20年後も残る名品とは? 川野芽生さんが紡ぐ、未来のアーカイブス物語

今、名品と呼ばれている特別なピースは、きっと20年後にも残るはず。空想の持ち主が20年後に語る素敵な思い出を、歌人で作家の川野芽生さんの繊細な描写で綴る。

今、名品と呼ばれている特別なピースは、きっと20年後にも残るはず。空想の持ち主が20年後に語る素敵な思い出を、歌人で作家の川野芽生さんの繊細な描写で綴る。

INDEX

シャネルのレースアップシューズ

シャネルのレースアップシューズ

マスキュリンな装いを愛したガブリエル・シャネルに着想を得て生まれた一足。トゥにあしらわれたダブルCのパンチングから、メゾンの風格がほのかに薫る。バーガンディのインソールで脱いだときまでシックな印象に。靴〈ヒール3㎝〉¥299,200/シャネル

「他人の靴を履く」という英語の言い回しがある。他人の立場に立ってみる、という意味らしい。

私はいま、彼女の靴を履いている。私と彼女は身長も体格も全然違っていたのに、その靴は私の足にぴったりとなじむ。

私たちはしばらく一緒に暮らしていた。仕事で彼女が海外に行くことになって、同居は終わった。海外には持っていけないから、と彼女はいろいろなものを残していった。そのひとつがこの靴だ。

彼女はよく歩く人だった。休日はいつもどこかに出かけていたし、旅行にもよく行った。私とは大違い。たまに一緒に出かけても、大股で颯爽と歩いていく彼女と、歩くのが遅い私とでは、まるでペースが合わないのだった。そして彼女はその行動力ですたすたと海外まで行ってしまった。

はくじょうもの、と思わないでもない。

私はいまでも歩くのが遅いし、休日は家でだらだらしていたい。

でもこの靴を履いていると、彼女と一緒に歩いているような気持ちになる。すこしだけ。

ロエベの「アマソナ180」

ロエベの「アマソナ180」

社会進出し始めた働く女性のため、1975年に作られた「アマソナ」。歴史あるモデルに洒脱なムードを加えた新作は、片側を開けてノンシャランに携えたい。バッグ〈H18.5×W24.5×D10〉¥639,100/ロエベ ジャパン クライアントサービス(ロエベ)

バッグひとつ引っつかんで家を出てきた。

今は電車に乗っている。普段乗らない電車は空いていて、外の景色はどこか懐かしい。

ここしばらく旅行どころか、仕事以外ではろくに出かけてもいなかった。頭の中は仕事のことばかり。靴は足が疲れないのと、無難に見えることが最優先。服は動きやすくて手入れが楽でシワにならないのが至上。バッグはとにかく仕事用の資料だとかノートパソコンだとか、全部詰め込めるものでさえあればいい。お気に入りの服やバッグは、気に入っていればいるほど、出番がなくなった。駆け足な日々の中で乱暴に扱って、汚したり壊したりするのが怖かった。

久しぶりのまともな休日。ふとどこかに行きたくなって、行き先も決めずに家を出てきてしまった。しばらく出番のなかったバッグをなでる。汚すのが怖くてお気に入りのバッグを使わずにいるなんて、すごく馬鹿げたことだったような気がする。

今はこのバッグに収まるものだけあればいい。

プラダのレザージャケット

プラダのレザージャケット

メンズウェアの形をベースとしたボクシーなシルエットながら、体にやわらかくなじむソフトレザー。手仕事で仕上げたヴィンテージの風合いが、メゾンのクラフツマンシップを漂わせる。ジャケット¥1,870,000(予定価格)/プラダ クライアントサービス(プラダ)

クローゼットを整理していたら、20年前に買ったレザージャケットを見つけた。

ここにあったのか。

若いとき、このジャケットを気に入って、ほんとうによく着ていたことを思い出す。

あの頃の私は、若いからといって、女だからといって、下に見られることをいつも恐れていた。悔しい思いをたくさんした。強くなりたかったし強く見られたかった。

このジャケットは、そんな私のだった。レザーは私の薄い肌を覆って、向かい風から守ってくれた。向かい風に頭から突っ込んでやる、という気持ちを奮い立たせてくれた。

時は流れて、あのときの若さ、青さはなくなり、逆風をうまく避けながら風を読みながら進んでいくすべを身につけた。

……さすがにもう似合わないか。

もう着られない服を捨てようと思ってクローゼットの整理を始めたのだ。けれど名残惜しく、つい羽織ってみる。

使い込まれたレザーの風合いが、私を迎え入れてくれた。

ヴァレンティノのブラウス

ヴァレンティノのブラウス

ドラマティックな袖のボリュームが、クラシカルでありながら幻想的な雰囲気を醸し出す一枚。まるで蛍の光のように、繊細なシアー素材から着る人それぞれの個性が光り輝く。トップス¥588,500/ヴァレンティノ インフォメーションデスク(ヴァレンティノ)

