちは“カウンター・ヒストリー”を提示しているんです。何十年後であろうと関心を抱いた人は誰でも見ることができるので、意義は大きいと思います」(ハザル)

その後『You Don‘t Die』は、フランスのペルピニャンで毎年開催されている、世界最大級のフォトジャーナリズムの祭典「Visa Pour l’image」に出展され、大きな反響を得た。「報道写真に特化した『Visa Pour l’image』で、市民が撮影した写真や映像が主役の企画を取り上げるのは初めてだったんです。プロが撮影した古典的な報道写真を見ることに慣れていた来場者は、そこから伝わる強烈なエネルギーに圧倒されていました」(マリー)

ジャーナリストのニルファール・ハメディ(右)とエラヘ・モハンマディ(左)
マフサの死を報じたために16カ月間拘束された、ジャーナリストのニルファール・ハメディ(右)とエラヘ・モハンマディ(左)。テヘラン北部にある刑務所からの釈放直後に撮影された

「KYOTOGRAPHIE」ではより広い層にとってわかりやすい内容になるよう、歴史的な文脈の解説を添えるなど、アレンジを加えるという。中でも二人が、特に重要な一枚に挙げるのは、本展の印象的なタイトルをインスパイアした写真。

そこには、“あなたは死なない、あなたの名前はシンボルになるだろう”と、マフサの叔父が綴ったクルド語の追悼文を刻んだ、彼女の墓碑が写っている。実際その通りの結果になり、「あれ以来イランで何かが確実に変わった」とハザルは明言する。

「最終的にデモは鎮圧されたものの抵抗は続いていて、ヒジャブを着用せずに出歩く女性が増えています。それを理由に職場から解雇されたり車を没収されたりと、彼女たちは罰せられていますが、イランの女性が受けている差別の実態がより可視化され、多くの男性がそういった現実を知ることにもなりました。そして街のあちこちに今も、デモに使われたスローガンを書いた看板が残っています。

そもそも、イランで生きることのリアリティと切り離せなかったヒジャブの強制がここにきて揺らぎ始めたというのは、ただ事ではありません。ならばほかの部分も揺らぐのではないかと人々は考えているでしょうし、今後さらに大きなムーブメントが起きる可能性があると思います。京都で『You Don’t Die』を見てくださる方々には、世の中に変化をもたらすことは可能で、誰もが重要な役割を果たせることが伝わればうれしいです」

KYOTOGRAPHIE 京都国際写真祭

会期:2024年4月13日〜5月12日

会場:京都文化博物館 別館、京都新聞ビル地下1階、二条城 二の丸御殿 台所・御清所、京都市京セラ美術館 本館 南回廊 2階、京都芸術センターほか。

その他、エディターが現地取材したKYOTOGRAPHIEの見どころはこちら

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