『ハムネット』など、注目のリトールド作品を解説。物語を描き直す意味とは?

既存の物語や歴史を別の視点から語り直す「リトールド」。隠されてきた声や固定観念に対する疑問に光を当てるこの試みを、文学・映画・演劇・アート・BLの分野から分析する

既存の物語や歴史を別の視点から語り直す「リトールド」。隠されてきた声や固定観念に対する疑問に光を当てるこの試みを、文学・映画・演劇・アート・BLの分野から分析する

INDEX

【鼎談】鴻巣友季子×北村紗衣×相馬千秋

Retold:物語に隠されてきた本質をえぐる、私たちのアダプテーション

鴻巣友季子×北村紗衣×相馬千秋

上演ごとに視点が加わる演劇はリトールドの宝庫

――文学や映画、演劇界で昨今リトールド(語り直し)が盛んに行われています。『ハムレット』(1)をシェイクスピアの妻の視点で描き直した小説『ハムネット』(2)の映画化(3)が注目されていますが、これもそのひとつといえます。そもそものリトールドの意味、役割について教えてください。

鴻巣 古代ギリシャ叙事詩『オデュッセイア』(7)を主人公オデュッセウスの妻ペネロペイアの視点から語り直した『ペネロピアド』(9)には、原典にはない場面、たとえば妻が夫に疑問を投げかけたり、理由なく殺される12人の女中たちが登場したり。リトールドはそういう元ネタでは無視されていた声や視点を浮き彫りにします。作者のマーガレット・アトウッドは小説の舞台を別の時代や場所に置き換えるなど、時空をずらすことで物語の隠れていた本質を可視化するのがリトールドの役割だと言っています。

北村 シェイクスピア研究者の立場で言うと、リトールドはアダプテーション、翻案と同義です。でもリトールドという言葉のほうが、アクセスしやすい雰囲気があるんだと思います。

相馬 演劇はどの古典でも上演のたびに新たな視点が加わるものなので、必然的にリトールドになります。近年は演劇界でもフェミニズムの潮流が強く、女性や弱者の視点から描き直すことはよく行われています。作り手が言いたいことを主張するための戦略として古典の枠組みを使う面もありますね。

――具体的にはどのようなリトールド作品に注目していますか?

鴻巣 『じゃじゃ馬馴らし』(12)を大胆にリトールドした『ヴィネガー・ガール』(13)は痛快な小説でした。あれは北村さんの解説が秀逸。最近では『ハックルベリー・フィンの冒けん』(14)を語り直した『ジェイムズ』(15)が話題です。それから2022年に訳書が出た『赤の自伝』(5)。古代ギリシャの詩人ステシコロスによる怪物ゲリュオンが退治される話。原典は断片しか残っていませんが、アン・カーソンはそれにインスパイアされてBL風味の物語にリトールドしました。

北村 最近読んだリトールド作品は『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』(6)のシリーズ。ヴィクトリア朝のホラー、ミステリー、ファンタジーなどのジャンルに出てくるマッド・サイエンティストの娘たち、つまりジキルやハイドの娘、モロー博士の猫娘、フランケンシュタインの花嫁とかが勢揃いして、犯罪と戦うんです。ヤングアダルト小説にはシェイクスピアやシャーロック・ホームズを翻案したものもたくさんあります。

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_2

――リトールドという方法は昔から行われていたのでしょうか。

北村 18世紀頃から20世紀初頭までは、オリジナル作品が素晴らしいという意見が強く信じられていました。でもそれ以前のシェイクスピアの時代にはそんな考えはなく、ローマ史や古典の面白そうな話を人にうまく提供できればいいとされていたんです。

鴻巣 シェイクスピアの作品自体がリトールドなんですよね。

相馬 そうです。宝塚歌劇で人気演出家だった上田久美子が、フリーになって手がけた『ハムレット』(4)は面白い演出でした。また演出家・劇作家の市原佐都子は、あいちトリエンナーレ2019で、古代ギリシャ悲劇『バッカイ』(16)をラディカルに翻案した『バッコスの信女―ホルスタインの雌』(17)を創作。世界演劇祭2023では、能の『弱法師』をクィアフェミニストの視点から翻案した劇を作りました。『弱法師』には俊徳丸伝説が、歌舞伎や文楽、能の謡曲になって、折口信夫が小説『身毒丸』を書き、寺山修司が戯曲にしたという流れがあります。こういうことは演劇では昔から当たり前に行われていることです。

