文学でのぞく、愛の深層

私たちが愛について理解できることは、ほんの片鱗のみ。物語に触れてその範囲を広げてみたい。書評家の江南亜美子さんが4冊をセレクト。

誰かと生きる社会のなかで。安易に他人を拒絶しない、明日のために

他人を理解することはいつだって難しい。自分や、近い血縁者のことすらきちんと理解できているとは限らず、他人となればなおさらだ。わからないものとはつい距離を取ってしまいがちだが、しかしこの世界で誰とも縁を持たずに暮らすのは寂しく、無理がある。みんな、他人と関わり合って生きている。

それなのに日本ではなぜか、他人と異なることが当たり前とは考えられていない場合も。「和を以て貴しとなす」? 要は「同じでいろ」との同調圧力が強く、出る杭は打たれやすい。そんな国で、民族的マイノリティやLGBTQなどの性的マイノリティは、まずは不寛容な人々や、彼ら/彼女らの当たり前の権利を保護することに消極的な日本政府と、日々渡り合っている。

さらに闘うべき相手は、差別意識など持っていませんと寛容な身振りで近づいてきながら、何げない言動のなかに偏見や侮蔑をにじませる人々のこともある。たとえば「さすがゲイは美的感覚がいいね」とほめる人。あるいは「同性愛者なの? でもあなたと私の間に差などない、同じよ」とやさしげに、理解ありげに、肩を抱いてくる人。しかしこれはマイクロアグレッション、小さな攻撃の発露ともなりえる。悪意なくステレオタイプを相手に押しつけ、肩を抱こうとするその手は、ネバネバと糸を引いている。

この世界で他者と共存すること。その意味を私たちは更新し続けなければならないのだ。近くの他人という謎について、想像力を駆動させるために有効な手立てを探そう。話を傾聴する、歴史を学ぶ、そして小説を読む。小説を読むことは、脳内で文字をイメージに変えていく作業を通じて、そこに書かれた人物や出来事に深く想いを寄せる経験だ。必ずしも主人公に“感情移入”や“共感”する必要はなく、物語世界に頭と心をまるごと浸せば、おのずとなにかを感じ取れるはず。自分とは別の脳と体で世界を体験するのが、読むという原初的な喜びともつながっている。

話を性的マイノリティに限れば、たとえば同性愛を描いた物語は江戸時代にも近代にもあり、20世紀初頭には美少年小説として名高い『ヴェニスに死す』をトーマス・マンが格調高く書き、20世紀なかばには三島由紀夫が『仮面の告白』を、黒人のジェームズ・ボールドウィンが同性愛者である青年の苦悩を『ジョヴァンニの部屋』に書いた。女性同性愛に関しては世界的にも数は少なかったが、日本では松浦理英子が先駆者として1980年代から積極的にテーマとし(『ナチュラル・ウーマン』)、中山可穂も続いた。

これらはいまも古びていないし、松浦理英子はずっと意欲的に「まだ名前のないセクシュアリティ」について作品を発表し続けている。ただ21世紀に入り、性のありようはさらに多様に可視化され、さまざまなテーマが描かれていく。鉱物にしか欲情しない女性を描く、村田沙耶香『ハコブネ』、複数の人を同時に誠実に愛するポリアモリーを描く、奥田亜希子『愛の色いろ』など、読むことでその心理の一端に触れることができる。

そこで今回は、いま読むべき4冊をピックアップした。かつて同性愛者が主人公のとき、カムアウトや親との確執は大きな山場としてあったが、その先の地平を描いているものも多い。あるいは男性による“女装”を、のぞき見趣味的にでなく、切実に見つめた小説も。この中のある登場人物は言う。「誰かの性について分かることなど、ほんとうにとても狭い範囲だけなのだ」と。

いま“多様性”、ダイバーシティなる言葉が市民権を得ている。ただ自分の“多様性”の理解が、通り一遍のもの、辞書みたいな血の通わないものではないという保証はどこにもない。個々の人々のありようを、マイクロアグレッション的な無意識の差別に落とし込む罠に陥らないためにも、きっとこれらの小説を読むことに意味はあるはずだ。私もあなたも、現代に生きる人があまねく、居心地よく暮らせる世界の実現のために。固有性を尊重し、それぞれの愛のかたちを描く、この4冊をぜひ。

「私がつらいと相手が涙する」二度と会えない人との思い出

『わたしに無害なひと』
チェ・ウニョン著 古川綾子訳
(亜紀書房/1,600円)

巻頭作「あの夏」で、スイの蹴ったボールがイギョンに当たり、ふたりは出会う。16歳。女同士であることは恋の障壁とならず、ただ相手に没頭していく。しかし無情にも都会暮らしは徐々に関係を変容させ……。「全部、思い出になるはず。たぶん」。感情のきめが細かく傷つきやすい10代から20代前半を繊細に描いた短編。過去のきらめきは取り戻せないという喪失感が痛ましくも胸に迫ってくる。

暗闇で回遊する魚のように。男たち、論文、死の気配

『デッドライン』
千葉雅也著
(新潮社/1,450円)

修士論文の締め切り=デッドラインに焦りながらも「ハッテン場」で男たちの体をまさぐり、その感覚をどこか他人事のように観察する。他者になること、自己から離脱することの揺らぎを友人に囲まれ哲学的な思索を深めていく大学院生の日々と重ねるように描いた、青春小説。「僕自身の欲望を内側からよく見なければならないのだ。ドゥルーズを通して」。哲学者である著者のデビュー小説。

異国で恋をする同性愛者たち。自由を求める精神のありよう

『星月夜』
李 琴峰著
(集英社/1,500円)

日本語教師である台湾人の柳凝月と新疆ウイグル自治区出身の玉麗吐孜は、東京の語学学校で出会った。イスラム教徒でもある玉麗吐孜は、肉体関係に没頭するも同性愛者と認めきれない。「柳先生、いつか治ると良いなと思ったことはないの?」。星という意味の名を持つ彼女を、凝月は微妙な距離から見守る。文化的規範、家族の価値観などの抑圧から身をかわすふたりをひりひりした筆致で描く作品。

「こいつはおれが見つけた」女装する男たちの心の奥

『ファルセットの時間』
坂上秋成著
(筑摩書房/1,600円)

喫茶店で見かけた美少女の違和感に気づく34歳の竹村。かつて女装していた経験から男性と見抜いたのだ。16歳のユヅキは肌も美しく声も高い。彼女に理想像を見いだしつつ、己の衰える肉体に葛藤する。「女装という言葉で人をくくることなどできはしない。ひとつの単語の中に、いくつもの欲望のかたちが詰め込まれている」。家庭、仕事、失われる若さ。恋でも友情でもない欲望のありようがリアル。

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