ニューヨークの地下鉄の駅を舞台にショーを開催した、2026年 メティエダール コレクション。このショーを現地で目撃したテレビディレクターの上出遼平さんが、ショーのムービーを起点にして4人のプロフェッショナルと徹底トーク。シャネルとは、ブランドとは、美しさとは何かを語り尽くした
ニューヨークの地下鉄の駅を舞台にショーを開催した、2026年 メティエダール コレクション。このショーを現地で目撃したテレビディレクターの上出遼平さんが、ショーのムービーを起点にして4人のプロフェッショナルと徹底トーク。シャネルとは、ブランドとは、美しさとは何かを語り尽くした
1989年東京生まれ。ドキュメンタリー番組「ハイパーハードボイルドグルメリポート」シリーズの企画から制作まで全工程を担う。著書に『ありえない仕事術』(徳間書店)『MIDNIGHT PIZZA CLUB』(講談社)など。ニューヨーク在住。
人が歩く、そこに漂う寂しさと色気に魅せられて/西川美和さん(映画監督、作家)
上出 西川さんは、シャネルとお仕事をされたご経験は?
西川 一昨年にシャネルが是枝裕和監督とともに立ち上げた、若手映画人たちのメンターシップ プログラムで、イベントのお手伝いをしたというご縁があります。ファッションだけではなくて、いろいろなカルチャーを支援したいというブランドの思いに触れました。その際に商品を手に取る機会もあって、とても丁寧に作られているんだと実感しました。パッケージひとつとっても美しい。究極の美しさのようなものをデザインしているんだと感じましたね。
上出 では、2026年 メティエダール コレクションのショーの映像をご覧になって、どう感じましたか?
西川 ごく率直に、すごくパワフルなショーでしたね。洋服もアクセサリーもカラフルで、それでいてクラシカルなラインのアイテムが多くて、本当に惚れぼれするような。「シャネルと言えば」のツイードは、長い歴史を通してずっと使われている素材ですが、それがますます素敵に取り入れられていて、普遍的なモチーフなんだな、と。「こんなきれいな洋服が着られたらいいのにな」と、憧れると同時に元気が出るようなショーでした。でもこのショーの最大の特徴は、やはりニューヨークの地下鉄が舞台になっていたということですよね。
上出 そうですね。
西川 ニューヨークには何度か行った程度ですが、地下鉄は多くの人が利用していて、場合によっては危険だから旅行者はあまり乗らないほうがいいと言われたりしますよね。シャネルというハイブランドのショーとしては、あまりフィットしないシチュエーションをあえて選んでいるという気がしました。はっきり言うと、少し矛盾も感じます。このショーで履いているようなハイヒールで実際に階段を上り下りできるのだろうか、とか、こんなシースルードレスで安全に移動できるのだろうか、とか。夢のようなファッションの裏にある、生々しい現実を想像せざるを得なくなる。そういう意味では、非常に挑戦的なショーだったのでは。そこがとても面白いと思いました。
上出 すごくよくわかります。僕も同じように矛盾めいたものをたくさん感じて、それが面白かった。
西川 上出さんはこのショーを現地でご覧になっていますが、どうでしたか?
上出 僕にとってはこれが初めてのファッションショーの現場だったということもあり、混乱のさなかで目撃したという感じでした。感想としては、率直にものすごくかっこいい。「なんだこれ、かっこいいぞ」という思いをまずは抱きました。それから、「これは憧れやすいな」と思ったんです。つまり、洋服はものすごくかっこいいし、価格帯も簡単には手が届かない。だけど舞台が地下鉄だし、登場するモデル一人ひとりが本当に存在する人物のように見えたんですね。歩きながらふと立ち止まったり、電話をかけるしぐさをしたりする演出も含めて。それに、確かにあんなゴージャスな服装で地下鉄に乗っている人はいないと思いきや、意外といたりもするんですよね、ニューヨークって。この街の地下鉄には、どんな人でもいる可能性がある。そう思うと、このショーはまったく手の届かない世界には見えなかったんです。誰にとっても、自分がシャネルの服を着てこの中を歩いている姿が想像しやすいショーだった。自分がいる現実と地続きだという気がして、だから「憧れやすいだろうな」と思ったんです。
西川 なるほど、すごくよくわかります。
上出 そして、アーティスティック ディレクターであるマチュー・ブレイジーの狙いとしては、あえて憧れやすくしてくれているのかなと思いました。今の世の中の情勢って、極めて過酷な面があったり、あまりにも先行きが不透明だったりする。そういう中でリアリティのない異空間のようなシチュエーションでショーをしても楽しみきれないのではないか、そういうことを課題として捉えているのではないかというのを、ちょっと感じたりして。
西川 そうかもしれません。私も、こんなふうに着飾るのって素敵だな、こんな服を着て歩いてみたいって、改めて思いましたから。
上出 今回のショーに限りませんが、ファッションは世界中の女性をエンパワーする一方で、「美しさとはこういうもの」という固定観念を世の中に広めてしまう面もある。それはすごく怖いことです。西川さんもきっと表現する中で、どうしたって自分の中にある正しさのようなものから逃れられないことがあるのではと思うんですが、そういう葛藤を感じることは?
