時代を担うデザイナーを次々と輩出。注目のファッションスクール、ラ・カンブル・モードの教え

シャネルを率いるマチュー・ブレイジーやサンローランのアンソニー・ヴァカレロなど、数々の気鋭クリエイティブ・ディレクターの母校として話題を集めるのは、視覚芸術高等専門学校、ラ・カンブルのモード部門。ディレクターや卒業生に話を聞き、その独自性を探った

シャネルを率いるマチュー・ブレイジーやサンローランのアンソニー・ヴァカレロなど、数々の気鋭クリエイティブ・ディレクターの母校として話題を集めるのは、視覚芸術高等専門学校、ラ・カンブルのモード部門。ディレクターや卒業生に話を聞き、その独自性を探った

INDEX
視覚芸術高等専門学校、ラ・カンブルのモード部門

1927年設立のベルギー国立ラ・カンブル視覚芸術高等専門学校に1986年に加わった、モード部門。教室はブリュッセル南部、ブルタリスト建築内の5階と12階

モード部門ディレクター、トニー・デルカンプの哲学

卒業生だからこそ、経験に基づいてカリキュラムを一新

トニー・デルカンプ

手仕事とは何かを理解し、
敬意に根差したものづくりをする

ラ・カンブル・モードがすごいらしい。そんな言葉が最近、ファッション界で飛び交っている。ファッションのイメージがあまりない都市、ベルギーのブリュッセルにある学校から、なぜ時代を担うデザイナーが次々と生まれるのか? 答えはディレクター、トニー・デルカンプの哲学にある。

「僕たちは王様としてのアーティスティック・ディレクターを養成しているわけではありません。理想的なクリエイターは、既存のサヴォアフェールを内面に浸透させて、心で受け止めます。それが自然と指先に行き渡って、何かが形になるんです。そして、彼らは手仕事とは何かを理解しているので、周りの人とのやりとりを通じて敬意に根差したものづくりをしています」

デザイナーとは、どうあるべきか? トニーがそんな究極の問いに対する明確な答えを持っているのは、彼自身がデザイナーだったからにほかならない。1989年、第3期生としてラ・カンブル・モードに入学した彼は、在学中にウィーンのヘルムート・ラングのもとでインターンを経験。ラングは、マルタン・マルジェラ、川久保玲とともに、当時の彼に多大な影響を与えた。

「彼らは服について、そのシルエットや構造、仕上げについて熟考し、真の革命を起こしました」と、トニーは絶賛する。

1994年にラ・カンブル・モードを卒業すると、当時のパートナー、サンドリーヌと一緒にブランドを立ち上げた。ブランド名は対話の抜粋でとても長い。Sandrine: “Comment tu la trouves?”, Tony: “Quoi?”, Sandrine: “Au milieu dos”(どう思う? なんだって? 背中の真ん中よ)。彼らの最初のコレクションでは、2枚の服を背中で縫い合わせて内側にタグを配し、両側からはタグを縫いつけたステッチがあらわだった。これを説明するのが長いブランド名なのだ。コンセプチュアルなコレクションは時代の空気に合い、売り上げは伸び出したものの、マネジメントの壁にぶち当たって1998年に7シーズンでクローズ。

しかし同じ年に母校から誘いを受け、2年生の授業のアシスタント講師を始める。そして翌年、当時のディレクターが他校に移ったため、モード部門を仕切ることになった。ラ・カンブル黄金時代の幕開けである。

「当時は技術面での指導が不十分で、授業も体系化されていませんでした。私がディレクターになったからには、システムを変えていこうと思ったんです」。デザイン画を描いたらパターンメイキング、それを組み立てて縫製、というありきたりのプロセスとはまったく異なる彼独自のカリキュラムは、少しずつ出来上がっていった。

「まずはダミーと布で、体の構造を理解。1年目と2年目は、技術面の基礎に徹底します。3年生の制作は、メンズに限定する。テーラーの技術を習得するためです」。トニーはストーリーテリングやムードボードを好まない。そこにこだわると、モードは進化しないと考えるからだ。

「考えなければいけないのは服、その内側と外側、ステッチについて。どの学年でも、大事なのは服なんです」

ここでは学生の選考の仕方もユニーク。200人近い応募者の第一の審査は、ファッションを除き、建築や写真も含むアートの分野から選んだ10点のビジュアルを提出。複数の分野から選んだものでも一貫性があれば、それらはひとつの世界観を成す。次は、一人20分の面談。