北村 当たり前だから、シェイクスピアもリトールドと思わない人が多いですよね。上田の『ハムレット』もそんなに変わったことをしていると思いませんでした。

――ほかにどういった語り直し方が多いのでしょうか。

北村 20世紀前半に書かれたジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』(8)も『オデュッセイア』の語り直しです。ユダヤ系アイルランド人の個人的な話に置き換えられています。かなり大胆な翻案で、今のリトールドに近いかも。

鴻巣 弱者側から描いていますよね。

北村 そうですね。ちなみにオファーレルの『ハムネット』は、『ユリシーズ』で主人公のスティーヴンが図書館で話している話が元ネタのひとつになっている気がしています。オファーレルはアイルランド文学の伝統を愛しているんだなと思いながら読んでいました。

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_3

西洋白人男性中心の名作を自分たちの物語に語り直す

――なぜ今、女性や弱者の視点からのリトールドが盛んなのでしょうか。

相馬 古代からこれまでのほとんどの物語は男性が言語化してきたものです。日本でも西洋の教養が規範としてあって、私たちはそれを教育されてきたから内面化しています。しかしよく考えると人類が何十億人もいるのに、西洋白人男性というひと握りの人たちの視点の作品だけが、世界文学全集の大部分を占めているのはおかしなことです。でもそれが共通の物語として普及しているなら、自分の物語として語り直したくなるのも納得できます。

北村 法的に著作権切れでリトールドしやすくなっているのもあります。また学術的には60〜70年代にフェミニスト批評やポストコロニアル批評が始まり、女性や非白人の作家の作品が掘り起こされて市場に出たことも大きい。それを読んで触発された人が作品を書き、市場で受け入れられるようになったのも理由かと思います。あと、英米市場で白人男性だけをターゲットにしていても、もう売れないんだと思うんです。非白人で文化的遺産を大事にする人とか、女性やクィアコミュニティをターゲットに売ったほうが、忠実なファンや読者層を見込めるという実情があるのかもしれません。

鴻巣 アメリカではコンシャスな読者は女性が多いと言われていて、その中でもマイノリティ目線を持っている人が少なくない。英米で若い人が翻訳文学を読むのもそこに通じる気がします。翻訳文学は文芸界では少数派です。他者の他言語の作品を読むこと自体、マイノリティ目線を持つことなので。

――リトールドには、男性の作り手によって都合よく描かれてきた女性像の捉え直しという意味もありそうです。

鴻巣 昔の小説では追い詰められると女性は死んでしまうし流産するし。

北村 映画でも若干あると思います。

鴻巣 ニナ・メンケスの映画『ブレインウォッシュ セックス−カメラ−パワー』(’22 年公開)では、ヒッチコックなどの名監督の作品がいかにメイル・ゲイズ(男性視線で描くこと)で撮られているかを解き明かしていました。私もそういう目で見ていたとわかって、かつての自分に腹が立ちましたね。

――フィメイル・ゲイズ映画では『ハムネット』のほかにも、『若草物語』をグレタ・ガーウィグが脚色した『ストーリー・オブ・マイライフ/わたしの若草物語』(’19年公開)、今年公開のエメラルド・フェネル監督の『嵐が丘』(11)などで、古典文学を女性や弱者の視点で語り直しています。そういう自分たち側からリトールドする女性の作り手は増えているんでしょうか。

鴻巣 『嵐が丘』(10)は19世紀最大の女性作家と言ってもいいエミリー・ブロンテの唯一の作品なのに、過去に映画化した監督は男性がほとんど。そもそも監督を含めて映画の現場が男性中心でした。2011年にアンドレア・アーノルドが撮って、今年のフェネルで二人目。21世紀になってようやく女性が『嵐が丘』を撮るようになったんだと感慨深いものがあります。

相馬 演劇に限らずアート界もそうですが、歴史化されていく過程で見えなくされてきた女性作家がたくさんいて、その人たちを再評価しようという動きが、ここ20年くらいで非常に活発になっています。映画界だけでなく、演劇界もアート界も男性中心主義の社会。ドイツの演劇界も主要な演出家は男性ばかりだったところが、この10年くらいで制度の変更もあって、女性演出家がフィーチャーされるようになりました。今はむしろ女性演出家の取り合いのような状況になっています。

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_4

――これからどんなリトールド作品を味わいたいですか?

