2026.08.31

「何もない場所」なんてない。文化的景観から考える地域の価値と未来

自然環境と人の暮らしがつくり出した景観を、「文化的景観」として保護する枠組みがある。地方の人口減少に加えて、災害や温暖化などにより自然そのものが変容しつつあるなかで、私たちは何をその土地の価値として守り、継承していけばいいのか。文化的景観の調査に取り組む、独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所(以下、奈良文化財研究所)の惠谷浩子(えだにひろこ)さんと、キュレーターの永井佳子(ながいよしこ)さんに話を聞いた。

自然環境と人の暮らしがつくり出した景観を、「文化的景観」として保護する枠組みがある。地方の人口減少に加えて、災害や温暖化などにより自然そのものが変容しつつあるなかで、私たちは何をその土地の価値として守り、継承していけばいいのか。文化的景観の調査に取り組む、独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所(以下、奈良文化財研究所)の惠谷浩子(えだにひろこ)さんと、キュレーターの永井佳子(ながいよしこ)さんに話を聞いた。

INDEX

「地域が生き続ける」ための文化的景観

重要文化的景観に選定されている、長崎県波佐見町の鬼木棚田の風景写真

長崎県波佐見町の鬼木棚田(Photo by John S Lander/LightRocket via Getty Images)

「文化的景観」とは、その⼟地ならではの⾃然環境と⼈びとの暮らしが関わり合ってできた⾵景のこと。ピーターラビットの絵本に出てくるようなイギリスの湖水地方の田園風景や、アフリカの先住民族が暮らす集落、東南アジアの棚田群などがそれに当たる。1992年に世界遺産の概念に盛り込まれ、そこでは「自然と人間の共同作品」と定義されている。

日本では文化財保護法の一部改訂により、2004年に文化的景観が文化財のひとつに加えられた。そのなかでも特に重要なものは、都道府県や市区町村の申し出に基づき「重要文化的景観」に選ばれ、保護の対象となる。2026年8月現在で、全国の74件が重要文化的景観に選定されている。

奈良文化財研究所の惠谷さんは、地方自治体からの依頼を受け、全国各地の文化的景観の調査研究を行っている。実際に現地を歩いたり、歴史的な文献を読んだりしながら、その地域の風景の成り立ちについてリサーチを重ねている。

「高齢化と都市への人口流出により、地方の文化的景観を保護することの重要性が認識されるようになったのが、1980年代ごろです。人が暮らす場所というのは絶えず変化していくものですが、文化財として保護するためには、『地域らしさ』を残していかなければなりません。守るべきものは守りつつ、持続のための変化はポジティブに捉える。変化していいものと変化してはいけないものを正しく判断するためにも、現地での調査が必要になります。住民への聞き取り調査も行いながら、その土地の人にとっては当たり前の風景に、文化的な価値を見出していく。文化的景観は、『地域が生き続ける』ことを考えるきっかけになります」

アートを介して、地域の魅力を再発見する

『Water Calling ー京都の地下から聞こえる音』(書肆サイコロ)の書影

『Water Calling ー京都の地下から聞こえる音』(書肆サイコロ)

文化的景観調査で明らかになったことは、多くの人に知られるべき内容だ。しかし、報告書として自治体に納めるだけでは、住んでいる人たちに伝わりにくいという課題がある。

「研究者が客観的事実をもとに“冷たい言葉”で論述しても、今を生きる多くの人びとの心には入っていきません。調査内容を伝わるものに編み直すためには、そこから一歩踏み出す必要がありました」と惠谷さんは言う。

地元の人に地域の価値を再認識してもらうためには、どんな伝え方があるのか。表現方法のバリエーションを広げるために協力を仰いだのが、キュレーターの永井佳子さんだった。

永井さんがフランス⼈デザイナーのイザベル・ダエロンさんとともに企画制作した、京都の地下水盆をドローイングで表現するコンセプトブック『Water Calling ー京都の地下から聞こえる音』(書肆サイコロ)を惠谷さんが監修し、それをきっかけに交流が深まった。

永井さんは、惠谷さんの文化的景観調査にアートディレクターとして関わり、調査に同行しながら地域の特性に合った表現方法を探っている。アートが本来もつ「⽬に⾒えないものや⾔い難いことを伝える」役割を活用し、住民に感性を使って地域の魅力を再発見してもらう取り組みに、可能性を感じているという。

