この8月、傑作《真珠の耳飾りの少女》が14年ぶりに来日。17世紀オランダで憧れの象徴だった真珠を、今身につけるなら?
この8月、傑作《真珠の耳飾りの少女》が14年ぶりに来日。17世紀オランダで憧れの象徴だった真珠を、今身につけるなら?
真珠の耳飾りの少女は何を見ているのか?
ーー 福岡伸一
椅子 ¥139,700/ケントサロン東京
オランダの画家ヨハネス・フェルメールの傑作《真珠の耳飾りの少女》(ハーグ・マウリッツハイス美術館所蔵)が日本にやってきます。熱烈なフェルメールファンとして、私は何度もこの絵を見てきましたが、いつ見ても新しい感動に包まれます。
ご存知のとおり、可憐な少女が青いターバンを巻き、黄土色の衣装に身を包み、ふと振り返ったその瞬間が捉えられています。背景は黒一色に塗り込められています。
この絵は1665年ごろに描かれたと推定されていますが、当時から見ても、この服装は古風なものだったようです。ターバンを巻く風習はオランダにはなく、おそらくはトルコなどの異国情緒を想起させるものとして描かれました。ターバンの鮮やかな青の原料は、ラピスラズリという鉱石で、はるばるアフガニスタンから運ばれてきたものです。フェルメールはこの鉱石を砕いて取り出した青でターバンを描きました。ラピスラズリは、同じ重さの金よりも高価でした。この絵にかけたフェルメールの情熱が想像できます。
この絵が魅力的な理由は、少女の単なるスナップショットではないからだと思います。動画ではないので、絵の中の少女は動くことはありません。しかしここには動的な美があります。ゆっくりと振り返った少女がこちらに視線を投げかけた、その一瞬を捉えているけれど、この絵に描かれているのは、そこに至った時間とそこからはじまる次の時間、つまり来し方と行く末が含まれているのです。絵の中で、時間は止められているようでいて、動いているのです。つまり、静止画として時間を切り取るのではなく、過去と未来を含んだ、厚みのあるものとして時間を感じ取っていた。こんな風に、時間を自在に操れるのはフェルメールだけができたことでした。そう私は思います。ここにフェルメール唯一の独自性があります。
それにしても、憂いを含んだ大きな瞳から、おびえたように、それでいてすっくと投げかけられたこの澄んだまなざしは一体、何を見ているのでしょうか。鑑賞者を見ているようでいて、その視線は鑑賞者を貫き、もっと遠くにまで到達しています。彼女の前にたつと、私自身が透明な存在になったような気持ちになります。
この絵に題材をとったトレイシー・シュヴァリエの小説『真珠の耳飾りの少女』は、このまなざしの謎を次のように解き明かしてみせます。少女は、フェルメール家に雇われた貧しいメイドでした。少女は、色彩や空間に対する研ぎ澄まされた感覚をもっていました。家事のやり方からそれに気づいたフェルメールは、少女に自分のアトリエの掃除や絵の具の準備などを手伝わせるようになります。フェルメールはアトリエに妻や子供も立ち入りを禁じています。しかし少女だけは入室を許されるのです。少女は絵に魅了されるようになり、そしてフェルメール自身にも魅かれていきます。やがてフェルメールは彼女をモデルに絵を描くことになります。
絵は着々と完成に近づいていきますが、何かが足りません。それは一点の光のしずくでした。フェルメールは妻に内緒で、妻の真珠のピアスを少女の耳につけさせます。メイドがそのようなことをすれば何が起こるか。それは明らかです。少女のまなざしの中にあるおびえと決意はまさにここに由来しているのでした。小説は映画化もされましたので、ご覧になった方も多いでしょう。スカーレット・ヨハンソンが少女を、コリン・ファースがフェルメールを、それぞれ名演しています。17世紀デルフトの風物や雰囲気も巧みに再現されていました。ヨハンソンも実際、マウリッツハイス美術館に絵を見にきたそうですよ。
さてこの真珠です。フェルメールはここにも謎をしかけました。真珠は振り向いた少女の顔の陰に隠れた位置にあるので、本来なら、これほどまぶしく輝くことはありえないのです。しかしフェルメールはこの真珠に、絵の中で一番まばゆい光の粒をおきました。絵を見るものはその輝きに吸い込まれます。しかしそれは絵の中だけでしか起こり得ないことなのでした。まさにフェルメールは光の魔術師です。
実は、オランダ・ハーグ市にあるマウリッツハイス美術館に行ってこの絵を見てみると、彼女の見ているものが何なのか、その答えが自然にわかるようになっているのです。絵は、美術館3階の、比較的小さな部屋にそっと掛けられています。そしてこの絵の反対側の壁には、フェルメールのもうひとつの傑作《デルフト眺望》が掛けられているのです。デルフトは、フェルメールが暮らした場所です。同時に少女の生まれ故郷です。そうです。彼女のまなざしはちょうどそこに届いているのです。
1959年東京生まれ。京都大学卒および同大学院博士課程修了。ハーバード大学研修員などを経て、青山学院大学教授、米国ロックフェラー大学客員教授を務める。著書に、『動的平衡』シリーズ、『生物と無生物のあいだ』『世界は分けてもわからない』『できそこないの男たち』など。またフェルメール好きとしても知られ、著書に『フェルメール 光の王国』『フェルメール 隠された次元』などがある。