相馬 演劇界ではオリジナルのほとんどが西洋由来の作品なので、アジアで共有できる物語が必要だと思っています。アジア各地に残っている神話や伝説みたいなもの、たとえば『竹取物語』はアジアにも同じ類型の物語があるらしいので、そういった物語をベースに、アジア圏の女性たちが連帯するのに役立つようなリトールド作品があるといいなと思っています。

北村 英文学研究者としては、ジェフリー・チョーサーやジェイムズ・ジョイスの作品を落語化してほしいですね。

鴻巣 『カンタベリ物語』とか。

北村 そうです。ほかにも面白そうな短編小説ですぐに落語になりそうなものがあります。ポッドキャストで聴けそうな短い落語にしてくれたらいいのにっていつも思っているんです。特にチョーサーは完全に著作権が切れていますので、落語にし放題のはず。

鴻巣 『蠅の王』や『ライ麦畑でつかまえて』など、今アメリカで州によっては閲覧禁止(禁書)要請が出される本が増えています。エリート白人男性しか出てこないというのがその理由のひとつ。そういう意味でも私は黒人作家のパーシヴァル・エヴェレットに、黒人のレイプ裁判の行方を描いた60年代の作品『ものまね鳥を殺すのは』(『アラバマ物語』)をリトールドしてほしい。アメリカ随一の作家になった彼が次にやるべきはこれかもしれません。

『新訳 ハムレット 増補改訂版』河合祥一郎訳 角川文庫/726円

『新訳 ハムレット 増補改訂版』河合祥一郎訳 角川文庫/726円

ウィリアム・シェイクスピア作『ハムレット』。近世に書かれた名作戯曲の原典とバリエーションを見てみよう。
1 原文のリズムや韻を生かして翻訳された訳書。

『ハムネット』マギー・オファーレル著 小竹由美子訳 新潮社/3,080円

『ハムネット』マギー・オファーレル著 小竹由美子訳 新潮社/3,080円

2 1580年代、イギリスのストラトフォード・アポン・エイヴォンに暮らすアグネスは、家事や子育ての合間に薬草で人を治療する謎めいた女性だった。村に疫病が流行り始め、彼女の息子ハムネットも感染してしまう。戯曲『ハムレット』誕生の前日譚をシェイクスピアの妻の視点から描いた長編小説。

クロエ・ジャオ監督の映画『ハムネット』

 ©2025 FOCUS FEATURES LLC. 配給:パルコ  ユニバーサル映画

3 クロエ・ジャオ監督の映画『ハムネット』(公開中)。第98回アカデミー賞の8部門にノミネートされ、主演のジェシー・バックリーが主演女優賞を受賞した

上田久美子演出の演劇公演『ハムレット』

©SPAC Photo by K.Miura

4 上田久美子演出の演劇公演『ハムレット』。死せるオフィーリアの視点から"元カレ"ハムレットの物語を上演するという演出で描かれた。6月27日(土)・28日(日)、静岡芸術劇場にて再演予定

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_9

『赤の自伝』アン・カーソン著 小磯洋光訳 書肆侃侃房/2,420円

5 舞台は古代から20世紀へ。10代のクィアカップルの旅路を詩と小説の融合形式で綴る

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_10

『メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち』シオドラ・ゴス著 鈴木 潤、原島文世ほか訳 早川書房/2,530円

6 ヴィクトリア朝のロンドン。ジキルの娘は奇怪なハイドの娘たちとともに大きな謎に迫る

鴻巣友季子プロフィール画像
翻訳家・文芸評論家鴻巣友季子

1963年、東京都生まれ。訳書にマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』(ともに新潮文庫)、マーガレット・アトウッド『誓願』(早川書房)など。著書に『小説、この小さきもの』(朝日新聞出版)など。

