2021 S/S COLLECTION REPORT
可能な限りリアルタイムでショーを追いかけた本誌編集長。その目と胸に焼きついたものは?
photography: IMAXtree/AFLO(2〜5)
1 多くの映画女優に愛されたメゾンの歴史にもちなんだ"ホテル ヴィヴィエシネマテーク"は現在もYouTubeで閲覧可能
2 カーテンに着想を得た詩的なレースのドレスも
3 遊び心と職人技、演劇性と彫刻性の見事な折衷技。類いまれなパターン技術があってこその構築力にも注目したい
4 1996年春夏コレクションの手描きの幾何学柄が、タイポグラフィとともに蘇る
5 ディズニーキャラとクチュールの精神が衝突。分解、再構築の過程から生まれる「不協和音」は、不透明な時代を生き抜く原動力となるか
誰も傷つかない、軋轢のない平穏な世界に音があるとしたら耳にやさしい協和音に違いない。昨年10月の朝、東京で行われたフロアショーは、反復する不穏な電子効果音、重機がきしむような不規則なノイズ、電車の走行音や海鳴りやうっとりするようなハープの調べまで、さまざまな音が刹那的に現れては消える真っ赤な空間で行われた。量感たっぷりのドレスは異素材と異質のモチーフがせめぎ合い、未完成で粗削りなようでいて危うい均衡を奏でている。狭い活動範囲で毎日を過ごし、見たいものだけを画面越しに選別する日常ですっかり弛緩した心身を素手でつかまれ、揺さぶられたような濃密なショーはやっぱりコム デ ギャルソン(5)だった。
パリと並行して東京でもショーが披露されていた頃、コム デ ギャルソンのそれは無音だったと記憶している。今のように携帯電話が支配的ではなかった当時、神経を自分の目に全集中して、禅寺に佇む心持ちでルックを見た。考える余地をあまりにも多く与えられたあの頃から幾何年、久々に東京で敢行されたショーで見たのは、異物と異物がクラッシュするときにだけ生まれる化学反応の力と、思考停止への警鐘だ。
尺度を共にする者同士の既定路線上のやり取りは安心だ。けれど、そこに圧倒的な新しいパワーは創出されるだろうか。閉ざされた安全地帯に逃げ込まず、異分子を抱え込み、既成概念を超えてただ前進し、試練に打ち勝とうとする気迫が伝わってきた。あえてなぜ今東京で力強いショーを行い、しかもコレクションテーマを明確に示したか。眠っていた目をこじ開けたあの不協和音は同時に、服という領域を超えて私たちの日常へ疑問を投げかけた。安易に協和しない服、その舌鋒はこんな時代だからこそ、鋭く輝く。
ロエベの場合は等身大ポスターからの語りかけという新しい刺激、"Show-on-the-Wall"だ。届けられた大判ポスターを殺風景な編集部の壁に貼ってみる。誇張されたクリノリンスカートを包み込む蚊帳のようなチュール、クチュールムードを裏切るスケートボード(3)――涼しい顔の「ロエベの人々」と目が合うたびに、ファッションの原点を見る気がした。崇高なサヴォアフェールが結びつけた異質同士の美、非現実的な美を掲示してみせたJ・アンダーソン流の救済が、どれだけ見る者を驚かせ、同時に癒やしたか。
現実を忘れさせるほどの陶酔といえば、ロジェ ヴィヴィエのドラマのすべてだ。かのイザベル・ユペールを主演に繰り広げられるちゃめっ気たっぷりのなぞなぞを解き、職人技に裏打ちされた端麗なシューズの楽園にたどり着く(1)。コメディ、スリラー、悲劇――贅沢すぎるこのショートフィルムのためにどれだけの情熱が割かれたのだろう。胸が熱くなる。
奇跡とも思えるコラボレーションにも鼓動が速まるほどの興奮を覚えた。バナル・シック時代のミウッチャのパターンを、ラフが手がけると?(4) テーマは「対話」。内的モノローグを服に躍らせ、美学的対話を促す。知性という共通項と、後進へと託す先達の全幅の信頼が垣間見えたルックは、力みのない情熱の火となって心に刻まれた。
最後に「窓」をテーマに掲げたブランド(2)。たとえどの国のどの町に住んでいたとしても多くの人が見たはずの光景が、美しい服になった。分断の時代にあっても世界は地続きで、私たちは皆どこかで分かち合っているのだというシンプルな事実が、未来を照らす灯となることを信じたい。
エディター IGARASHI
五十嵐真奈●SPUR編集長。美容専門誌を経て現職。趣味は相撲観戦、SPURおやつ部員。