「選んだビジュアルが何を語るか、なぜ好きかなどを語ってもらいます」

選別された30人は、次にそれらのビジュアルを着想源に、紙に描いたデッサンやコラージュを5点提出。創造力をジャッジする基準はここでも服ではない。最終的に晴れて選ばれた1年生は、たったの15人程度。授業はアナログで、タブレットやAIとは無縁だ。

「私の授業ではデザイン画を描くこともパターンを作ることもないので、AIによる服の完成予想図は存在しません」と、トニーは断言する。彼をはじめ教師陣は課題に取り組む生徒たちの間を回り、一人ひとりに意見を述べたり軌道修正に導いたりする。

また世界各国の生徒たちに向けて英語で授業をする多くの学校と異なり、ラ・カンブルでは面談も授業も、フランス語。「ひとつの言葉が文字通りの意味にとどまり、シンプルで実用的な英語に比べて、フランス語にはもっとニュアンスがあります。フランス語圏でない人を排除するわけではないけれど、言葉は文化のひとつとしてとても大切」というのが、自身もフランス語を母国語とするトニーの見解。理論の授業を受ける上でも、言葉の理解力は大切だ。ラ・カンブルの母体が複数の分野に開かれた総合学校だけあって、毎週木曜と金曜はモード部門の生徒たちも絵画や建築のクラスに出席する。モード部門の近く、元カンブル大修道院内の本校キャンパスで開かれる講義だ。

こんな充実したカリキュラムを体験できる5年間の学費は、なんと年間平均たったの300ユーロ。4種類の料金設定があり、条件により、ベルギー人なら無料の場合もある。公立学校の強みとして生徒たちにはこの上ない好条件が提案される一方、経営は大変だ。

「ウェブサイトの制作から作品の撮影、生徒たちの作品を発表するショーのプロダクション、審査員招聘の費用まで、毎年私たちがスポンサーを探して工面するんです。公的援助も多少はありますが」と、トニー。ショーにはサンローランが協賛したこともある。卒業生の一人、アンソニー・ヴァカレロによる取り計らいだ。ラ・カンブルではほかのファッションスクール同様、年度末にショーが開かれるが、これに先んじて世界各国から審査員が来校し、各生徒と個別に面談をして、後に審査員団全員で協議をする。このとき、デザイナーが学生をヘッドハントすることも多々ある。ラフ・シモンズがマチュー・ブレイジーの才能を見出し、自身のブランドにスカウトしたのは有名な話。また卒業制作のプレゼンテーションでデムナの目に留まったのは、マリーン・セル。メゾンへのインターンシップを奨励するのも、ラ・カンブル・モードの特徴である。

次の年度末審査とショーは、来たる6月12日。2月現在、まだ資金繰りのめどは立っていないが、トニーに心配そうな様子はない。「この学校と生徒たちにはオーラがあるんです」。世界を引きつけるラ・カンブル。今度はどんな出会いが生まれ、誰がモードの最前線へと羽ばたいていくのだろう。

ラ・カンブル・モード20周年の本

(上)5階踊り場の壁一面を覆うのは、ラ・カンブル・モード20周年の本の抜粋。写真は、トニーの在学中の作品を掲載したページ
(下右)2年生の教室の奥には、ウィンドブレイカーなど学年初頭の課題で作った上着の一連が
(下左)ストックルーム。生徒たちの過去の作品や、研究資料としてのパターン、ヴィンテージの既成型紙やファッション雑誌など

トニー・デルカンププロフィール画像
モード部門ディレクタートニー・デルカンプ

ベルギーのフランス語圏にある小さな街、トゥールネに生まれる。地元の芸術アカデミーでテキスタイルデザインを学んだあと、設立されたばかりのラ・カンブル・モードに入学。在学中にヘルムート・ラングでインターン。1994年の卒業後に始めた自身のブランドは7シーズン続けた。その後ラ・カンブル・モードでアシスタント講師を経て1999年にディレクターに。

https://lacambremodes.be/fr/

モード界をリードする卒業生たち

モード界をリードするラ・カンブル・モードの卒業生たち
モード界をリードするラ・カンブル・モードの卒業生たち

「ラ・カンブル・モード」を一躍有名にしたのは、オリヴィエ・ティスケンスだ。1997年に3年目の半ばで同校を中退したものの、翌年にはマドンナに衣装を提供して時代の寵児となった。2000年代後半は有望株の卒業ラッシュ。

