【メゾン・ゲンズブール】をたずねて。フレンチアイコン、セルジュ・ゲンズブールの素顔がここに

多才な音楽家として、またジェーン・バーキンの元伴侶として、あまりに有名なセルジュ・ゲンズブール。数々の名曲が生まれた彼のパリの家が、2023年9月より一般公開されている。併設のミュゼも訪ね、その足跡を追う

SERGE  GAINSBOURG
©Getty Images
自宅の書斎でのセルジュ。ピンストライプのジャケットに足もとにはレペットの「ジジ」、手にはタバコ、という定番スタイルで。書棚を飾るマリリン・モンローのポートレートは、後に彼がジェーン・バーキンに歌わせた曲「ノーマ・ジーン・ベイカー」(モンローの本名)を思わせる

パリ左岸、ヴェルヌイユ通り5番地ビス。「私は鍵を持っています。ドアを開けましょう」と、シャルロット・ゲンズブールが囁く。ここはメゾン・ゲンズブール。かのセルジュ・ゲンズブールが22年間を過ごした家には、フランス文化省によって〝ランドマークハウス〟の称号が与えられた。さかのぼって、1968年。彼が物件を見に来たときの同伴者は当時の大恋愛のお相手、ブリジット・バルドーだった。が、彼女とはほどなく破局。結局彼は新居に、新しい恋人ジェーン・バーキンと落ち着いた。130㎡と決して広くはないが、ロンドンのタウンハウス風の2フロアの家は住人に似て個性的で、抗えない魅力を備えていた。

シャルロットの声が案内する、セルジュの陰と陽

CHARLOTTE GAINSBOURG 
©François Halard for M le Magazine M du Monde
ファンによるグラフィティが何層にもなったメゾンの外壁の前で、サンローランをまとったシャルロット・ゲンズブール。昨年9月には、この外壁の実物大の写真が、トロンプルイユのようにサンローラン リヴ・ドロワのウィンドウを覆った

彼がここで息を引き取ってから、すでに32年。やっと実現した〝メゾン〟の立役者は、この家で育ったシャルロット・ゲンズブールだ。プロジェクトのあまりの複雑さにギブアップ寸前の時期もあったが、紆余曲折を経て2023年9月半ばには、ミュゼ併設でのオープンにこぎ着けた。ここではシャルロットの希望通り彼が亡くなった1991年3月2日のまま、すべてが残されている。家具やピアノはもちろん、ジタンの吸い殻が捨てられた灰皿まで。メゾン&ミュゼの共同コミッショナー、アナトール・マッジアーはこう語る。

「4年にわたった準備期間の中で、私たちはまず3カ月をかけて、館内のありとあらゆるものをリストに記しました。合計なんと4500点ほど。手書きのメモ、歌詞、楽譜、書簡、雑誌などすべての紙類はスキャンして。写真、服、それに食品もありますから、それぞれに合った保管をするのは、まるで考古学的なアプローチでした」。

プロジェクトの背後には、膨大な労力と費用がかかっていたのだ。パートナーシップを結んだのは、シャルロットをミューズとするメゾン、サンローラン。現クリエイティブ・ディレクターのアンソニー・ヴァカレロと彼女の友情は、自然とミュゼを巡るコラボレーションに発展した。

「ジェーンが選びセルジュが愛用したピンストライプ ジャケットのリデザインも、サンローランのおかげで可能に。もともとのつながりは、ダンディだった創始者、イヴ・サンローラン氏と、カップルの交友関係でした。ジェーンの誕生会では、氏もこの家に来たほどです」

ミュゼとブティック、バーの外観
©Alexis Raimbault for Maison Gainsbourg, 2023
右 ミュゼでは、時代順に8つのスクリーンでオリジナル編集のドキュメンタリーを常時上映
左 ミュゼとブティック、バーの外観。目印はカギ鼻が特徴的なセルジュの横顔のシルエット。チケット窓口もこちらに