北村紗衣プロフィール画像
武蔵大学人文学部 英語英米文化学科教授北村紗衣

1983年、北海道士別市生まれ。専門はシェイクスピア、舞台芸術史、フェミニスト批評。著書に『学校では教えてくれないシェイクスピア』(朝日出版社)など。近著は『素面のダブリン市民――ゆるふわアイルランド紀行』(書肆侃侃房)。

相馬千秋プロフィール画像
アートプロデューサー相馬千秋

ディレクターやキュレーターとして、あいちトリエンナーレ2019、シアターコモンズ(2017〜)、世界演劇祭テアター・デア・ヴェルト2023などを多数手がける。東京藝術大学大学院美術研究科准教授。

今、触れたいリトールド作品

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_11

7 『オデュッセイア』(上)

トロイア戦争の英雄オデュッセウスが帰郷するまでの間に、神の呪いによって魔物たちや妻の求婚者と対峙する長編叙事詩。今夏、クリストファー・ノーランが製作や監督を務めた映画も公開予定

ホメロス著  松平千秋訳 岩波文庫/1,155円

8 『ユリシーズ 1─12』

ユリシーズとはラテン語でオデュッセウスのこと。『オデュッセイア』と対応する主要人物たちが、ダブリンで過ごす1904年6月16日といういつもの一日を多彩な手法で描写

ジェイムズ・ジョイス著 柳瀬尚紀訳 河出書房新社/4,950円

9 『ペネロピアド 女たちのオデュッセイア』
『オデュッセイア』では端役的な女性たちの声を、英雄の妻ペネロペイアを主人公に再構築

マーガレット・アトウッド著 鴻巣友季子訳 角川文庫/1,078円

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_12

10 『嵐が丘』

19世紀初頭のイングランド。裕福な家の娘キャサリンと孤児のヒースクリフによる愛と憎しみが交錯する、ロマン主義文学の金字塔

エミリー・ブロンテ著 鴻巣友季子訳 新潮文庫/1,155円

11 映画『嵐が丘』

今春公開のフェネル監督の『嵐が丘』は原作をダイナミックに改変。「フェネルは本来、センセーショナルな映画を撮りたい監督。今作はその思いが全体に込められています」と北村さん。主演はマーゴット・ロビー

エメラルド・フェネル監督・脚本 配給:東和ピクチャーズ、東宝

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_13

12 『シェイクスピア全集20 じゃじゃ馬馴らし』
劇聖の初期の代表的喜劇。跳ねっ返りの娘キャタリーナに求婚するペトルーチオは、結婚を承諾させるため、食べさせないなどの強引な方法で口説く

ウィリアム・シェイクスピア著 松岡和子訳 ちくま文庫/968円

13 『語りなおしシェイクスピア3 じゃじゃ馬ならし ヴィネガー・ガール』
率直さが仇となり、大学退学後に実家で悲観的に過ごすケイト。科学者の父から、外国人の優秀な研究助手の永住権のため彼との結婚を持ちかけられる。形だけの結婚のはずが……。性差別的な元ネタをリトールドした長編小説

アン・タイラー著 鈴木 潤訳 集英社/2,970円

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_14

14 『ハックルベリー・フィンの冒けん』
19世紀半ばのアメリカ。ワトソン家の養子となったハックだが実父に拉致される。脱出先でワトソン家の黒人奴隷ジムと再会するが、ジムは売られる寸前で逃げてきたのだった。ミシシッピー川を下る二人の逃亡劇が始まる

マーク・トウェイン著 柴田元幸訳 研究社/3,080円

15 『ジェイムズ』
名作をジム(ジェイムズ)の視点から語り直す。心躍る冒険が、逆の視点では、家族を取り戻して奴隷制を廃止した州を目指すジムの過酷な旅へと変化

パーシヴァル・エヴェレット著 木原善彦訳 河出書房新社/2,750円

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_15

16 『バッカイ- バッコスに憑かれた女たち』
古代ギリシャに成立。亡母の姉妹の息子ペンテウスと対立するディオニューソス(バッコス)。彼が狂気に陥らせた姉妹をペンテウスがのぞき見していると、ディオニューソスは彼女たちに告げ口。姉妹の怒りを買い悲劇が起こる

エウリーピデース著 逸身喜一郎訳 岩波文庫/品切れ

17  『バッコスの信女―ホルスタインの雌』
主婦や乳牛の霊魂の声から、人間と動物の間を見つめる音楽劇

市原佐都子著 白水社/2,420円

この先、この作品のリトールドが読みたい!

