卒業生だからこそ、経験に基づいてカリキュラムを一新
手仕事とは何かを理解し、 敬意に根差したものづくりをする
ラ・カンブル・モードがすごいらしい。そんな言葉が最近、ファッション界で飛び交っている。ファッションのイメージがあまりない都市、ベルギーのブリュッセルにある学校から、なぜ時代を担うデザイナーが次々と生まれるのか? 答えはディレクター、トニー・デルカンプの哲学にある。
「僕たちは王様としてのアーティスティック・ディレクターを養成しているわけではありません。理想的なクリエイターは、既存のサヴォアフェールを内面に浸透させて、心で受け止めます。それが自然と指先に行き渡って、何かが形になるんです。そして、彼らは手仕事とは何かを理解しているので、周りの人とのやりとりを通じて敬意に根差したものづくりをしています」
デザイナーとは、どうあるべきか? トニーがそんな究極の問いに対する明確な答えを持っているのは、彼自身がデザイナーだったからにほかならない。1989年、第3期生としてラ・カンブル・モードに入学した彼は、在学中にウィーンのヘルムート・ラングのもとでインターンを経験。ラングは、マルタン・マルジェラ、川久保玲とともに、当時の彼に多大な影響を与えた。
「彼らは服について、そのシルエットや構造、仕上げについて熟考し、真の革命を起こしました」と、トニーは絶賛する。
1994年にラ・カンブル・モードを卒業すると、当時のパートナー、サンドリーヌと一緒にブランドを立ち上げた。ブランド名は対話の抜粋でとても長い。Sandrine: “Comment tu la trouves?”, Tony: “Quoi?”, Sandrine: “Au milieu dos”(どう思う? なんだって? 背中の真ん中よ)。彼らの最初のコレクションでは、2枚の服を背中で縫い合わせて内側にタグを配し、両側からはタグを縫いつけたステッチがあらわだった。これを説明するのが長いブランド名なのだ。コンセプチュアルなコレクションは時代の空気に合い、売り上げは伸び出したものの、マネジメントの壁にぶち当たって1998年に7シーズンでクローズ。
しかし同じ年に母校から誘いを受け、2年生の授業のアシスタント講師を始める。そして翌年、当時のディレクターが他校に移ったため、モード部門を仕切ることになった。ラ・カンブル黄金時代の幕開けである。
「当時は技術面での指導が不十分で、授業も体系化されていませんでした。私がディレクターになったからには、システムを変えていこうと思ったんです」。デザイン画を描いたらパターンメイキング、それを組み立てて縫製、というありきたりのプロセスとはまったく異なる彼独自のカリキュラムは、少しずつ出来上がっていった。
「まずはダミーと布で、体の構造を理解。1年目と2年目は、技術面の基礎に徹底します。3年生の制作は、メンズに限定する。テーラーの技術を習得するためです」。トニーはストーリーテリングやムードボードを好まない。そこにこだわると、モードは進化しないと考えるからだ。
「考えなければいけないのは服、その内側と外側、ステッチについて。どの学年でも、大事なのは服なんです」
ここでは学生の選考の仕方もユニーク。200人近い応募者の第一の審査は、ファッションを除き、建築や写真も含むアートの分野から選んだ10点のビジュアルを提出。複数の分野から選んだものでも一貫性があれば、それらはひとつの世界観を成す。次は、一人20分の面談。
「選んだビジュアルが何を語るか、なぜ好きかなどを語ってもらいます」
選別された30人は、次にそれらのビジュアルを着想源に、紙に描いたデッサンやコラージュを5点提出。創造力をジャッジする基準はここでも服ではない。最終的に晴れて選ばれた1年生は、たったの15人程度。授業はアナログで、タブレットやAIとは無縁だ。
「私の授業ではデザイン画を描くこともパターンを作ることもないので、AIによる服の完成予想図は存在しません」と、トニーは断言する。彼をはじめ教師陣は課題に取り組む生徒たちの間を回り、一人ひとりに意見を述べたり軌道修正に導いたりする。
また世界各国の生徒たちに向けて英語で授業をする多くの学校と異なり、ラ・カンブルでは面談も授業も、フランス語。「ひとつの言葉が文字通りの意味にとどまり、シンプルで実用的な英語に比べて、フランス語にはもっとニュアンスがあります。フランス語圏でない人を排除するわけではないけれど、言葉は文化のひとつとしてとても大切」というのが、自身もフランス語を母国語とするトニーの見解。理論の授業を受ける上でも、言葉の理解力は大切だ。ラ・カンブルの母体が複数の分野に開かれた総合学校だけあって、毎週木曜と金曜はモード部門の生徒たちも絵画や建築のクラスに出席する。モード部門の近く、元カンブル大修道院内の本校キャンパスで開かれる講義だ。
こんな充実したカリキュラムを体験できる5年間の学費は、なんと年間平均たったの300ユーロ。4種類の料金設定があり、条件により、ベルギー人なら無料の場合もある。公立学校の強みとして生徒たちにはこの上ない好条件が提案される一方、経営は大変だ。
「ウェブサイトの制作から作品の撮影、生徒たちの作品を発表するショーのプロダクション、審査員招聘の費用まで、毎年私たちがスポンサーを探して工面するんです。公的援助も多少はありますが」と、トニー。ショーにはサンローランが協賛したこともある。卒業生の一人、アンソニー・ヴァカレロによる取り計らいだ。ラ・カンブルではほかのファッションスクール同様、年度末にショーが開かれるが、これに先んじて世界各国から審査員が来校し、各生徒と個別に面談をして、後に審査員団全員で協議をする。このとき、デザイナーが学生をヘッドハントすることも多々ある。ラフ・シモンズがマチュー・ブレイジーの才能を見出し、自身のブランドにスカウトしたのは有名な話。また卒業制作のプレゼンテーションでデムナの目に留まったのは、マリーン・セル。メゾンへのインターンシップを奨励するのも、ラ・カンブル・モードの特徴である。
次の年度末審査とショーは、来たる6月12日。2月現在、まだ資金繰りのめどは立っていないが、トニーに心配そうな様子はない。「この学校と生徒たちにはオーラがあるんです」。世界を引きつけるラ・カンブル。今度はどんな出会いが生まれ、誰がモードの最前線へと羽ばたいていくのだろう。