ネットに埋もれない文字と絵、筆記具を選ぶところから始まる時間。手で書く行為は、生成AIとは真逆のアウトプットだ。その非効率でオリジナルな営みを愛したい

杏さんに聞いた、手で書く気持ちと書き残す日々のこと

ネットに埋もれない文字と絵、筆記具を選ぶところから始まる時間。手で書く行為は、生成AIとは真逆のアウトプットだ。その非効率でオリジナルな営みを愛したい

杏さんから届いた、パリからの書き下ろし絵日記

杏さんに聞いた、手で書く気持ちと書き残すの画像_1

ペーパーウエイト¥2,420/HIGHTIDE(アタシェ)

INTERVIEW WITH 杏さん

杏

教えてください、手で書く気持ちと書き残す日々のこと

杏さんがこのたびSPURのために書き下ろしてくれた一枚の「絵日記」もまた、随分とアナログな方法で届けられた。まず、杏さんとスタッフがパリの街で待ち合わせをして原稿を受け取り、丁寧に梱包して航空便の窓口で発送。3日後に日本に到着し、配達やアルバイトの方の手を渡って、撮影スタジオへ。スキャンデータを指先ひとつでメールする一瞬の出来事とは訳が違う。書類封筒の中には「はる〴〵海をこえて 無事届きますように!」と愛らしい一筆箋にしたためて添えられていた。

パリで暮らす杏さんが大切にする「手書き」の肉感とその時間

──この原稿は、どこでどんなふうに書いてくださったのですか?

「自宅のキッチンで書きました。まずは真っ白いコピー紙に、何を書こうかな、みたいな感じで。犬の話を書こうかとか、旅のことも書いてもいいなとか考えながら、何パターンかペンで下書きをしてみました。文房具は家のそこここにあるので……今回はそうだ、画用紙に万年筆で書いたんだ。細かな字は同じ色のインクのボールペンで、色は色鉛筆で塗りました」

──お子さんと綴る旅日記のエピソードが素敵です。それぞれどんな一冊になりましたか?

「私は、何時の電車に乗ったとか、ホテルはどこに泊まって、どんなお店におじゃましたとか。子たちが大人になって、同じ道のりを再現しようと思えばできる。そんな情報を書き残しつつ。あとは、そのときの子どもの様子を書いたりしました。子どもにはノートを持ってきてね、というお願いは一切していないんですけど、やっぱりみんな持ってきていて、なにかを懸命に残そうとしていました。ちょっと特別感があってうれしいのだろうな、と感じましたね。チケットの半券を貼りつけたり、日本に帰ってきたら写真をシールプリントして、コラージュしてもいいかなと思っています」

──今は簡単に写真やムービーが撮れて、SNSに瞬時に残せる時代。けれど紙のノートなら、世界に一つだけの旅の記録が残ります。

「そうですね。やっぱり埋もれないですむところが、アナログな手書きの大きな利点だなと思っています。実はうちの子どもたちはまだ、デジタルデバイスをほとんど持っていないんです。キッズ用の電子書籍リーダーはあるけれど本しか読めなくて、動画も写真も見られないし、メールの送受信もできない。彼らには書くことしか手段がないという事情もあります」

──なるほど、家族のコミュニケーションツールは「手書き」がメインなんですね。

「はい。今朝一番にしたのは、壁にかかった家族共通のカレンダーに予定を書き込むこと。それから仕事で家を空けるときは子どもたち宛てにカードを書きます。最初は3人それぞれに、1日3枚ずつ書き残していたんですけれど、たとえば10日間だと30枚、20日間だと60枚必要になって書くことも尽きてしまうので(笑)。最近は1日1枚、封筒の中からくじ引きみたいに取り出して読んでもらっています。

子どもたちはフランスの学校に通い、日本語教育を受けてないので、私の書くものが数少ない日本語のソース。わからない漢字も多いと思うのですが、やっぱり自分自身に宛てたメッセージだとなんとかして読もうとするんですよね。それに子ども同士も、喧嘩したときに怒っていることを紙に書いています。思いの丈を怒りにまかせて書いていたりして。それを見ると、日本語で気持ちを書いて整理しているのかな、と思います。きれいな字じゃなくて、感情がこもっているのも可愛くて、全部とっておきたくなりますね。

──杏さん自身にも、今まで心に残る「書き文字」の思い出があるでしょうか。

「亡くなった祖父と子どもの頃交わした手紙は、箱に入れて大切にしています。おじいちゃんの字なので、達筆でよく読めなかったんですよね。けれど今になってだんだんと読めるようになりました。旅先の絵はがきや、色褪せてきた紙やインクを見ると、タイムスリップするような気持ちになります。新たに手に入れられるものではない、かけがえのない思い出です」