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_16

ハーパー・リー著 上岡伸雄訳 早川書房/3,960円

鴻巣さん『ものまね鳥を殺すのは ―アラバマ物語〔新訳版〕―』

1930年代、暴行で疑われたアフリカ系黒人青年を守ろうとする白人弁護士。アメリカに根強く残る人種差別にNOを突きつける名著。

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_17

ジェフリー・チョーサー著 池上忠弘監訳 悠書館/7,480円

北村さん『カンタベリ物語 共同新訳版』

イングランドのカンタベリー大聖堂に巡礼に訪れた騎士や料理人、法律家が、面白い小話を順に語っていく。14世紀に書かれた物語集。

『ハムネット』など、注目のリトールド作品の画像_18

阪倉篤義校訂 岩波文庫/550円

相馬さん『竹取物語』

竹の中から見つかり翁夫婦に育てられたかぐや姫。求婚する公達を無理難題で袖にする彼女は、実は月の都人だった。日本最古の物語。

証言:アートとRetold

女性作家が本流で正当に評価される未来へ

アート界における女性アーティストの捉え方の変化をさかのぼると、まず近代以降、日本では女性の美術家が女性だからという理由で、あまり評価されなくなりました。理由は、近代に教育制度や家族制度が作られる中で、アートの仕事は男性のものと振り分けられたからです。それによって女性が優秀な美術家になる道は閉ざされた。戦後に男女平等が法制化され、ようやく女性作家が注目を浴びるようになりました。ところがそのときは、あくまで美術の本流の外側で、女性らしい感性とか、個人的に創造的な表現ができるという評価だったんです。それは一瞬褒め言葉に聞こえても、美術史の中で重視される価値とは別枠だと考えられました。このようにいったん注目が集まっても、消費して飽きられるので持続しない。その構図は現代まで続き、女性作家は美術史や表現の歴史の主役にはなかなかなれないまま今日まで来ています。

最近は女性作家や作品に焦点を当てた展覧会が好評です。昨秋から行われている『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』展に、私も学術協力をしました。女性作家がほとんど表に出ていなかった60〜70年代に、コンセプチュアルアートを創作した木下佳通代の展覧会もありました。こういった隠れた女性作家や作品のリトールドが盛んなのは、女性が自分たちの文化を知ることに抵抗を持たず、意義を見出すようになったことが大きい。長い間芸術は生活や日常から切り離された、普遍的な価値を持つものと理解されてきたので、アート界の男性目線では、日常と消費は女性や子どものもので、芸術や生産及び創作は男のものという棲み分けがありました。でも男性作家も日常のものを作品にしているのにそういう評価にならないのは変です。ジェンダーに関係なく、美術史の文脈で正当に評価されてほしい。

美術館の学芸員は自館のコレクションをすべて把握しているわけではありません。コレクションから再度その時代の作品の見方を立ち上げる仕事は今各館で行われているはずで、その際に女性作家の作品が掘り出されることが多い。『アンチ・アクション』展でも同様です。美術史ではいなかったことにされている女性作家ですが、当時は展覧会に何度も出展していたので、展示しているのは有名な作品です。これを機会に捉え直され再び知られるようになるかもしれません。

また、女性作家自身がリトールドしているのも重要な動きです。長島有里枝は90年代に自作が"女の子写真"という枠にはめられたことを問題にし、『「僕ら」の「女の子写真」から わたしたちのガーリーフォトへ』を出版するなど、枠組みを解体して新しい物語を作り出そうと挑戦しています。岡田裕子は亡き女性美術家の井戸端会議を自分の声で再現する新作インスタレーションを発表しました。リトールドが女性作家側から行われる状況は、今日のアート界の変化を示している。今度こそ消費だけで終わってほしくないと強く思っています。