2006年にはサンローランのクリエイティブ・ディレクター、アンソニー・ヴァカレロが卒業と同時にイエール国際モードフェスティバルでグランプリに。

2007年卒業は大物二人。マチュー・ブレイジーはボッテガ・ヴェネタを経て、昨年春にシャネルのファッション部門アーティスティック・ディレクターに就任。一方、ジュリアン・ドッセーナは2013年よりラバンヌを率いる。

2008年の卒業生であるニコラス・デ・フェリーチェはクレージュのアーティスティック・ディレクターとして手腕を発揮。

2016年卒業のマリーン・セルは卒業制作でセールスをはじめ、ブランドもローンチしてLVMH賞を受賞。

同期はジュリアン・クロスナー。2025年に師匠でブランド創始者ドリス・ヴァン・ノッテンの後継者となり、メンズとウィメンズ両方を手がけることに。二人は学生時代にマチュー・ブレイジーの講義を受けたことがある。

各学年の授業風景をのぞいてみた

時代を担うデザイナーを次々と輩出。注目のの画像_6

Première année

1年生の課題は、体の形の観察・分析。「肩に重点を置きつつ実際の体には極力とらわれずに、自然な凹凸を理解すること」と、トニーは言う。「いわば、新たな視点で体のボリュームを見つめる実験なのです」。張りのあるチュールをダミーに巻きつけて形を作ったら、そこからパターンを起こす。つまり平面裁断のパターンを布に移して組み立てる通常の服作りとは、まったく逆の発想だ。アイテムはシャツ、スカート、そしてジャケットの3つ。試行錯誤を重ねて、1点に何週間もかける。「縫製をまったくしたことのない学生たちにとって、これは最初の練習です。こうして生地を扱い、カットし、縫うことを覚えるのです」。ここにはムードボードは存在しない。中央の写真の壁に見られるのは、課題を図解する写真の一連である。そしてもうひとつの取り組みは、キッチンツールやオーディオ機器など、日常のオブジェを服に置き換えること。しかもオブジェは異なるふたつのものを組み合わせてハイブリッドな形を作る。

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Deuxième année

2年生は、既存の服を観察、分析する。対象となるのは、教師が選んだヴィンテージ。ドレスのほかにセーター、それ以外のニット、パンツ、そして2種類のアウター(テーラードではなく、ウィンドブレイカーなどしなやかなもの)と年間に5つのアイテムを学ぶ。まずは"観察"のために提示された服を写生。つまり立体を平面に置き換える。そして試着し、解体。ただし実際にほどいてしまうのではなく、想像力を働かせて。生地の重ね方や、もちろん縫い方も研究。左の写真でラックに掛かっているのは、このプロセスを始める前にボリューム感の研究材料にした既存のショッピングバッグのコンポジション。右の写真はトニーのアシスタントを務める、ピエール・ダラ。

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Troisième année

3年生になると、やっと具体的な服作りに着手する。1・2年で中退や落第する生徒もいるためぐっと人数が減り、今年は8人。1年間を通じて制作するのは8ルックから成るコレクションで、なんとメンズのみだ。「選択肢を与えると、メンズは避けられがち。ウィメンズでは装飾的、虚構的な部分が多すぎて、スーツの襟やポケットの構造を理解せずとも、人目を引くコレクションを作れてしまうでしょう。技術が必要なメンズウェアの習得を義務づけるのはそのためです」と、トニーは説明してくれた。最初の2〜3カ月はアートのビジュアルを集めての"リサーチ"に充てられる。焦点はやはり、ボリューム感。また、着想源としたアート作品の制作プロセスや素材も分析し、ネジやハンマーなどが使われていれば、縫製用具以外の工具やインダストリアルな材料を服作りに取り込むことも奨励される。

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Quatrième année(master 1)
Cinquième année(master 2)

4年目と5年目の修士課程では、自宅で作業をする生徒も多く、全員が毎日登校するわけではない。4年生はこれまでの3年間に学んだことを頭の隅に置き、自分なりの服作りのコンセプトを練るように導かれる。メンズ・ウィメンズの選択義務はなく、自由に10体を作るのだ。一方5年生は、12ルックから成る卒業コレクションの準備に真剣だ。この日はトニーが期待をかける二人、マリー・セリとテオドラ・アジの作業が進行中。マリーが見せてくれたのは、基本形を解体し、再構築したジャケット(右)。アーティストの作品を着想源に展開させた。そしてテオドラは建築物を再解釈した作品を制作。中央の写真のジャケットは、1カ所にしか縫い目がない。そして赤のスカート(左)は、ジャケットを派生させたデザインだ。

