ルックスマキシングの罠【ブレイディみかこのSISTER "FOOT" EMPATHY】

"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談

※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。

ブレイディみかこのSISTER

「○○マキシング(maxxing)」という言葉がある。若い世代がよく使う言葉で、「○○を最大化(maximize)する」という意味だ。スリープマキシング、オーラマキシングなどいろいろあるが、最もよく見聞きするのはルックスマキシングである。ルックスの最大化。それはつまり、外見を磨くことであり、科学とテクノロジー(=お金)の力を借りて外見の美しさを極限まで追求することらしい。

過去20年間で、美容整形手術やボトックスなどの施術の人気は高まり、お金で買える美しさへの欲求は、これまでになく高まっている。ソーシャルメディアの普及がこれに拍車をかけたのは言うまでもない。「ルックスマキシング」インフルエンサーも登場しており、「科学」と「自己改善」という言葉を連呼して、顔の左右対称性や肌質など、美は定量化できるかのように振る舞い、視聴者にも必要に応じて外見の改善を行うべきだと言う。

このようなトレンドを後押しするように、数多くの顔分析サービスが存在している。QOVES(キューヴス)という顔分析と顔改善アドバイスを提供するデジタルサービスなどは、美は定量化可能という説に信憑性を持たせるため、査読済みの研究論文を引用するなどしている。QOVESは、男性と女性の両方の顔の分析サービスを提供し、注射や手術などの推奨も行う。同社のサービスに関する記事を『ガーディアン』紙に書いた女性ライターは、正面から撮った自分の顔と横顔の写真をアップロードしたら、その顔の特徴を18項目にわたって分析したレポートと、16ページにおよぶ「美的プロトコル」を入手できたという。そのプロトコルには、彼女の顔を分析した結果、推奨されること(リップフィラー、メイク、抜いて細くした眉毛など)を実行した場合の顔のモデル画像も含まれていた。

同記事によれば、このサービスは、学術誌に掲載された論文を参照しながら、ユーザーの特徴を「男性的な顔立ちと女性的な顔立ち」に基づいて分類している。だが、この論文を発表した心理学教授は、自分たちの研究は、主に米国人の大学生が特定の顔をいかに「男性的」「女性的」と認識しているかというものであり、それゆえに限定的だったと認めている。なぜならその論文が、世界や国を構成するあらゆる人口集団に当てはまるわけではないし、魅力的だと見なされる身体的特徴が、地域の文化や生態系によって異なるということも反映されていないからだ。だから、そのような研究に基づいて誰かの顔を分析し、施術を提案するようなことは不可能だと論文を書いた本人が言っているのだ。

AIツールが人種的偏見を助長していると批判されることが増えている現代にあっては、この問題はより切実だろう。もちろん、顔分析サービスの企業は、ユーザーの居住地や人口統計に共通する顔の特徴や個性を考慮していると言う。しかし、実際には、こうした企業が宣伝に使用するイメージはきわめてヨーロッパ的(つまり、白人的)だったりする。女性なら、細い鼻や大きな二重の目の場合が多いのだ。均整と調和の取れた顔というのが、白人女性の顔を前提として分析されているとすれば、これは「美の多様性」という概念からは大きく後退したことになる。

もちろん、自分の外見に対するコンプレックスや、人にどう見られているかという不安を利用してビジネスを構築するのは道徳的にどうなのかという問題もあるし、科学とテクノロジーの名のもとに、過剰に外見に拘泥する若者を増やしているのではという懸念もある。個人的には、顔分析サービスは「多様性」や「多元性」といった考え方を骨抜きにしてしまうようで恐ろしい。美の定量化は、何らかの美の基準があるからできることだ。たとえば、鼻の長さは何センチメートルで、顔全体の長さの何パーセントであるべきというような比率の基準が存在しないことには、人の顔にスコアをつけたり、改善すべき箇所を発見したりすることはできない。

だからこそ、その基準に合わせて顔を変えなければならないと人々に思わせるサービスは、同じ顔の男女を世に増やそうとしているファシズムのように思えてしまうのだ。その顔が白人の顔だとすれば、これは新手の白人至上主義と言えないこともなく、欧米の政治社会状況(排外主義の盛り上がり)を鑑みると、リンクを感じてちょっとゾッとする。

そもそも、マキシングという言葉にもなんとなくヤバいものを感じる。最大化する、というのは、そもそも「これ以上は大きくなれません」という一定の枠がなければ成立しない。枠があるからこそ、その内部での最大化ができるのだ。これは「最適化」という表現によく似ている。与えられた環境の中で最もうまくやっていくことを「最適化」というのであり、これにしても、環境は変えることができないという前提が存在しなければ意味をなさない言葉である。

マキシングのような言葉が流行する背景に、われわれは枠にはまっていて、そこから抜け出すことはできないという無意識の前提があるのではないか。環境はすでに構築されていて、つくり変えることはできない。美の基準はすでに定義されていて、変えることはできない。そんな諦めにも似た現状認識である。前提そのものを打ち壊していこうというエネルギーが、わたしの若い頃には美容業界なんかにも満ちあふれていた気がするのだが。みんな賢くなりすぎたのだろうか。賢い人ばかりになると、枠をぶち破ろう、常識を変えようという無謀な先駆者がいなくなる。そんな社会の行く先は、均質で息苦しい「同じ顔ファシズム」のディストピアではないだろうか。

シスターフッドは「同じ顔ファシズム」や「変えることはできない」という前提から自由であってほしい。女性の権利を前進させてきた過去の先輩たちは、いつだって前提や常識を変えようとした抵抗の人だったのだから。そういう意味では、一つだけ好きになれるマキシングもある。それは、ナッシングマキシング(nothingmaxxing——何も最大化しない)だ。

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ライター・コラムニストブレイディみかこ

ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。本連載をまとめた『SISTER“FOOT”EMPATHY』(集英社)が好評発売中。

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