『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』

長島有里枝著 大福書林/3,630円

『「僕ら」の「女の子写真」からわたしたちのガーリーフォトへ』

『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』

豊田市美術館ほか編著 青幻舎/3,630円

『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』

中嶋 泉プロフィール画像
大阪大学大学院 人文学研究科准教授中嶋 泉

一橋大学大学院言語社会研究科美術史専攻博士課程後期単位取得満期退学。博士(学術)。首都大学東京人文科学研究科准教授などを経て現職。『アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦』展(東京国立近代美術館ほか)に学術協力。

証言:BLとRetold

「二次創作」と増殖するリトールド

ここではボーイズラブ(BL)という言葉を、「女性が女性に向けて描く、男性同士の恋愛・性愛の物語」という広義の意味で使います。このジャンルは日本や英米圏で70年代に同時多発的に誕生しました。日本では、竹宮惠子『風と木の詩』をはじめ、記念碑的な少女マンガが次々に発表されました。さらに80年代には、アマチュアの女性たちによって、既存作品(少年マンガなど)の「二次創作」の形で男同士の性愛を描く同人誌が爆発的に増加し、現在まで流行しています。また日本の影響を受けつつ独自の発展を遂げたタイは、BLドラマの先進国として注目されています。BLや、BL的な二次創作は、フェミニズムと関係があるのかとよく聞かれますが、私としては「人による」としか言えません。実際、愛好家の多くは、フェミニズムはもちろん、LGBTQ運動についてもあまり関心がないように思います。ただし、BLを楽しむ理由として「異性愛ものは、現実を念頭に置いてしまって楽しめない」と語る人が一定数見られますので、これは自覚がなくともフェミニズムに近しい現実認識かもしれません。

さて、BLを論じるとき、二次創作、すなわち既存作品を「リトールド」するという営みを切り離しては考えられません。というのも、プロのBL作家の大半は、二次創作で注目を集め、スカウトされるという経緯でデビューしているからです。00年代以降は、他ジャンルでも活躍する方が目立って増えました。マンガではよしながふみ、雲田はるこ、ヤマシタトモコら、枚挙にいとまがありません。このように発表の場を広げていった人々の中でも、二次創作をまたやりたいという方は少なくありません。

BL的な二次創作においては、既存作品の中で描かれていない(場合によってはタブーとされている)男同士の「カップリング」を、読者が妄想してリトールドします。たとえば、ある作品を読み「この二人、デキてる?」と思う。そのカップリングについての、言うなれば"学説"を物語にして発表する。二次創作における"学説"については、よしながふみが、対談集『あのひととここだけのおしゃべり』で熱弁しています。また作品にしなくとも「この子たち、ここでデートしてそう!」などの「語り直し」が同好の士の間では日常的に行われています。

同人誌など非商業作品は、描き手と読み手の敷居が低いことが、最も注目すべき部分だと思います。さらに二次創作は1ページのイラストや短文でも成り立ちますから、誰でもすぐに描き手になれます。表現のプロから見たら稚拙でしょうが、下手でも発表できる、発表ペースも自由、というのが同人誌のいいところです。pixivをのぞけば、手放しで「うまい」と言えない作品もたくさんあります。でもそれを見ると「あ、私もやっていいかも」と思えます。そしてまた新しい描き手が現れ、女性たちのリトールドが増殖していくのです。

『『グラップラー刃牙』はBLではないかと1日30時間300日考えた乙女の記録ッッ』

金田淳子著 河出書房新社/1,760円

『『グラップラー刃牙』はBLではないかと1日30時間300日考えた乙女の記録ッッ』

『よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり』

よしながふみ著 白泉社文庫/869円

『よしながふみ対談集 あのひととここだけのおしゃべり』

金田淳子プロフィール画像
ボーイズラブ研究家金田淳子

1973年生まれ。在野武将。社会学修士。BL、同人誌関係の共著に、佐藤健二・吉見俊哉編著『文化の社会学』(有斐閣)、二村ヒトシ・岡田 育・金田淳子『オトコのカラダはキモチいい』(メディアファクトリー)などがある。