既存の物語や歴史を別の視点から語り直す「リトールド」。隠されてきた声や固定観念に対する疑問に光を当てるこの試みを、文学・映画・演劇・アート・BLの分野から分析する
既存の物語や歴史を別の視点から語り直す「リトールド」。隠されてきた声や固定観念に対する疑問に光を当てるこの試みを、文学・映画・演劇・アート・BLの分野から分析する
【鼎談】鴻巣友季子×北村紗衣×相馬千秋
1963年、東京都生まれ。訳書にマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(ともに新潮文庫)、マーガレット・アトウッド『誓願』(早川書房)など。著書に『小説、この小さきもの』(朝日新聞出版)など。
1983年、北海道士別市生まれ。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評。著書に『学校では教えてくれないシェイクスピア』(朝日出版社)など。近著は『素面のダブリン市民――ゆるふわアイルランド紀行』(書肆侃侃房)。
ディレクターやキュレーターとして、あいちトリエンナーレ2019、シアターコモンズ(2017〜)、世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023などを多数手がける。東京藝術大学大学院美術研究科准教授。
今、触れたいリトールド作品
この先、この作品のリトールドが読みたい!
証言:アートとRetold
女性作家が本流で正当に評価される未来へ
アート界における女性アーティストの捉え方の変化をさかのぼると、まず近代以降、日本では女性の美術家が女性だからという理由で、あまり評価されなくなりました。理由は、近代に教育制度や家族制度が作られる中で、アートの仕事は男性のものと振り分けられたからです。それによって女性が優秀な美術家になる道は閉ざされた。戦後に男女平等が法制化され、ようやく女性作家が注目を浴びるようになりました。ところがそのときは、あくまで美術の本流の外側で、女性らしい感性とか、個人的に創造的な表現ができるという評価だったんです。それは一瞬褒め言葉に聞こえても、美術史の中で重視される価値とは別枠だと考えられました。このようにいったん注目が集まっても、消費して飽きられるので持続しない。その構図は現代まで続き、女性作家は美術史や表現の歴史の主役にはなかなかなれないまま今日まで来ています。
最近は女性作家や作品に焦点を当てた展覧会が好評です。昨秋から行われている『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』展に、私も学術協力をしました。女性作家がほとんど表に出ていなかった60〜70年代に、コンセプチュアルアートを創作した木下佳通代の展覧会もありました。こういった隠れた女性作家や作品のリトールドが盛んなのは、女性が自分たちの文化を知ることに抵抗を持たず、意義を見出すようになったことが大きい。長い間芸術は生活や日常から切り離された、普遍的な価値を持つものと理解されてきたので、アート界の男性目線では、日常と消費は女性や子どものもので、芸術や生産及び創作は男のものという棲み分けがありました。でも男性作家も日常のものを作品にしているのにそういう評価にならないのは変です。ジェンダーに関係なく、美術史の文脈で正当に評価されてほしい。
美術館の学芸員は自館のコレクションをすべて把握しているわけではありません。コレクションから再度その時代の作品の見方を立ち上げる仕事は今各館で行われているはずで、その際に女性作家の作品が掘り出されることが多い。『アンチ・アクション』展でも同様です。美術史ではいなかったことにされている女性作家ですが、当時は展覧会に何度も出展していたので、展示しているのは有名な作品です。これを機会に捉え直され再び知られるようになるかもしれません。
また、女性作家自身がリトールドしているのも重要な動きです。長島有里枝は90年代に自作が"女の子写真"という枠にはめられたことを問題にし、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』を出版するなど、枠組みを解体して新しい物語を作り出そうと挑戦しています。岡田裕子は亡き女性美術家の井戸端会議を自分の声で再現する新作インスタレーションを発表しました。リトールドが女性作家側から行われる状況は、今日のアート界の変化を示している。今度こそ消費だけで終わってほしくないと強く思っています。
一橋大学大学院言語社会研究科美術史専攻博士課程後期単位取得満期退学。博士(学術)。首都大学東京人文科学研究科准教授などを経て現職。『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』展(東京国立近代美術館ほか)に学術協力。
証言:BLとRetold
「二次創作」と増殖するリトールド
ここではボーイズラブ(BL)という言葉を、「女性が女性に向けて描く、男性同士の恋愛・性愛の物語」という広義の意味で使います。このジャンルは日本や英米圏で70年代に同時多発的に誕生しました。日本では、竹宮惠子『風と木の詩』をはじめ、記念碑的な少女マンガが次々に発表されました。さらに80年代には、アマチュアの女性たちによって、既存作品(少年マンガなど)の「二次創作」の形で男同士の性愛を描く同人誌が爆発的に増加し、現在まで流行しています。また日本の影響を受けつつ独自の発展を遂げたタイは、BLドラマの先進国として注目されています。BLや、BL的な二次創作は、フェミニズムと関係があるのかとよく聞かれますが、私としては「人による」としか言えません。実際、愛好家の多くは、フェミニズムはもちろん、LGBTQ運動についてもあまり関心がないように思います。ただし、BLを楽しむ理由として「異性愛ものは、現実を念頭に置いてしまって楽しめない」と語る人が一定数見られますので、これは自覚がなくともフェミニズムに近しい現実認識かもしれません。
さて、BLを論じるとき、二次創作、すなわち既存作品を「リトールド」するという営みを切り離しては考えられません。というのも、プロのBL作家の大半は、二次創作で注目を集め、スカウトされるという経緯でデビューしているからです。00年代以降は、他ジャンルでも活躍する方が目立って増えました。マンガではよしながふみ、雲田はるこ、ヤマシタトモコら、枚挙にいとまがありません。このように発表の場を広げていった人々の中でも、二次創作をまたやりたいという方は少なくありません。
BL的な二次創作においては、既存作品の中で描かれていない(場合によってはタブーとされている)男同士の「カップリング」を、読者が妄想してリトールドします。たとえば、ある作品を読み「この二人、デキてる?」と思う。そのカップリングについての、言うなれば"学説"を物語にして発表する。二次創作における"学説"については、よしながふみが、対談集『あのひととここだけのおしゃべり』で熱弁しています。また作品にしなくとも「この子たち、ここでデートしてそう!」などの「語り直し」が同好の士の間では日常的に行われています。
同人誌など非商業作品は、描き手と読み手の敷居が低いことが、最も注目すべき部分だと思います。さらに二次創作は1ページのイラストや短文でも成り立ちますから、誰でもすぐに描き手になれます。表現のプロから見たら稚拙でしょうが、下手でも発表できる、発表ペースも自由、というのが同人誌のいいところです。pixivをのぞけば、手放しで「うまい」と言えない作品もたくさんあります。でもそれを見ると「あ、私もやっていいかも」と思えます。そしてまた新しい描き手が現れ、女性たちのリトールドが増殖していくのです。
1973年生まれ。在野武将。社会学修士。BL、同人誌関係の共著に、佐藤健二・吉見俊哉編著『文化の社会学』(有斐閣)、二村ヒトシ・岡田 育・金田淳子『オトコのカラダはキモチいい』(メディアファクトリー)などがある。





















