究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエク】のスーパーリアルな具象彫刻の世界 【辛酸なめ子レビュー】

街中でふと、妙な気配を感じ、気になる人がいたとしても、マナー的にジロジロ見ることはできません。でも、ロン・ミュエクによって作り出された人物像なら、あらゆる角度から心ゆくまで観察できます。内覧会のプレスツアーで、キュレーターの近藤氏も「普通できないことですが、人物に近寄ってディテールを見ることができます」と話していました。今回の展覧会はカルティエ現代美術財団と森美術館の共催で、パリ、ミラノ、ソウルに続く巡回展。各地で大人気で熱狂を巻き起こしたというのも納得で、人々の心を掴むナラティブな作品が集まっています。ロン・ミュエクは28年間の制作期間で発表された作品数は48点。展覧会には11点の作品が展示され、そのうち6作品は日本初公開です。じっくり観察したりストーリーを想像したりで、長時間没入できる展覧会です。

街中でふと、妙な気配を感じ、気になる人がいたとしても、マナー的にジロジロ見ることはできません。でも、ロン・ミュエクによって作り出された人物像なら、あらゆる角度から心ゆくまで観察できます。内覧会のプレスツアーで、キュレーターの近藤氏も「普通できないことですが、人物に近寄ってディテールを見ることができます」と話していました。今回の展覧会はカルティエ現代美術財団と森美術館の共催で、パリ、ミラノ、ソウルに続く巡回展。各地で大人気で熱狂を巻き起こしたというのも納得で、人々の心を掴むナラティブな作品が集まっています。ロン・ミュエクは28年間の制作期間で発表された作品数は48点。展覧会には11点の作品が展示され、そのうち6作品は日本初公開です。じっくり観察したりストーリーを想像したりで、長時間没入できる展覧会です。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_1

裸の女性が持ちにくそうに大量の木の枝を抱える「枝を持つ女」。髪を振り乱し、体には引っかき傷が。何か事情がありそうで想像が膨らみます。

会場に入ると、いきなりいわくありげな女性が登場。裸体のふくよかな女性が、大量の枝の束を抱えていますが、体をそらせてかなり持ちにくそうです。タイトルは「枝を持つ女」。ここからおとぎ話の世界が始まりそうな、案内人のような雰囲気ですが、ミュエク自身からの説明は特になし。このシチュエーションの伏線回収もありません。他の作品も同様に、鑑賞者は自由に想像を膨らませられます。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_2

「イン・ベッド」は東京都現代美術館で開催された「カルティエ現代美術財団コレクション展」(2006年)でも展示され、話題になりました。

巨大な女性がぼんやりした表情でベッドに横たわる姿を表現した「イン・ベッド」。ベッドの長さが6メートル超えという大きさです。自分の異様なサイズに気づいていないかのような中年女性は、あごに手を添えて、眉間に軽くしわを寄せ、朝から何かに思い悩んでいるかのようです。(今日こそ家賃を振り込まないと)、(夫は昨夜どこに泊まったのかしら?)、(今日は苦手な歯医者だわ……)といった心の声を想像。誰もがこんな憂鬱な朝を経験したことがあると思われます。共感性が高い作品であるいっぽうで、寝起きの女性を至近距離でじっくり眺める、という不躾な行為ができるのもこの展覧会ならでは。禁断の欲求を満たしてくれます。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_3
究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_4

巨大な彫刻も多いですが、こちらは小さく表現された「若いカップル」。衣服もそのまま縮小されていて、精巧さに驚かされます。

ミュエクの作品のモチーフとなるのは、セレブや美男美女ではないけれど、外で見かけたら気になって仕方がないような、ワケありオーラを発している市井の人々です。「若いカップル」も、一見どこにでもいそうな10代の男女。身を寄せ合っていますが表情は暗く、背後で彼が彼女の手首を無理やりつかんでいるようです。何があったのか、若い2人の周囲をぐるぐる回って観察しながら想像。昨今の「考察ブーム」と相乗効果で盛り上がりそうな展覧会です。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_5
究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_6

「ゴースト」は、急速に変化する身体に戸惑いを隠せない内気な若い女性を表現。誰もがくぐりぬけてきた普遍的な時期に共感し、感情移入させられます。

水着を着た10代の女性が壁にもたれかかっている彫刻は「ゴースト」です。脚がかなり長く、足のサイズも大きくて、不思議な違和感が漂っています。女性のぎこちない表情は、少女と大人のはざまで肉体的にも精神的にも居心地の悪い時期を象徴しているようです。がんばって、と声をかけたくなる作品。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_7
究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_8

古びたポートの中に一人で座る「舟の中の男」。またもや全裸で、彼はどこから来てどこへ行こうとしているのでしょう。背伸びして舟の中を覗き込むと露わな下半身が……。

「ゴースト」が思春期の悩みを表現しているのなら、「舟の中の男」は中年の危機(ミドルクライシス)を象徴しているのかもしれません。おじさんが1人、全裸で古びた舟に乗っています。舟は何を象徴しているのか、不安げに腕組みをしてオールも持っていない彼は人生を投げてしまっているようにも見えます。こちらも多くの人が感情移入できるナラティブな作品。ミュエクがベラスケスの絵画「無原罪の御宿り」に描かれている小さな舟をこの作品に取り入れたというのも意味ありげです。何があっても無原罪の聖母マリアが守ってくれている、というメッセージでしょうか。 