西川 そうですね。特に物語というのは、幸福な人生を美しく描くだけでは成立しないので、世界に存在するネガティブな側面を題材にすることも多いんです。だから取り組んでいく中で、その題材の重たさに怯むことがよくあります。自分にはもう到底扱いきれないと思って、尻尾を巻いて逃げ出したくなるようなこともありますね。日々、迷いながらやっています。新作映画は戦争孤児の話です。東京大空襲で家族や住まいをなくした子が、疎開先から帰ってきて孤児になって、仲間を見つけて暮らしていくという。戦争孤児というのは、ある意味で戦争被害者の最たるもののような存在。それを、戦争経験もない自分に語る資格があるのかという葛藤に押し潰されそうになりながら作っていました。
上出 どうして今、戦争孤児の映画を作ろうと思ったんですか?
西川 前作(『すばらしき世界』’20年)を撮ったあとで、その背景になった日本の戦後史についてもう一度自分なりに調べてみたいなと思って。それで調べているうちに、これは「戦争とは何だったのか」を考えるということだな、と。このテーマについて考え出したのは2020年、新型コロナウイルス感染症のパンデミック真っ最中だったんです。当時はもはや時代錯誤なテーマかなと感じていたのですが、そこから不幸にも現在のような世界情勢になってしまって。今はこの題材に挑んでよかったと思っています。誰にとっても直面するのはつらいテーマですが、この作品を入り口にして、「日本にはこういう過去があったんだな」「こういうふうに敗戦へと突入していったんだな」ということに触れてもらえたらと思っています。
上出 ところでもうひとつ、このショーを見たときに、「そういえばそもそもなぜファッションショーではみんな歩き去っていくんだろう」と疑問に思ったんです。人が歩くというのは、どういうことなのか。僕は1〜2週間かけて山中を歩くことがあるんですね。そうすると最終的に、地図で見ると驚くくらいの距離を歩いていたりする。そしてそれが、自分にとって並々ならぬ自信になっている。それを思うと、モデルを堂々とランウェイで歩かせるというのは、洋服が素敵に見えるという効果のためだけでなく、人間が自然な自信に満ちた表情をできる瞬間だからなのかなとも思うんです。西川さんの映画の中でも、役者を歩かせる場面はたくさんあったと思うのですが、人が歩くということについてどう思いますか? 人が一人きりで歩くとき、その姿には何が宿っているんだろう。
西川 一人きりで歩くって、結構寂しいシーンですよね。歩くといろいろなことを考えるし、内省的になる。今考えると、私が撮るシーンは歩く姿を後ろから撮ることが多い気がします。その孤独感が好きで。
上出 よくわかります。でも、なんで寂しさに心惹かれてしまうんでしょうね。孤独感って、本来はネガティブなものじゃないですか。
西川 そういう寂しさというのは、人間の基礎だと思うんですよね。寂しさを一切感じていない人のほうが、人間としてちょっと危ないような気がする。人間という存在のいちばんコアなものなんじゃないかな。誰かの寂しさが見え隠れしているのは、色っぽいというか、とても人間的だと感じます。だからファッションショーでモデルが一人で歩いているのも、ある種の孤独感をまといつつ堂々としていて、とても強いですよね。そういうところが独特のかっこよさにつながってくるのかな。
