"他者の靴を履く足"※を鍛えることこそ、自分の人生を自由に歩む原動力となる! 真面目な日本女性に贈る、新感覚シスター「フット」談
※ ブレイディさんの息子が、他者の感情や経験などを理解する能力である"エンパシー"のことを、英国の定型表現から「自分で誰かの靴を履いてみること」と表現。著作内のこのエピソードが多くの反響を呼び、社会現象となった。
※本文に、ウェブ掲載時加筆修正を加えています。
ジェイン・オースティンの名は、英国文学好きの人だけでなく、映画好きの人にも知られているだろう。特に『Pride and Prejudice』は、『高慢と偏見』や『自負と偏見』『誇りと偏見』というタイトルで何度も翻訳出版されてきた。また、映画ファンならキーラ・ナイトレイ主演の『プライドと偏見』(2005)を観た人もいるだろう。古典映画ファンなら、ローレンス・オリヴィエがダーシー役を演じた『高慢と偏見』(1940)も観ているかもしれないが、英国の人々の間では、BBC制作のドラマ版「高慢と偏見」(1995)が映像化作品では最も有名と言っていい(このドラマでダーシー役を演じて大ブレイクしたコリン・ファースの「濡れシャツ」シーンはいまでも中高年女性たちの間で語り草である)。
そのスピンオフと呼べるドラマが、今年、BBCで放送された。「The Other Bennet Sister」というこのドラマは、「高慢と偏見」の主人公エリザベスの、聡明で内気で眼鏡をかけた妹、メアリーの物語だ。ベネット家の5人姉妹の中では、最も目立たず、華やかな姉妹たちの陰に隠れて本ばかり読んでいるオタクなキャラで、ずっと独身でいる気ではないかと母親をやきもきさせているメアリー。経済的に安定した相手と結婚することが女性の生き延びる道と考えられていた時代にも、このような女性は確かにいたはずである。きっと現代には、メアリーに共感する女性はたくさんいるのではないかと思っていたら、身近にやっぱり存在した。
「頭がよくて読書好きな女の子であるということは、若い時代のある時期を脇役として生きるということなんだよね。そんな時期があったことを、生々しく思い出してしまった」
と言っていたのは、40歳になったばかりのボランティア仲間だ。それを聞いて驚いたのは、いまの彼女はすこぶる快活で、グラマラスな人だからだ。
「私がティーンだった頃は、女の子は頭がいいか可愛いか、どちらかしか選べないっていう暗黙のルールみたいなものがあった。両方を兼ね備えた人もいたけど、モテようと思ったら、わざと物を知らないふりをしたり、もっと外見を磨くことに時間を使ったりしていた。いまの若い女の子たちは、違うのかもしれないけど……」
という彼女は、ドラマの中のメアリーが姉妹と一緒に歩くときに、うつむいて誰にも気づかれないようにしている姿を見て、自分もああだったと思い出し、胸が痛くなったという。
「どうしていつも下を向いているの?って同級生に尋ねられたことがあった。その子は活発で可愛くて、きっと私の自信のなさが本当に理解できなかったんだと思う」
いわゆる英国の時代劇で、ロングドレスがよく似合うモデルのような容姿でなく、ごく地味でどこにでもいそうな若い女性が主人公になるというのは、いまだに珍しい。女性が主人公の時代劇でありながら、単なる恋愛物語として終わっていないのも新鮮だ。本家本元の『高慢と偏見』にしても、同じ英国文学の金字塔、エミリー・ブロンテ著『嵐が丘』(こちらも今年また映画化作品が公開されて話題になった)にしても、これらの小説を単純化するのは気が引けるし、むろんさまざまなテーマが織り込まれているが、大筋として結婚の物語であるのは間違いない。けれども、今回のドラマは、恋愛の要素もありながら、メアリーが自分自身を受け入れ、自立し、自分を愛することができるようになるまでの過程が中心になっている。恋愛はその結果としてついてきたものと言ってもいい。
ベネット家の母親の描き方が、エリザベスが主人公の「高慢と偏見」とは違うのも特筆すべきだ。「高慢と偏見」では、母親は軽薄で愚かな人物として描かれている(美しく魅力的なエリザベスからの視線だろう)。しかしメアリーが主人公のドラマでは、非常に虐待的で、狡猾ないじめを行うキャラとして描かれているのだ。同じ母親でも、姉妹一人ひとりがまったく違う関係性を経験しているという視点はリアルだし、母親がメアリーにつらく当たるのも「男性に選ばれて結婚するのが女性(とその家族)の生活保障の手段」と考えられていた時代だったせいだ。
『高慢と偏見』の読者なら知っている通り、ベネット家の姉妹たちは父親が亡くなるとその資産を相続できなくなるため、住む家さえ失うことになり、よって資産家との結婚がサバイバルの条件になる。このような状況がメアリーのようなタイプの若い女性に与えるプレッシャーは甚大なものになるが、しかし、これはまったく昔の話だと言い切ってよいのだろうか。
英国では、若年層の失業率が上昇しており、就労、就学、職業訓練のいずれも行なっていない若者(ニート)の割合も増加している。「トラッドワイフ」(traditionalとwifeを組み合わせた言葉)なる運動というか考え方も生まれ、伝統的な専業主婦としての生き方を見直したいと思う若い女性たちが存在するのも、こうした経済状況と無関係ではないだろう。
前述の『嵐が丘』もそうだが、なぜ19世紀の結婚をめぐる物語が繰り返し取り上げられ、新たな形で表現され続けるのかは興味深いところだ。私たちは、実は過去や昔の慣習から、思っているほど遠く離れていないのではないか。現代の女性は、メアリーのように「結婚か不幸か」の選択を迫られることはないが、結婚制度や経済といった問題が社会から消え去ったわけではないのだ。
本ドラマの白眉は、1995年のドラマ版でメアリーの役を演じたルーシー・ブライアーズが、ベネット家のハウスキーパー、ミセス・ヒルの役で出演しており、孤立するメアリーを支える重要な役割を果たしていることだ。外の世界に出て行きなさいとミセス・ヒルはメアリーに言う。閉塞した屋敷の中で暮らすのではなく、家族以外の人々と出会い、自分がどう受け止められるかを知れば、メアリーは自信を持つことができるとミセス・ヒルは信じていたのだ。それは昔のメアリーから、現代のメアリーへのシスターフッドな激励に見えた。
もっと広い世界に出て行きなさい。もし自分に娘がいたら、おそらく私もそんなことを言っていただろうと思いながら見たドラマだった。
ライター・コラムニスト。英国在住。『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)、『私労働小説 負債の重力にあらがって』(角川書店)など著書多数。本連載は『SISTER“FOOT”EMPATHY』(集英社)に収録。