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_9

フランスの写真家で映画監督のゴーティエ・ドゥブロンドが撮影した、ミュエクのアトリエの風景。作品がていねいに扱われているのがわかります。人体模型も各所にあって、人体をリアルに再現するための参考にされているようです。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_10

高齢の男性がテーブルの上のニワトリと真剣な表情で向かい合う「チキン/マン」。ニュージーランドのクライストチャーチ・アート・ギャラリーのために制作。

ミュエクは、時々実在の人物を作品のモチーフにすることもあるそうです。彼の作品のモデルになることは本人的には栄誉なのか、それとも複雑な心境なのか……。アトリエの近くにいた、怒りっぽいシニア男性をモチーフにした「チキン/マン」の場合は、後者かもしれません。たるんだ体型の70代くらいの男性が、パンツ一丁でニワトリと対峙しています。警戒心を見せる男性に対し、ニワトリが余裕に見えるのは気のせいでしょうか。チキンは「臆病者」「腰抜け」を意味するスラング。実在する男性がこの作品を見て、さらに怒らなかったことを願います……。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_11

「チキン/マン」ごしの展示会場。この作品は実際の人体よりかなり小さいですが、撮り方によっては作品が等身大にも小さくも見えるのが不思議です。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_12

「買い物中の女」は原寸よりも小さいサイズで、弱さやはかなさ、疲労感が表現されているそうです。「聖母子像」の現代的な解釈、という説も。

「買い物中の女」は、ミュエクがロンドンのスタジオの近くで見かけた、信号待ちしていた女性がモデルだそうです。ミュエクは駐車券の裏にパパッとスケッチして、それをもとにリアルな彫刻を制作。ロンドンの有名スーパーの袋を両手に持ち、赤ちゃんを抱えて疲れた表情の若い母親。ミュエクははかない姿に惹かれて応援したくなったのでしょうか。一瞬だけ見かけた女性をていねいに再現するところに優しさを感じます。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_13

「マスクⅡ」の表面はリアルな自画像で、背面は空洞です。現実と非現実が絶妙に入り混じり、安らかな表情と反対に、人間の存在についての不安を感じさせられます。

「マスクⅡ」は、眠りに落ちた作家自身の顔を特大サイズで超リアルに表現しています。知っている人が見ると、気持ち悪くなるくらいそっくりだとか。近寄ると、ヒゲや頭髪など一本一本精巧に作り込まれていて、お面のような裏側とのギャップにも驚かされます。それにしても、一般人の不安げな彫刻作品とは裏腹に、自画像は安らかな寝顔とは。ゆっくり休みたいという本人の願望を表しているのでしょうか……。

究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_14
究極の人間観察ができる、【ロン・ミュエクの画像_15

100点の巨大な人間の頭蓋骨で構成されている「マス」。作家自身が配置を決めて展示。オーストラリア、フランス、イタリア、 オランダ、、韓国と、世界各国の美術館で再現されているのも驚きです。

サプライズ的なしかけの作品もあり、サービス精神旺盛なミュエク。今回のメインで最大のサプライズは、インスタレーション「マス」です。巨大な頭蓋骨の彫刻100点で構成されていて、まるで頭蓋骨の迷路を歩いているよう。タイトルの「マス」は、大量のもの、積み重なったもの、カトリック教会のミサ、など複数の意味があるそうです。ミサによって大量の頭蓋骨が鎮魂されるのでしょうか。死を意識させられる空間ですが、頭蓋骨があまりにも大きくてシュールなので恐怖を感じさせません。「見慣れたものでありながら奇異でもあり、私たちは 拒絶しつつも、同時に惹きつけられる。無視することはできず、無意識のうちに 私たちは注意を向けてしまうのである。」と、ミュエク氏のテキストが添えられていました。この量とボリュームで、無視できないどころか永遠に忘れられない空間です。展示期間中は、「映える」頭蓋骨の山の狭間で写真を撮る人々が続出し、知らずのうちに頭蓋骨に慣れて死への恐怖が薄らぐかもしれません。

ミュエクの作品を見ると、人間に強い興味を持っていることが伝わってきて、慈愛の眼差しすら感じます。誰もが共感できる人生のワンシーンに感情移入しつつ、芸術に昇華されたことで、もやもやした思いが浄化されます。仏像よりもリアルで親近感があって、人間の悩みを背負ってくれそうなミュエクの彫刻を見ていると、手を合わせたくなってきます。

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ミュエクの初期の代表作「エンジェル」は個人コレクターが所蔵していて、こうやって展覧会で展示されるのは珍しいそうです。

「ロン・ミュエク」
期間:~2026年9月23日(水)
時間:10:00~22:00 ※火曜のみ17:00まで(入館はいずれも閉館時間の30分前まで)
※ただし5.5(火・祝)、8.11(火・祝)、9.22(火・祝)は22:00まで
休:無休
会場:森美術館
港区六本木ヒルズ森タワー53階
主催:森美術館 カルティエ現代美術財団
https://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/ronmueck/

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辛酸なめ子

漫画家、コラムニスト。埼玉県出身、武蔵野美術大学短期大学部デザイン科グラフィックデ ザイン専攻卒業。アートやアイドル観察からスピリチュアルまで幅広く取材し、執筆。主な著作は『江戸時代のオタクファイル』(淡交社)『女子校礼讃 』(中央公論新社)『スピリチュアル系のトリセツ』(平凡社)など多数。Twitterは@godblessnamekoです。