上出 寂しさに色っぽさや人間みを感じるというのは、とてもよくわかります。これはちょっと意地悪な見方かもしれないけれど、たとえばシャネルのスーツを着ると、ある意味では強がれるじゃないですか。だから逆に、「今この人は気を張り詰めないといけないんだな、すっと背筋を伸ばして立たなきゃいけないんだな」とも感じとれる。それこそがかっこいいなと思うんです。「足掻いている」とまでは言わないけれど、自分の弱さを自覚して、服を鎧代わりにして立とうとしているような。そこに人間くささが感じられる。それが僕から見たシャネルのかっこよさであり、魅力的なところだと思う。
西川 確かに、着る服に自信をつけてもらえるという面はありますよね。ファストファッションで出かけるのとシャネルを着て出かけるのでは、絶対に気分が違うし。
上出 このショーにあるアーティストさんが来ていて、その人を見たときに強く思ったんですよね。このシャネルの服の中に、とんでもなく繊細なソウルがあるんだろうなと。ひょっとしてこの服を脱いだら、この人は散り散りになっちゃうんじゃないかというくらい。その繊細さに、世界中の人が惹きつけられているのかもしれない。それがすごく印象的でしたね。
西川 面白い。特にガブリエル・シャネルは、働く女性のためにファッションを変えたわけですからね。たくさんのファッションブランドの中でも、特にシャネルはそういう要素の強いブランドなのかもしれません。
上出 抽象的な質問ですが、西川さんはどんなものに対して美しいと感じますか?
西川 そうですね……私は映画を撮影するときの、スタッフたちの仕事ぶりが美しいと思うんです。自分が映画を撮るときだけじゃなくて、ほかの人の映画のチームに対しても美しさを感じます。限られた時間や条件の中で、ひとつの作品、ひとつのシーンを撮るために、ありとあらゆる職種の人が磨き抜かれた技術を発揮したり、徹底した準備を重ねたりする。その集中力や技術の積み重ね、そういったものが発揮される瞬間というのは、とても美しいと感じます。優れたアスリートや、楽器を奏でる演奏家の美しさと同じように、いい仕事をする人というのは動きも美しい。そういう人々の美しさを見たいから、私は頑張ってシナリオを書いて映画を撮っているのかもしれません。
上出 どうしてそれを「美しい」という言葉で表すのだろう?
西川 そうですね、やっぱり高い技術を持つ人には、そこに至るまでに目に見えないところでの積み重ねがあったりしますよね。そうやって醸成された職業人としての勘の鋭さというか、常人には見えないものを察知する力のようなものに、憧れがあるんだと思います。
上出 僕が職人さんの手仕事に美しさを感じるものと近いのかもしれない。そういうものに圧倒されるのは、きっと職人さんがそこに命を懸けているという畏怖を感じるからなのかもしれません。
西川 そうですね。ちょっと狂気じみてすらいるというか、逸脱している感じがありますね。そこに自分との距離を感じて、それで美しいと感じるのかもしれない。そういう意味では、今回のシャネルのショーも職人魂の結集なんでしょうね。ショーを無事に終えられたときの達成感たるや、いかばかりかと思いますね。
1974年生まれ、広島県出身。長編映画に『ゆれる』(’06)、『ディア・ドクター』(’09)、『永い言い訳』(’16)がある。戦後に残された孤児と教師を描いた最新作『わたしの知らない子どもたち』が10月16日に全国公開。
社会運動としてのシャネル、そして服を着ること/富永京子さん(社会学者)
上出 富永さんは普段からシャネルのジャケットやアクセサリーを愛用しているそうですね。最初に手に入れたシャネルのアイテムはなんでしたか?