「そんなに気に入ったのならあげるよ」

と言ったことがある。

ひとまわり以上年の離れた友人に、ブラウスを褒められたとき。

「もう20年近く着てるんだけど、さすがにこの年じゃもう、可愛すぎるから」

口に出してそう言ってみると、思っていた以上に寂しい気持ちになった。

けれど友人は、「何言ってるんですか」ときっぱりと言った。

「年齢とか関係ないでしょ。ミサキさんにめちゃめちゃ似合ってるし、私はミサキさんが着てるとこ見るのが好きなんですよ」

そして「というか、可愛すぎるなんて本心では思ってないでしょ」と笑った。

確かにそうだ。

このブラウスを買ったときは、10年後も20年後も着てるなんて思いもしなかった。こんな妖精みたいな服、着られるのは今のうちだけだと思ったのだ。

それなのに、何歳になってもこのブラウスは私になじむ。年を重ねるごとに、違う似合い方をする。きっとこれからも似合うだろう。

こうして、このブラウスは私の元に残った。

グッチの「グッチ ボルセット」

グッチの「グッチ ボルセット」

イタリア語でバッグを意味する「borsa」とホースビットを意味する「morsetto」を掛け合わせた「borsetto」。伝統的なGGパターンのキャンバスをエフォートレスに表現した。バッグ〈H15×W28×D10〉¥396,000/グッチ クライアントサービス(グッチ)

若いときにとても憧れたバッグがある。

そのときは夢のまた夢だった。ブランドもののバッグなんてとても手が出なかった頃だ。

今なら買えなくはないんだけど、20年前のあのとき出たあの型が忘れられない。あれがいい、と思い続けてきた。

だから、仕事関係で知り合って親しくなった人がそのバッグを持っているのを見たときは、あ、と声を出してしまった。

「それ、発売されたときにすごく欲しかった型です。ヴィンテージショップにも全然出てないんですよ」

そう私は力説した。やっぱり素敵だなあ、と思いながら。

それからしばらく、彼女と組んで仕事をしていた。

「ほんとうにいい仕事をしてくれたから」

そう言って、彼女はあのバッグを私にくれた。

「だいぶ使ってたから、新品同様とはいかないんだけど」

私がこのバッグと巡り合うべきタイミングは、今だったんだ、と思った。

ディオールの「バー」ジャケット

ディオールの「バー」ジャケット

ジョナサン・アンダーソンの手によって、アイコニックな「バー」ジャケットがアップデート。彼の故郷である北アイルランドを想起させるツイードに、マルチカラーのスパンコールが華やかにきらめく。ジャケット¥780,000/クリスチャン ディオール(ディオール)

叔母はずっと私の憧れだった。

子どもの頃、ちょっと背伸びしたレストランに連れて行ってもらった。レストランの雰囲気も大人っぽかったし、デザートのアイスクリームもとびきりおいしくて、でも何より印象に残っているのは、叔母の装いだった。

叔母は古い映画に出てきそうなエレガントさで、特にそのときのジャケットときたら、黒い生地にスパンコールの刺しゅうがきらきらと輝き、まるで星空のようだった。

思い返すと、我ながら目の高い子どもだったとおかしくなるのだけど、私はすっかりその服が欲しくてたまらなくなってしまった。そして両親に、こういうきらきらのお星さまみたいな服が欲しいと訴えたのだが、親が買ってきたのは安っぽい子ども向けのぴかぴかしたワンピースで(それはそうだ)、私はひどくむくれたものだった。

あれから20年近く。自分の道を進み始めた私に、譲ってくれたのがそのジャケットだ。

私は、あなたのような人になれるだろうか。

Megumi Kawanoプロフィール画像
歌人・作家Megumi Kawano

1991年、神奈川県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科満期退学。2021年、歌集『Lilith』で現代歌人協会賞を受賞。抽象的で幻想的な表現の美しさで人気を集める。小説の発表にも意欲的で『月面文字翻刻一例』や『奇病庭園』など。『Blue』は芥川賞候補になった。新刊に『AはアセクシュアルのA』。