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遊び心にあふれた作品を生かすのは確固とした技術の基盤

昨年10月のこと。"第40回イエール国際モードフェスティバルのグランプリは、ルカ・ブルナーに!"このニュースはさらに、"また一人、ラ・カンブル・モードから新星現る"と続いた。受賞したコレクションはメンズ10体で、母校での卒業制作として2024年に発表したもの。だからどの作品にも、"ラ・カンブル・モードの教え"がしっかりと刻まれている。ルカは風船を主題に、縛り口のディテールをちりばめたり、丸みのあるシルエットとして服に落とし込んだり、小さなモチーフとしてたくさんつなげたり、と無限の手の内を見せた。とはいえ審査員団にアピールしたのは、そのあふれる遊び心を生かす、揺るぎのない技術力。これは、トニーにしごかれた最初の3年間の授業のたまものだ。

「1年生の授業で身についたのは、日常のオブジェを服として展開すること。学校では傘を題材にして大いに楽しみました」と、ルカは回想する。

ところで彼がこの学校を選んだ理由は、公式サイトのイントロダクションにトニーが寄せた文に惹かれたから。「服についての語りがとても知的だったんです。ほとんどメディアにも出ず、ロープロファイルなところも気に入りました」。そしてオープンドアの日に学校を見に行き、入学審査に通って晴れて入学できたのは、2019年のことだった。今取り掛かっているのは、新しいコレクション。イエールのグランプリ受賞者として、今年のフェスティバルでは新たなる発表の機会を与えられているのだ。

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(左・中)2025年10月、若手デザイナーの登竜門のひとつ、イエール国際モードフェスティバルのグランプリに輝いたコレクションは、名付けて「À Bout De Souffle(息切れ)」。風船の縛り口のディテールがシグネチャー
(右)ラ・カンブル・モードの教室でのルカ (上)イエールのショーでのバックステージ

ルカ・ブルナー 2024年 卒業

26歳のチリ系スイス人。ラ・カンブル・モードに学び、2025年には第40回イエール国際モードフェスティバルに出品したメンズのコレクションでグランプリを獲得。在学中にゲルマニエで、卒業後にはメゾン マルジェラでインターン。現在はジュネーブで将来のプロジェクトを練っている。

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(右)2025年秋冬 コレクションより、贈り物の包みを着想源としたドレス
(左)2026年春夏コレクションより、ひとひねりきかせたメンズライクなルック。ランウェイは待合の列をイメージしている

トニーの教えを受け継いだ、誇り高きベルギー派

「ブリュッセルはなんと言っても私にとって地元だし、ラ・カンブル・モードは人数が少なくて家族的雰囲気なのに惹かれました」。

こう語るマリー・アダム=リーナエルトは、実は最初の試みで不合格。1年後に再度入学の申請をしたところで、受け入れられた。この春パリ・ファッションウィークでのコレクション発表は6回目を数えたばかり。彼女のクリエイティブ・プロセスの基盤を作った母校の教えは、服を分析・解体、そして再構築すること。そしてメンズ・テーラードの技術の習得。

「ウィメンズに比べ、メンズにはもっと規律がある」と、彼女は分析する。「最初の3年間は確かに技術習得でしたが、同時に自分らしさも発展させられました」。モードはとても自由な一方でコード化されていると考えるマリーが学んだのは、規律と自由のバランスだった。マリーはトニーのやり方に共鳴する。「彼が無駄な装飾を嫌い、服の本質を重んじるのは一理あると思います。それはベルギー・デザイナーの真髄かもしれません。美観よりも、まずは考え。ものづくりにあたっては何事にも理由があるはずだから、なぜそれを作るのか、どんな付加価値があるか、を熟考するんです。私もそう考えるたちなので、ベルギー派、と言われたら褒め言葉だと取るでしょう」

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マリー・アダム=リーナエルト 2000年 卒業
ブリュッセル在住のベルギー人。ラ・カンブル・モード在学中にマシュー・ウィリアムズによるジバンシィ、そしてデムナ率いるバレンシアガでインターン。卒業後もバレンシアガでウィメンズのデザインチームに参加。2023年に自身のブランドをローンチ、パリ・ファッションウィークでコレクションを発表するようになった。