富永 マイ・ファースト・シャネルはA4サイズの入るバッグでした。研究者として就職先が決まったときに、記念にバッグを買おうといろいろなブランドを見て回り、最終的にシャネルにたどり着いて。シャネルのバッグはなんにでも合うし、とても使いやすいんです。そうやってはまっていきましたね。ジャケットも、肩まわりの可動性が高くてとても着やすい。シャネルは、私が思っていたよりずっと生活者向けのブランドだったんです。
上出 「生活者向けのブランド」というのは面白い表現ですね。富永さんは社会運動を研究しているわけですが、ごく一般的なイメージで言うと、いわゆる社会運動とハイファッションというのは融合しにくいというか、拮抗するように感じます。たとえば庶民の味方を標榜する政治家が、ブランドアイテムを身につけていてネットで叩かれることがありますよね。一方で富永さんは普段からシャネルを身につけている、と。
富永 確かに、社会運動の活動家は清貧を尊ぶケースが多いです。ただ一方で、ものを大切にすることや、それを作った人をリスペクトすることも、ひとつの社会運動だと思います。たとえばシャネルは、機械製造が主流のファッション業界で、失われつつある手作業やその技術を持つ職人さんたちを非常に大切にしている。そういう職人技がふんだんに使われたアイテムであれば、それを選んで身につけることは価値のあることだとも言えます。消費活動のすべてを贅沢だとか、資本主義への迎合だと決めつけるなら、それはあまりにもラグジュアリーというものを一面的に見ただけの判断だと思うんです。
上出 これ、富永さんに聞いてみたかったんですよね。僕も仕事でアパレルブランドの映像を作ったりしてきましたが、今のような社会の中で「とにかくこの商品を買ってくださいね」というメッセージを伝える映像を生み出すことになんだかモヤモヤすることがあって。でも、新しいファッションアイテムを手に入れたらやっぱりうれしくなるし、次の日に出かけること自体が、ひいては生きること自体が楽しくなる。自分としてはそれもすごく大切なことだと思うんですよね。富永さんのいう職人さんへのリスペクトや、画一的な清貧主義へのカウンターとしての意味合いも大事だけど、僕はどこかで、ブランドアイテムを着る理由なんて「だって好きなんだもん」だけで十分説明になっているんじゃないかなと思ったりもします。
富永 確かに、本当に好きなものなら100円でも100万円でも「欲しい!」と思いますよね。これは手仕事の特徴でもあるのですが、一見しただけでは高価なのか安価なのかわからないという面があります。理屈では測れないというか、値段に置き換えにくい。手仕事は価格をかく乱するんですね。そういう意味で、手作業で作られた商品というのは他人に価値が伝わらないこともあるわけで、よく言われる「高級品を買うのは顕示的消費だ」という考えに疑問を投げかけるものでもあるんですよね。
上出 なるほど。シャネルというブランドに対する僕の印象として、ガブリエル・シャネルが作った服は当時としては革命的なもので、女性たちを解放したというイメージがあります。そう考えると、社会運動におけるユニフォームとして、むしろシャネルほど最適な服もないんじゃないかとも考えられそうな気がしますね。
富永 そう、文字どおりの「女性解放」だなと思いますね。女性服にポケットをつけ、コルセットから解放し、汚れが目立ちにくいようにトゥを黒く塗ったデザインの靴を作ったわけですから。それに、シャネルはコスチュームジュエリーにも力を入れていますが、これもやはり、普通の女性労働者でも素敵なジュエリーを身につけやすくなるという意味では女性解放ですよね。そういう意味では、今回のメティエダールのショーにも通じるところがあったように思います。
上出 どういう面でそう思いましたか?
