【平野紗季子のスイーツタイムトラベル 第6回】1970年代のたぬきケーキ

おやつをめぐる記憶にまつわる、エッセイ連載

お菓子は甘い総合芸術。味に意匠に文化に歴史。だからこそ、たったの一口で時空を巻き戻すことすらできるのだ。昔の味も未来の味も、自由自在の時間旅行記。

 うるんだ瞳、上目遣い。「ボナール洋菓子店」のショーケース越しに初めてたぬきケーキと遭遇したとき、「わ、私が保護しなくては……」と謎の責任感に駆られた。たぬきケーキは洋菓子マニアの間で絶滅危惧種といわれるお菓子。現に、たぬきケーキ愛に満ちたウェブサイト「全国たぬきケーキ生息マップ」によれば、全国で170匹ほどに減少しているそう(2014年現在)。かつては日本中のお菓子屋さんに気軽に出没する存在だったのにもかかわらずだ。「結局たぬきケーキを作っているのは昔ながらの個人店。後継者がいなければ店はなくなる。ということは、たぬきケーキも減ってしまうんだ」と寂しそうにおっしゃるのはボナールのご店主。「でもうちはできる限り続けるよ。バタークリームのレシピも変えない!」と、心強いコメントもいただいた。ボナールのたぬきケーキは幼く愛らしい表情が特徴的。角度もショーケースに並んだときちょうど上目遣いになるように計算されている。チョコレートでコーティングされた艶やかなたぬきボディには、たっぷりのバタークリームが。口どけなめらかな生クリーム以前のモコモコと食感重ためなバタークリームには、昭和の味わいがずっしり内包されている。

 新しいものはどんどん生まれる。食べてみたいお菓子も続々登場する。そんな目まぐるしさの中、ふと夕暮れの商店街で、たぬきケーキと目が合うとき。それは「変えない」とか「続ける」とかいう、ありふれたようでとても難しい奇跡的な選択に、心が触れている瞬間でもあるのだ。

ボナール洋菓子店
●神奈川県川崎市川崎区台町7の8
☎044-299-0220 営業時間9時30分〜21時 ㊡火曜 
たぬきケーキ(¥300)のほか地元の人に愛されるケーキや洋菓子が揃う

PROFILE
ひらの さきこ●1991年生まれのフードエッセイスト。雑誌連載のほかお菓子のプロデュースなども手がける。著書に『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)。日頃の食生活は
instagram:@sakikohiranoにて。

SOURCE:SPUR 2018年12月号「スイーツタイムトラベル」
photography:Masaya Takagi styling:Keiko Hudson

FEATURE
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