「惠谷さんと町を歩いてみると、ランドスケープのなかに、その地域の歴史や人びとの暮らしの変遷が刻まれていることが分かりました。国や自治体の調査は、多くの人にとって大切な情報を届けるために実施されているものです。それを広める方法のひとつとして、さまざまな表現⽅法のなかからその地域ならではの伝え⽅を⽣み出す試みは、同時にアートの意味を捉え直す機会にもなるのではないかと思っています」

以下では、惠谷さんと永井さんが関わっている文化的景観の取り組みの一部を紹介する。

鳥取県智頭町 深山とともにある暮らしを影絵に

「何もない場所」なんてない。文化的景観かの画像_3

深山からの豊かな水資源を利用する智頭の暮らし

鳥取県の南東部に位置する智頭(ちづ)町は、面積の90%以上が森林であり、明治時代から近代的な人工造林が盛んに行われてきた。林業を通じて、森林や集落、宿場町などの景観が形成されてきたことから、2018年に重要文化的景観に選定された。惠谷さんは、2019年から智頭町の調査に携わってきた。

「智頭町は、育てたスギやヒノキを伐採して売る、育成林業を基幹産業とする地域です。ただし、収益性が低いことから、大部分は国の補助金に支えられているのが現状です。一方で先人たちは、木の実や薬草を採ったり、スギの皮で屋根をふいたりなど、古くから山の恵みを得た暮らしを営んできました。山を生産の場として評価するだけではなく、そこから生み出される副次的な豊かさにも目を向けるべきではないかと思い、今回のプロジェクトではそういった部分を掘り下げています」

智頭の人びとが積み重ねてきた営みを表現するために、採用したのが影絵だった。「深山へ」と題した影絵のストーリーは、惠谷さんらの調査に同行した影絵作家の伊藤ミサさんが、全編描きおろしで手がけた。

智頭町で上演された影絵「深山へ」の上演風景

影絵「深山へ」の上演風景

2026年3月末、近隣住民に向けた報告会が、智頭町にある旧山形小学校の木造校舎で開かれた。地元の住民たちが一堂に会するなか、調査の報告とともに、「深山へ」が上演された。

「幻想的な影絵にすることで、事実に即した調査報告がうまい具合に抽象化され、人びとの心に違ったかたちで印象づけられるのではないかと思いました。また、影絵作家の伊藤さんは、自然とともに暮らす人びとのシルエットを力強く、情緒深く捉える方なので、惠谷さんの調査の視点にぴったりだと思いました。報告会に来てくださった住民の方々からは、今までに体験したことのない感覚だという感想をいただき、上演が終わった後も遅い時間まで話してくださいました」と永井さんは振り返る。

「深山へ」は、9月18日から鳥取県で開催される国際演劇祭「鳥の演劇祭」でも上演されることが決まっている。

「智頭町にフォーカスした作品ですが、いろんな地域に共通する観点があるので、別の地域の人が見ることによって地元について考えるきっかけになり得ると思っています。今後も、できるだけ多くの地域で上演していきたい」と永井さんは意気込む。

熊本県天草市﨑津・今富 暮らしの実態を映像作品に

熊本県天草市﨑津のリアス式海岸

熊本県天草市﨑津のリアス式海岸

智頭町以外の地域でも、プロジェクトは進行中だ。漁業や交易の拠点として発展してきた熊本県天草市﨑津には、複雑な入り江に沿って集落が広がっている。2011年に重要文化的景観に選定され、その翌年には﨑津の内陸側にある農山村の今富が選定範囲に加わった。江戸時代には潜伏キリシタンが信仰を続けた場所でもあり、﨑津の中心部は世界遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の構成資産のひとつとしても登録されている。

「﨑津で獲れた魚が今富に売られ、今富で作られた野菜や薪が﨑津に売られる。海側と山側が相互に支え合いながら、暮らしを立ててきた地域です。物資の移動という目に見えない要素が加わることで、独特の景観が形成されてきました」

惠谷さんと永井さんは、﨑津・今富で暮らす人たちへのインタビューで構成したドキュメンタリー作品を、映像作家の古木洋平さんとともに制作している。秋には住民向けの上映会を開き、その後は多くの人が見られるようウェブ上で公開する予定だ。

輪島市大沢・上大沢 災害からの復旧に向けて

「何もない場所」なんてない。文化的景観かの画像_6

細い竹を組んだ間垣で囲まれている、輪島市大沢・上大沢の集落

能登半島の北端にある輪島市大沢・上大沢は、山と海に囲まれた狭い平地にある。冬になると日本海から強い季節風が吹き荒れるため、人びとは家々を守るために、細い竹を組んだ「間垣」で集落を囲み、生活をしてきた。