富永 ショーの舞台となった地下鉄は働く人々の乗り物ですよね。たとえばこれが大型客船などの長距離移動を感じさせるものだと、やっぱり上流階級の人々の乗り物だという感覚が強くなる。でも今回は地下鉄が舞台だったので、私自身もいち生活者としてすごく励まされた感覚があります。観光学やモビリティスタディーズでよく言われることですが、乗り物に乗っての移動は基本的に男性優位の社会的行為とされてきました。労働者に男性が多かったということもありますが、20世紀初頭まで、女性の遠出が許容されなかった地域もある。今でもそういった面は残っているかもしれませんね。だって、「女性しか乗っていない地下鉄」って、今回のシャネルのショーで初めて見ましたものね。
上出 確かにそうですね。
富永 そうは言っても、確かにここまでドレスアップした人ばかりが乗っているわけではないですよね。その点では現実と矛盾しているとも言えますが、私は、それが逆にこのショーの魅力になっていたと思うんです。普段地下鉄に乗っているブルーカラーワーカーやホワイトカラーワーカーも、正当な報酬が認められた結果、こういう素敵な服を着られる世の中になったらいいですよね。だからこのシャネルのショーは、ユートピアの表現としてもすごくいいなと思いました。庶民の乗り物である地下鉄に、肌の色もさまざまな女性たちがいて、パーティに行くような人もいれば仕事帰りのような人もいて、みんなが一堂に集って笑い合ったり、目配せし合ったりしている。なんだか非常にユートピア的に感じました。
上出 面白い。社会学者の立場から見ると、このショーの光景はユートピアに見えるんですね。確かに、労働者の女性がみんなでシャネルを着て立ち上がったらすごくかっこいいですよね。そんな想像をしてしまいました。
富永 デモをしたり選挙活動をしたりすることは大切ですが、それだけが社会運動なのではなく、日常そのものも社会運動になるんです。規制まみれの街の中を、スケートボードで動き回ることだって運動になり得ます。そういう意味では、工夫したり意志を持ってアイテムを選んだりすることで、装うことも立派な社会運動になり得るんです。
上出 ところで、シャネルの創業者は女性だけど、それ以降のシャネルのアーティスティック ディレクターは女性に限りませんよね。亡くなったカール・ラガーフェルドにしろ今のマチュー・ブレイジーにしろ、男性が女性の服をデザインしているわけです。これは社会学的な観点からはどう思われますか?
富永 私はむしろ、ディレクターが変わることがファッションブランドの面白い点だと思っています。社会運動って、運動の中心人物がひとりいてずっと変わらない状態だとだいたい力を失ってしまうんです。運動が現代的に解釈されなくなってしまうんですね。そういう意味ではむしろ、創業者とは性別や世代などの属性の異なる人が、担い手としてそのメッセージを再解釈していくというのは、運動に多面的な可能性を与えていく。つまり運動を「みんなのもの」にしていくことができるんです。古い建物をリノベーションするような感じでしょうか。そうすることによって、シャネルのメッセージはより色濃くなっていく。だから引き継ぐ人の属性が多様であるというのは、運動としてはとても健全な気がします。
上出 なるほど、シャネルを運動に見立てることもできるんですね! ラグジュアリーブランドを社会運動の視点で捉えると、ノブレス・オブリージュ(高い地位にある者は、その地位にふさわしい責務を果たすべきだという考え方)がテーマとして持ち上がりそうな気がするんですが、ファッション界におけるノブレス・オブリージュとは?
富永 ノブレス・オブリージュというと口幅ったいですが、私はたまに、大学の学生たちにシャネルの服を貸しています。「結婚式で着たい」と言うような子たちに貸して、着てもらっているんです。自分より若い世代が着ると、また新たな服の魅力が見えたりして、なんだか素敵なんですよね。
上出 シャネルを貸す! それだけパワーのある服だという証しでもあるんでしょうね。自分の服ではないけれど、憧れの服を着ることでその人の意識や姿勢がちょっと変わったりすることもあったりして。
富永 そうですね。若い人が着ているのをみんなで見て楽しくなるとか、アクセサリーを借りてつけてみてうっとりするとか、所有にこだわらずに、ある意味での公共財としての面を見てもいいと思うんです。さらに言えば、それってシャネルのショップに行けば誰でもできることですよね。これもブランドのよさだと思うんです。都市空間に店舗があり、原理的にはそこはすべての人に開かれていて、誰でも美しい服の試着ができる。触れて感じるだけでも豊かな気持ちになるということはありますよね。私自身、シャネルのショップに行くときは美術館に行く感覚でいるかもしれません。