デカダンスと家族の団欒が共存した家

セルジュ・ゲンズブールの創作に必要だったのは、ピアノと愛と、山積みのオブジェやアート。すべてはそのまま残されている

書斎 Maison Gainsbourg
© Pierre Terrasson, 1991
上階にある書斎は、たくさんの本であふれている。セルジュが好んだのは、なんと医学書、特に解剖学。ヘッドレストがあるアンティークのレザーの椅子は、19世紀にイギリスの歯科医院で使われていたもの

メゾンの訪問は、シャルロットの音声ガイド案内に従ってきっかり30分。どちらの方向に進み、どちらを見ると何があるかを、時折パーソナルな逸話や音楽を交えて語ってくれる。コースの最初の部屋は、オブジェやアート、アンティークの家具、楽器で埋め尽くされた、リビングルーム。

Maison Gainsbourg 地上階、メゾンの入り口側から見たリビングルームでのシャルロット。
© Jean-Baptiste Mondino, 2023
地上階、メゾンの入り口側から見たリビングルームでのシャルロット。スーツはサンローラン。ジェーンの影響でブリティッシュタッチに傾倒していたセルジュは、この家の内装をイギリスのデコレーターに依頼。黒の壁は当時としては革新的で、見る者を驚かせた。フランシス・ベーコンやダリの絵画もあり、立川直樹さんによれば、1982年に彼がここを訪れた際には、すでに私設ミュージアムの様相だったそう

「父の死後、私は時々一人でここに来ていました。モンパルナス墓地の墓標には常にファンがいる。私は一人になりたかったんです」。

ヘッドフォンを通じてシャルロットはこう打ち明ける。彼女に導かれ、いったん外に出て、通路をたどって、リビングを反対側から見ると、次の説明が。

「父は一匹狼的なところもありましたが、孤独は嫌いだったんです。だからよく深夜に帰宅すると、業務を終えたタクシーの運転手や警察官と一杯飲むために、家に招待していました」。

テーブルの上に並んだ手錠や勲章の一連は、そんな行きずりのゲストたちのお土産なのだ。

Maison Gainsbourg 写真
© François Halard for M le Magazine M du Monde
セルジュはバンブーという新しい恋人ができても、生涯ジェーン・バーキンを愛していた。リビングにあるピアノの上には彼女との若かりし頃の写真が。出会ってすぐの1968年、トニー・フランクによる撮影

そして反対に目をやると小さなキッチン。ガラスのドアの冷蔵庫が彼の食生活の定番を露わにする。またキッチンの奥には、かつてシャルロットと異父姉妹の姉ケイトの部屋があった。階段を上がると、右側の廊下には、クローゼット。シャルロットの声が語る。

「父のスタイルは決まっていましたから、服の数はとても少ないんです」

Maison Gainsbourg
© Pierre Terrasson, 1991
ジェーンと出会う直前の大恋愛のお相手は、ブリジット・バルドー。彼女には「ハーレー・ダビッドソン」や「イニシャルB.B.」などの名曲を提供。「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」も最初はバルドーとの録音だった。振られてからも、ずっと彼女の等身大ポスターを部屋に飾っている。その下右は、バンブー。受賞したゴールドディスクも宝物だった

ガラス越しに見えるのは、数足の履きつぶしたレペットの「ジジ」、ミリタリーシャツ、ジーンズ、デニムシャツ、そしてピンストライプのジャケット。クローゼットの向かいには「人形の部屋」。かつては、ジェーン・バーキンに散らかし放題が許された唯一の部屋だった。通路の奥には、書斎。ここで袋小路となった通路を逆戻りし、今度は通路を右へ折れる。花柄のカーペットが敷かれた廊下に並ぶのは、さまざまな映画のポスターだ。