2015年に重要文化的景観に選定された大沢・上大沢は、2024年の能登半島地震と豪雨の影響により、壊滅的な被害を受けた地域でもある。惠谷さんは震災後にこの地域に関わり、復旧の方法を模索してきた。

「大沢と上大沢に300棟ほどの建物があったのですが、今は半分以下になってしまい、一部の間垣も豪雨で流されてしまいました。圧倒的に少子高齢化が進んでいる地域なので、それが復旧をいっそう困難にしています。長い目で見た時に、その村が本当に続くのかと言われたら難しいかもしれません。でも、だからといって切り捨ててはいけないんです。被害を受け、水道も電気もないなかで、それでも戻りたいという方々がいらっしゃいます。私の役目は、文化財なのだから諦めなくていいんですよ、自分たちが大事だと思うことは大事だと言っていいんですよ、と声を上げ続けることだと思っています。そのためにも、補助金のルールを新しく作ったり、ワークショップをやったり、やれることをやっていきたいという思いです」

2024年の能登半島地震と豪雨の被害を受けた、大沢・上大沢の様子

2024年の能登半島地震と豪雨の影響により、被害を受けた集落の様子

過疎化と自然災害のダブルパンチを受けている大沢・上大沢の人たちを少しでも勇気づけたい。そんな思いを込めて、永井さんはブラジル北東部の民衆芸能、マラカトゥ*を演奏するアーティスト、ナイルソン・ヴィエイラさんを招喚し、地域住民向けにコンサートを行うことを提案した。11月に京都・東本願寺で行われる予定の「Matsuri Crossing KYOTO X BRASIL」の関連企画として、現地で演奏会を開催するという。

「マラカトゥは、ブラジルの植民地時代にアフリカから強制的に連れてこられ、奴隷として過酷な労働を強いられた人びとの歴史のなかで、困難を乗り越えるための文化として生まれました。彼らの力強いリズムが、能登の人たちの心に響くとを願っています」

智頭町での影絵の上演、﨑津・今富での映像の表現、大沢・上大沢での音楽の演奏。方法は違えど、いずれも地域の住民たちが集まり、ひとつの場と時間を共有するきっかけになっている。どの取り組みも、学術的な知識だけではないコミュニケーションの重要性を示唆している。

*マラカトゥはブラジル北東部発祥の民衆芸能で、アフリカ系文化や先住民の文化といった複合的なルーツを持つ。

その土地で生きることの意味が見えてくる

熊本県天草市﨑津の⾦毘羅宮への参道

天草市﨑津の⾦毘羅宮への参道

どんな土地にも魅力はあって、何もない土地などない。文化的景観の価値を知ることで、そこに生きる意味を見出せると惠谷さんは言う。

「植物にたとえるなら、現代の私たちは切り花のように生きていると思います。水と栄養剤があれば、切り花はどこでも生きられるからです。でも、暮らしている場所の背景に目を向けてみると、自分たちは切り花ではなく、そこの土から生えているんだなと腑に落ちる。なぜこんな自然があって、こんな営みがなされてきたのか、そこに目を配った時に、その土地で生きることの意味がより具体的に見えてくると思います。そうすると、『ここは田舎だから何もない』といった発言をしなくてよくなるかもしれません。自然を制し、どこでも同じ暮らしができることを目指すのではなく、“その地域だからこそ”できることがあるというふうに捉えられる人が、この先増えていってほしいと思います」

惠谷浩子さんプロフィール画像
奈良文化財研究所 文化遺産部 景観研究室 室長惠谷浩子さん

風景学者。専門は造園学。都市から農村、山村、海村まで、全国各地の文化的景観の調査研究に携わり、土地の自然、暮らしの来歴と現在から、風景の特質と持続のあり方を探求する。共著に『地域のみかた-文化的景観学のすすめ』(奈良文化財研究所、2016)、『都市の営みの地層-宇治・金沢』(奈良文化財研究所、2017)など。

永井佳子さんプロフィール画像
キュレーター/プロデューサー永井佳子さん

プロダクションレーベルMateria Prima主宰。素材や文化のルーツを探るフィールドワークを軸に、それぞれの風土や歴史によって育まれた文化の価値を伝えるための物語を紡ぐ。京都の地下水を描くプロジェクト『Water Calling』(書肆サイコロ)企画制作、エルメス財団編『Savoir&Faire土』『Savoir&Faire金属』(岩波書店)編集協力、Hamacho Liberal Arts(日本橋・浜町ラボ)企画。奈良文化財研究所景観研究室の取り組みにアートディレクターとして関わる。