上出 ギャラリーに飾られた伝統工芸品みたいですね。それを絶やさずに受け継ぐということ自体が、社会のひとつの使命にもなるわけですね。
富永 このショーのムービーだってそうです。これだけ高度な技術で丁寧に作られたものを自由に見られるということ自体がひとつのシャネルの価値ともいえるのではないでしょうか。もちろんこのムービーだって、消費社会のために作られたものではあるわけですが、でも万人に向かって開かれている。だからガブリエル・シャネルの示した連帯は、今も私たちみんなに開かれていると言うこともできると思いますね。
上出 そういえば、僕の母親はブランドアイテムにまったく興味がないんですけど、昔から戸棚にシャネルの「N°5」を飾っていたんですよね。母自身はまったく使わないから、今もそこに置いてあります。僕は中高生のとき、彼女ができて出かけるときにはこっそりその香水をつけて出かけていました。その香りは一生忘れないですよね。瓶やキャップを手にしたときの質感まで覚えている。こうやって、歴史あるブランドはいろいろな人の思い出をつくってきているし、それが受け継がれていくところにすごく面白さがありますね。
富永 本当ですね。ブランドは、ディレクターが変わっていくことによってナラティブが更新されていくものだと先に言いましたが、もしかしたらそのナラティブはみんなでつくり上げるものなのかもしれません。親子間であったり、私と学生の間であったり、そういう関係性の中でブランドのナラティブが受け継がれ更新されていくのかもしれない。これだけ加速度的にものごとが新しくなっていく社会の中で、すごく貴重な存在ですよね。そういうものが今も大事に継承されていると思うと、なんだか元気が出てきます。
上出 確かに、そうやって受け継いできた先人の存在を感じられるというのは、ものすごく勇気づけられそう。それが今も途絶えずに残っていて、きっと今後もずっと続いていくんだろうなと思えるというのはすごいこと。なかなか簡単には見つけられない現象ですね。
1986年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科修士課程・博士課程修了。博士(社会学)。立命館大学産業社会学部准教授。専門は社会運動論、都市計画研究など。著書に『なぜ社会は変わるのか はじめての社会運動論』(講談社現代新書)など。
ハイファッションの持つ、社会を変革する美しさ/伊藤亜紗さん(美学者)
伊藤 実は私、パリの「ルサージュ」(シャネルのアイテムを担当していることで知られる老舗の刺しゅう工房)で、職人として働いていた時期があるんです。
上出 ええっ、なぜ⁉
伊藤 昔からものを作ることが好きで興味を持っていたけれど、当時はアートを信じきれていなかったんです。アートってただの自己表現じゃない?と疑っていたというか。それで、自己表現じゃない形で何かを作るなら、ということで職人の世界に関心を持って。ちょうどその頃、美術館でオートクチュールの世界を取り上げた展示があって、「ルサージュ」が紹介されていたんです。それをたまたま見て、精巧な仕事ぶりにある種の狂気を感じ、ここに行きたい!と。単純ですが、それでパリへ行きました。
上出 すごい話だなあ。
伊藤 最初はアトリエが運営している学校で学んで、その後に声をかけてもらい、インターンのような形でアトリエで働くことに。そこは、数十分のショーのために信じられないくらいの労力をかけて作品を作る、まさに狂気のような世界でした。とても忙しかったのですが、そんな環境でも職人さんたちは決してシャネルの悪口を言ったりはしなかった。それだけデザインが素晴らしいし、長い時間と労力をかけるに値するブランドだと思われていたんでしょうね。
上出 じゃあ、今回のメティエダールのショーを見て、当時のことを思い出したりは……?
伊藤 「ああ、こういうの作ったなあ」と思ったりはしました(笑)。でも今回のムービーの感想としては、服を見ているというよりは人を見ているという感じがしましたね。ファッションショーはあくまで服を見せるものだという印象ですが、このショーでは着ている人がよく見えるというか。服って、その人の人間像を新しく規定したり、輪郭を与えたりする役割もあると思うんです。そういう服の持つ力がよく見えたショーでしたね。歩いているモデルを見ているだけで、「この人はこういう人なんだろうな、こんな仕事をしているんだろうな」と、人間像を想像したくなる。モデル一人ひとりが、ちゃんと生活している人に見えましたね。
上出 確かに。僕はこのショーを見て、「モデルはなんで歩くんだろう」という疑問が改めて浮かんだんです。なぜだと思いますか?
