話題の『トランスジェンダー入門』の著者にインタビュー。トランスジェンダーと共にある社会を目指して

今年7月に発売され、瞬く間に4刷が決まるほどの話題を集めている『トランスジェンダー入門』(集英社新書)。周司あきらさんと共に執筆を手がけ、自身もノンバイナリー当事者であることを公言している高井ゆと里さんにインタビュー。トランスジェンダーとはどのような人たちなのか? また、当事者らを取り巻く環境や差別について伺った。

トランスジェンダーの現状を正しく伝えるために

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―――『トランスジェンダー入門』を出版した経緯を教えてください。

高井ゆと里さん(以下T) 理由はいくつかあるのですが、いちばんはSNSを中心にトランスジェンダーに関する間違った情報が広まってしまっている中で、誰かが正しい情報と当事者を取り巻く現実を伝えなければと感じたからです。トランスジェンダーへの関心が高まったことで、社会に変化が訪れているのはうれしい反面、その話題を口にしている人の多くは、トランスジェンダーの人たちが実際にどう生きているか、どういう状況に置かれているかをあまり知らない。また、LGBTをまとめた本は数あれど、T(=トランスジェンダー)の人たちに紙幅が割かれたり、実態にフォーカスが当てられたりすることがあまりなかったので、「これを読めば大丈夫だよ」と思わせてくれる本が必要でした。トランスジェンダーとはどんな人間なのか、どう生きているのか、どんな困難に直面しているのかをまとめたものが本書になります。

定義するのは戸籍の性別? “男/女らしさ”?

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2023年7月に刊行された『トランスジェンダー入門』著:周司あきら 著:高井ゆと里¥1,056(集英社新書)

―――まず初めにトランスジェンダーの定義を教えてください。

T この本では、“出生時に割り振られた性別”と自分が生きていく上での“性別のアイデンティティ(ジェンダーアイデンティティ)”が一致していない人をトランスジェンダーと呼んでいます。「男性として生きてください」と割り当てられても自身のジェンダーアイデンティティは女性なので、身体や生活含めて女性として生きていこうとしている、もしくは現に女性として生きている人がトランスジェンダーの女性です。ジェンダーアイデンティティが男性の場合は逆ですね。ちなみに、現在の法律では必ず性別が割り振られて戸籍に登録されてしまうのですが、自身を男性・女性どちらの性別にも当てはまらないと感じるノンバイナリーの人たちもトランスジェンダーに含まれます。

―――さらに簡単に説明するならば?

T 誰しもが“女性らしさ”や“男性らしさ”という言葉に煩わしさや反発を感じることがあると思います。女性は外に出る際にメイクをしないといけない、男性で髪の毛を伸ばしているとだらしないと思われる、などですね。“らしさ”は「女性は女性らしく/男性は男性らしく生きなさい」と押し付けられている社会的な規範であって、これはトランスジェンダーであろうと、そうでなかろうと、みなさん自分事として理解できると思います。トランスジェンダーはそれとは別の次元で、「男性/女性としてこれからずっと生きなさい」という、生まれたときに与えられた課題を引き受けられなくなった人たちとも言えます。

―――当事者ではない人がトランスジェンダーに対しての理解を深める上で“らしさ”は共感しやすいファクターですが、“らしさ”に対して反対しているのとはまた違う問題なんですね。

T 普段トランス(トランスジェンダーの略)の人の体験を聞く機会ってあまりないと思うのですが、トランスの人たちも普通の人間なので、ほとんどの点ではトランスではない人たちと変わらない。だから自分の経験と紐付けながらトランスの人たちを知ろうとするのは、とても大切だし間違ってはいないんです。けれど、“らしさ”に対する自分の違和感をそのまま当てはめてトランスジェンダーという存在を解釈してしまうのも違う。女性扱いされているトランス男性に「制服でスカートを穿かないといけないのっておかしいよね」と共感してしまうと、彼は女らしさに苦しんでいるのではなく、女性であることそのものに苦しんでいるので、そこにズレが生じてしまいます。「トランスジェンダーも結局“らしさ”に苦しんでいる人たちなんですね」とするのではなく、性別そのものに苦しんでいることを理解しないといけません。

大きな負担とリスクを伴う性別移行

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―――一言で「性別を変える」と言っても、その翌日から男性/女性として生きていけるわけではありませんよね。具体的にどのような流れで性別を変えるのでしょうか?

T 性別は社会のあらゆる場所で問われるもので、社会生活上、絶対的な意味を持たされています。トランス男性の会社での性別移行を例にしてみると、いかに大掛かりなことかが想像できるはず。何年も働いている会社で入社以来ずっと女性として同僚とコミュニケーションをとっていた人が、「男性になるからこれから男性として扱ってください」と言っても、おそらく同僚たちはどうしたらいいかわからないですよね。名前、服装、身体つき、話し方、仕草といった自分の変化のプロセスと、それらを通して「本当に男性なんだな」と周りに認識してもらうプロセスを同時に進めて、徐々に会社の中で男性になっていくわけで、これにはものすごい時間がかかるんです。

―――時間はもちろん、周りから理解を得る苦労も大きそうですよね。 

T そもそも性別を変えるのはビジネスにおいては本当に重大なことですし、おかしな人だと思われて会社に居づらくなってしまったり、社会人としての信頼を失ってしまう可能性も。実際に性別移行を機に転職や失業してしまう人もいますし、職を失って性別移行するか、性別移行せずに仕事を続けるかの二択を迫られている人はたくさんいます。家族の話になるともっと複雑で、受け入れてくれる家族に恵まれる人もいるけれど、家族と絶縁してしまうケースもたくさんあります。性別移行するために人間関係をどんどん捨てていかざるを得ない人も多いですし、それがいかに当事者にとって大変なことかご理解いただけるかなと思います。

早急な対応が求められる教育と就職環境の改善

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―――日本にはLGBTについて学校教育で指導するカリキュラムが存在しないと本書で述べられています。子どもの頃から性の多様性について教えられていないいまの状況についてはどうお考えですか?