そして右を見ると、シャンデリアが吊り下がったバスルーム。奥の寝室はエキゾチックなついたてや中世のタペストリーが重厚な雰囲気で、キッズフレンドリーな内装とは言えない。が、シャルロットはホームシネマのセットもあるここで、よく父とアメリカの映画を観た、とほほえましい思い出を語る。

 

リビング Maison Gainsbourg
© François Halard for M le Magazine M du Monde
リビングの奥の壁中央にあるのは、セルジュ自身の依頼でベルギーのアーティスト、ステファン・ド・イェガーが作成した彼の肖像画。ポラロイドカメラによるインスタント写真でピクセル状に構成されている

ビジターの撮影は厳禁だから、家のスナップショットがSNSで拡散されることはない。ただし聖域の映像は、シャルロット自身によるフィルターを通して見ることができる。彼女の楽曲「Lying With You」(2017年)のビデオクリップは、冷たくなったセルジュの肢体の横にしばらく添い寝をしたときの思い出が着想源。また彼女の初の監督作品、晩年の母ジェーンを追いかけたドキュメンタリー映画『ジェーンとシャルロット』(’21)で、二人が一緒に家をまわるシーンも必見だ。

ディレクター・チェア Maison Gainsbourg
© François Halard for M le Magazine M du Monde
1990年、カンヌ国際映画祭に監督作品『スタン・ザ・フラッシャー』で参加した際に贈られたディレクター・チェア。背には彼のオルター・エゴ「ゲンズバール」の名が。ジェーンと別れた1980年以降、アルコールや麻薬を続けていたせいもあってか、彼のダークで挑発的な部分が次第に露わに。彼はこれをかえってアピールし、ゲンズバールと名付けた

残念ながら、ジェーンはメゾンのオープンを待たずに2023年7月に逝ってしまった。メゾン公認メディア『M, le magazine du Monde』でディープな記事を書いたガスパー・ドゥレンムによれば、ジェーンの訃報でメゾン・ゲンズブールの前にはファンが集った。セルジュの死の直後のように、〝君に別れを告げに来た〟という意味深い歌詞の「手切れ」を口ずさんだ者もいただろう。セルジュ亡きあと32年間凍結していたメゾンは、ジェーンの思い出とともに息を吹き返した。新しい時代の幕開けだ。

【インフォメーション】Maison Gainsbourg

Maison Gainsbourg
© Alexis Raimbault for Maison Gainsbourg, 2023

メゾンの斜向かいにあるミュゼは、ブティックとピアノバー「Le Gainsbarre」を併設。セルジュが購入し、アルバム『くたばれキャベツ野郎』の着想源となった、ラランヌによる彫刻も展示。写真はバーの一角。

●5 bis(メゾン) & 14(ミュゼ)rue Verneuil 75007 Paris
MSaint-Germain-des-Prés 
◯営10時〜20時(火・木〜22時30分)
㊡月・祝日 
※要予約(チケットはメゾン&ミュゼ、またはミュゼのみ)

●Le Gainsbarreはチケット不要
◯営10時〜24時(木・金・土〜翌2時、日〜20時)
㊡月・祝日 
https://www.maisongainsbourg.fr

SERGE  GAINSBOURGプロフィール画像
SERGE GAINSBOURG

1928年、パリ生まれ。両親はユダヤ系のロシア人。画家を目指したが、単発の仕事を続けたのち20代でジャズクラブに出入りするようになり、音楽界デビュー。ピアニスト、作詞・作曲家、シンガー、プロデューサーに。映画でも監督・俳優として活躍。’91年に心臓麻痺で他界。

CHARLOTTE GAINSBOURGプロフィール画像
CHARLOTTE GAINSBOURG

1971年、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの間に誕生。’84年には「レモン・インセスト」で歌手デビュー、1年後には『なまいきシャルロット』(’85)で俳優として認められた。2021年にはドキュメンタリー『ジェーンとシャルロット』で監督も。昨年メゾン・ゲンズブールをオープン。

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