伊藤 単純に考えると、歩いたほうが動きが出て服がきれいに見えますよね。たとえばクジャクの求愛行動では、オスが羽を広げてゆさゆさと動かします。生き物はキラキラ輝いて見えるものや揺れているものに誘惑されるといいますよね。
上出 なるほど、静止しているものより動いているもののほうが魅力的に見えるんですね。じゃあダンスでもいいのかな。でも、踊るとなると服のデザインに制約ができそうですよね。服の評価が、ダンスそのもののクオリティに左右されてしまいそうな気もする。そう考えると、歩くのがちょうどいいということなのかもしれない。
伊藤 もちろん、障がいがあって歩くことのできない人はいます。それでもダンスに比べたら、歩くというのはみんなができる動きですよね。モデルがダンスをしていると、自分には着こなせない服だと思ってしまいそうだけど、歩くことなら自分もできるから、服を身近に感じやすいのでは。手の届かない感じと身近な印象のバランス、それがファッションショーの面白さかなと思います。
上出 美学者である伊藤さんにあえて聞きたいのですが、美しいってどういうことですか?
伊藤 美しさには2種類あると考えています。ひとつは社会的につくられる基準としての美しさ。社会の中で洗脳されるようにインストールされて、誰もが美しいと思い込まされている美しさです。これは文化ごとに規定されていて、それ以外のものは排除されます。たとえばプロテスタントの白人社会では、節制が美徳とされるため、太った体は怠惰であり美しくないと見なされる、というようなことです。同じ価値観を共有する人たちの共同体と、その外の世界に境界を引く力がある。同時にそれは、同じものに対して「これがいいよね」と思う人たちにとっての求心力にもなります。同じ価値観の人でまとまることで安心できるという面もあるわけです。もうひとつは、そういう規範を逸脱していく力としての美しさ。たとえば社会的に美しいとされているわけではないけれど、顔一面にそばかすがある人を見て美しいと思う、とか。一見すると怖かったり、不気味だったり、ネガティブに評価されているものの中に刺激として美しさを見出すもので、この逸脱する力は、新しいものを生み出して現状を変革する力にもなります。ハイファッションは本質的にはこの逸脱する美しさを表現するものですね。今回のメティエダールのショーにも登場した、一般的な感覚だと透けすぎているように感じるシースルードレス。保守的な表現ではないけれど、ハイファッションの文脈であれば美しさとして成立する表現ですね。そもそも、シャネルはファッションデザインで女性を解放したといわれていて、逸脱のきっかけがハイファッションにあるという好例だと言えますね。
上出 確かに今回のシャネルのショーは、見ていると新しい美しさを自分でも見つけられそうな、新しい美しさがあちこちに隠れていそうな気になりましたね。いろいろな境界を溶かしてくれるような面白さがありました。小走りで歩く人がいるかと思えば駅の柱に寄りかかっている人がいたりして、ファッションショーに対する固定観念も壊してくれるようでした。僕がこのショーを素敵だなと思ったのは、ショーを見た人がそれぞれの自分の価値観で美しさを発見していいんだ、というのが感じられたからなのかもしれない。
1979年生まれ、東京都出身。東京科学大学未来社会創成研究院DLab+ディレクター、リベラルアーツ研究教育院教授。専門は美学、現代アート。『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)ほか著書多数。
可能性に満ちた街、ニューヨーク。その魅力を体現したショー/宇田川信学さん(工業デザイナー)
上出 宇田川さんはニューヨークの地下鉄をデザインしたとのことですが、今、走っているのがその車両なんですか?
宇田川 ニューヨークの地下鉄にはだいたい6,000台の営業車両があって、現在はそのうち75%が僕らのデザインした車両です。最初に僕らの車両が走り出したのは2000年。もう25年以上前になります。
上出 もう25年以上ずっと地下鉄と向き合い続けているわけですね。それにしても、地下鉄をデザインするって、いったい何から始めればいいんですか?