T 日本では性教育そのものがきちんとカリキュラム化されていないせいで、性の多様性についても現場任せになっている現状があります。まずトランスジェンダーの当事者である子どももたくさんいますから、その子たちに「あなたたちは間違っていないよ」ときちんとエンパワーする機会を設けることが大切ですね。その他の子どもも生きていく上で必ず性的マイノリティの人たちに関わる機会があるから、一般的な問題として学校で学ぶことはすべての人にとっての利益になるはず。ただ、カリキュラムを変えれば解決する話でもなくて、発達段階に応じて性的マイノリティの子どもとその保護者に時間をかけて寄り添えるかというと、いまの教育現場にその余裕はないと感じる先生がたくさんいると思うんです。忙しすぎる先生たちの就労環境を変えないことには、子どもたちの状況も改善されないんですよね。

―――そんな状況を変える一助に『トランスジェンダー入門』が用いられるといいですね。

T そうですね。教室の後ろに置いて生徒が読めるようにしたり、LGBTの研修を受けた先生がもう少し深く勉強しようと思った時の最初の一冊として選んでもらえたりしたらうれしいです。 

―――就職においてはスタートラインにすら立てないとも述べられていました。就職時、就職後の困難についてもお教えいただけますか?

T リクルートスーツと履歴書で弾かれてしまうケースが多いですね。特に大学生の場合、就職活動をする時点で自らがトランスジェンダーであると認識し、戸籍の表記を変更できている人はほぼいません。戸籍の変更には性別適合手術が必要なので、金銭面での負担がかなり大きいんです。親の理解と援助があったり、バイトをがんばって行ったりする人もいますが、それは非常に稀なケース。多くの人は、ふたつの選択肢を迫られます。ひとつは、戸籍上の性別のフリをして就職活動を行うこと。もうひとつは、ジェンダーアイデンティティや普段生活している通りの性別で入社させてくれる企業を探すこと。

―――どちらも当事者はかなりの苦労を強いられることになりますね。

T 後者の場合だと書類の性別表記とずれてしまうので、トラブルが起こることが多いんです。「履歴書には女性と書いてあるのに、なんで男性の格好で来ているんですか?」という質問から始まり、15〜30分程度の面接の中で性別の説明に多くの時間を割かざるを得ず、圧倒的に不利な状況で就職レースを戦うことになります。かといって、自分を偽って戸籍上の性別のまま就職活動を行って入社したとしても、どこかのタイミングで摩擦が生じるので楽ではない。カミングアウトしたことで、どの会社からも採用されなかった友人も実際にいます。

トイレの使用をめぐる、差別や偏見

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―――ここまでは基本的なことについて伺いましたが、本の中ではトランスジェンダーの人たちに対してのさまざまな差別や偏見についても触れられています。特に最近SNSなどでもよく目にする、トイレの使用をめぐる差別発言について、どのようにお考えですか?

T 挙げていただいたケースだとトランス女性が槍玉に挙げられるケースが多いのですが、まず初めに理解していただきたいのは、先ほども述べた通り、トランスの人たちの状況は性別移行の進み具合によって多様な状態にあるということです。本当は女性として生きたいけれど仕事を失いたくないために、男用のスーツを着て会社で働いているといったように、社会生活上はまだ男性の人もいれば、性別移行を終えて社会生活上女性として生きている人もいます。前者の人は、家の外では男性用や多目的トイレを利用していますし、後者の人は女性用トイレを利用しています。トランスの人たちが使用するトイレを自由に選べるわけではないので、そうならざるを得ないのです。多様なトランスの人たちが現実に生きていて、生活をしていることをわかってほしいんです。実際のトランスの人たちの中には、外出時に使えるトイレがどこにいくつあるかを必死に考えながら生きている人もいます。それと、トイレに困っているのはトランスジェンダーの人たちだけじゃないことも理解しなければいけなくて。異性の介護をしている人が、被介護者と一緒にトイレに入れないというのもよくあるケースですよね。トイレがどこも男女別に分かれているからです。そういう人たちに選択肢を増やして、安心して生活できる環境を整えるのは世の中が絶対にやらなければいけないことだし、多くの人にもちゃんと現実を見てもらいたいですね。

トランスジェンダーにとっての理想の未来とは?

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―――最後に、トランスジェンダーの人たちにとって理想的な社会や未来の在り方について、高井さんの考えをお聞かせください。

T トランスジェンダーの人たちに強く関わる法律や制度があるので、まずはそれらをより良いものに変えていく必要があります。戸籍上の表記を変えるための法律(性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律)も一応はありますが、条件が非常に厳しく、現状では精神的、金銭的、社会的に多大な負担を強いられているので。そして最も肝心なのは、トランスジェンダーの人たちとそうでない人たちどちらにとっても理想の未来は、実はほとんど同じだということ。ここまでお話しした男/女らしさからの解放、性教育の充実、就活生や労働者の安全と権利を確保するのは、すべての人が望んでいるのではないでしょうか。特別な人が特別な未来を願っているのではなく、トランスではないみなさんと同じ未来を目指していることを理解してほしいですね。

高井ゆと里プロフィール画像
高井ゆと里

たかいゆとり●倫理学者、群馬大学准教授。訳書にショーン・フェイ『トランスジェンダー問題 議論は正義のために』(明石書店)、著書に『極限の思想 ハイデガー 世界内存在を生きる』(講談社)。

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