宇田川 デザイン一般に言えることですが、まず人々の行動があって、そこから生まれた課題を解決するためにデザインを考えるわけです。そのため、プロジェクトは基本的に観察から始まりますね。地下鉄の場合は、とにかく乗りながらそこにいる人々を観察する。その上で「こうしたらいいんじゃないか」と仮説を立てて、プロトタイプをつくってみたりして少しずつ検証しながら、最終的なデザインを決定します。
上出 でも、一度車両をつくってしまったらもう取り返しがつかないわけですよね。想像するだけで眠れなくなりそうです。
宇田川 最初の車両がお披露目されたときは、本当に緊張しましたね。これが失敗したら僕はニューヨークから引っ越さないといけないぞと本気で思っていました(笑)。幸い事なきを得たのですが、それでも予想外なことはありました。ほかより少しだけ幅の広い車両の天井に、通常は1本しかついていない手すりを2本つけたんです。そうしたら、「ショータイム」と呼んだりするんですが、車内でアクロバットみたいなことをする人たちがいるじゃないですか。彼らがこの2本の手すりに両足をかけて、宙吊りになるパフォーマンスを始めたんです。やられた、その手があったか、と思いました。
上出 それは想像もつかない! ニューヨークには彼らのように、予想もつかないことをするイノベーターがたくさんいますからね。
宇田川 そうですね。彼らのクリエイティビティは本当に侮れない。以前に聞いた話ですが、アメリカの野球文化として、試合の日に球場の駐車場でBBQをするというのがありまして。ブロンクスにあるヤンキー・スタジアムには、地下鉄で行けるんですよ。ある日、雨で試合がなくなっちゃって、せっかくBBQセットを持ってきたんだからと、地下鉄の車両の中でBBQを始めた人たちがいたんだそうです。そうしたらエアコンのフィルターが火の粉を吸い込んでしまい、火事になったと。
上出 そんなことが⁉
宇田川 それ以来、フィルターの材質を変更して、火の粉が入っても火事にならないようにしたそうです。
上出 BBQを禁止するんじゃなくて、フィルターを変えたんだ。
宇田川 そうです。それを聞いたときに、これはもう頭をまっさらにして、目を見開いて向き合わないとダメだなと思ったんです。
上出 「あり得ないでしょ」と思うようなことが実際にあったりするわけですからね。ある意味で、人間の可能性を信じていないとできない仕事ですね。
宇田川 そう。そういう意味では、今回のメティエダールのショーは、そういったニューヨークらしさ、つまりあり得ないことが実現している面白さがあって、いいなと思いましたね。
上出 そういう見方ができるんですね。
宇田川 わかりやすく非現実な空間をつくることは簡単だと思うんです。たとえばですが、地下鉄の駅の天井にミラーボールをつけるとかね。でもそうではなく、ものすごく労力をかけて現実に見える空間をつくっている。本来は、地下鉄の駅ってすごく汚いんです。ショーに使われていた車両だって、映像を見る限りだと1960年代に製造されて数年前に引退した車両だから、あんなにきれいなはずがない。すごく時間をかけてきれいにしているはずなんです。駅の柱だって、ペンキを塗り直したりしたんじゃないかな。なかなか大変だっただろうと思いますね。だから一見すると当たり前の風景ですけど、あれは現実にはあり得ない空間なんです。そこに何げなくモデルたちが現れて、自然に見えるように振る舞っている。いかにも当たり前のようでいて、絶対にあり得ない、でもニューヨークだったら可能性はゼロではないと思わせるような、そういう現実と非現実のバランスが非常にいい演出だなと感じました。
上出 なるほど。僕はファッションは門外漢ですが、それはこのショーで発表された服にも言えるかもしれません。デニムをはいているのかと思ったら実際にはシルクだったり、いかにもストリートの店で売っていそうに見えるニットが、実はシャネルの職人さんたちが手作業でビーズを縫いつけた贅沢なものだったり、一見すると普通だけど実は全然普通じゃない服がたくさん登場していたんです。
宇田川 面白いですね。それも僕の思うニューヨークらしさと通底するものがあるかもしれない。
上出 今日は一貫して、可能性の話をしていたように思います。いろいろな可能性を感じさせてくれるのがニューヨークであり、中でも地下鉄にそれが凝縮されている、と。今回のシャネルのショーは、見ていてエンパワーされたと感じた人も多かったようです。それは、もしかしたらショーを見て何かの可能性を受け取ったということなのかもしれませんね。
1964年生まれ、東京都出身。1991年に米クランブルック・ アカデミー・オブ・アート大学院を修了後、Appleのデザイン部などを経て、1997年にNYにてデザイン事務所Antennaを設立。NY市地下鉄、Knoll、Bloombergなどの仕事で知られる。
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