──そうした記憶を重ねて、日常の何げない手書きのやりとりを大切にされているのですね。

「お礼状など、あまり書き込みすぎずに感謝の気持ちを伝えたいときは、必ず手書きで。定型文的な内容になるものこそ筆の走りや、万年筆の書き終わりのインクの溜まりなどにも体温を感じられるというか。書いたそのときの雰囲気や空気を伝える肉感がある気がします」

──杏さんの手書きのメッセージには、まさにそのぬくもりがこもっていました。

「手紙だけでなく、手書きのものには、相手や対象について書く時間の分だけ見る、考えるという手間がかかるんですよね。たとえば写経をしたことがあるのですが、普段書かない字を何度も書くことによって『この漢字と仲よくなれてきたかも』って感じたり、イラストでも電子レンジをスケッチして、『こんなに電子レンジのこと見たことなかったな』って思ったり。手で書くことには、日常で無意識に使っているものとの新たな関係性の結び直しみたいな側面があるのかもしれません。そういう意味では、なんてことのないものを手で書くような心の余裕は、普段から持っていたいなと思います」

杏プロフィール画像

1986年、東京都生まれ。モデル・俳優のほかナレーターや声優など多彩な活躍を続ける。2022年より日本とパリの2拠点生活を開始。この春、エッセイ集『杏のとことこパリ子連れ旅』(ポプラ社)、『杏のパリ細うで繁盛記』(新潮社)を2冊同時刊行。

【つづる】

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創業は江戸時代。文豪も愛用した老舗の原稿用紙。B5判200字原稿用紙¥550/相馬屋源四郎商店 1924年に発表された万年筆の名品「マイスターシュテュック」。万年筆¥195,800・インクボトル¥4,950/モンブラン お客様サポート(モンブラン) メゾンを象徴するトリオンフモノグラム。ノートカバー¥70,400・ノート¥8,800(予定価格)/セリーヌ ジャパン(セリーヌ) 

「君はインク瓶の中に糸ミミズを飼っているんじゃないのか」

と言われるほど、だらしなく続いた字を書くせいか、万年筆も書き味の硬い細字用は全く駄目である。大きな、やわらかい文字を書く人で、使い込んで使い込んでもうそろそろ捨てようかというほど太くなったのを持っておいでの方をみつけると、、泣き落し、ありとあらゆる手段を使って、せしめてしまう。使わないのは色仕掛けだけである。

向田邦子『無名仮名人名簿』「縦の会」

向田邦子の"悪筆"ぶりは、「嫉妬」と書いたはずの肉筆原稿がシナリオで「猿股」と印刷された、というユーモラスな逸話を持つほど。現存する原稿を見れば、さらりと曲線的に流れる筆跡に人柄がにじむ。多忙な執筆の日々、明るさとほの暗さのある独自の世界を綴った彼女を思いながら、自分の言葉と文字をクラシカルな筆記具とともに育ててみては。

『無名仮名人名簿』 向田邦子著(文春文庫/781円) 週刊連載をまとめた1980年刊行のエッセイ集。当時彼女は50歳、売れっ子脚本家として活躍し、直木賞を受賞。亡くなる1年前のことだった。

【しるす】

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(上・右から)空色・赤のサインペン各¥110・ノート¥770・ミニノートカバー¥2,200/kakimori 日記専門店のオリジナル「月 日」スタンプ¥990/日記屋 月日 シャープペンシル¥7,150/世界の筆記具 ペンハウス(カヴェコ) (下・右から)記録用にアイコンがついた日記帳ノート¥550/日記屋 月日 鉛筆¥550/銀座 伊東屋 本店(ブラックウィング) ペン¥2,200/kakimori 用途に合わせレイアウトされたスタイルノートブック各¥396/渋谷 ロフト(ラコニック)

ネット以前のわたしの生活が今と極端にちがっていたというのではない。でもあのころ世界は一つしかなくて、すべてのものがそこにあった。ドミンゴのブログは今まで読んだどのブログよりも素晴らしかったけれど、それにアクセスするためには彼の家まで車で行って、生身の彼から直接それを聞くしかなかった。しかも検索で彼にたどり着くことはほぼ不可能だ。彼を見つけることができたのは、ただの偶然だった。

ミランダ・ジュライ『あなたを選んでくれるもの』岸本佐知子訳

ミランダ・ジュライがキューバ移民であるドミンゴの自宅で目を奪われたのは、壁に貼られたカレンダー。マスの一つひとつに、彼の人生が手書きでメモされていた。デジタルの波にいつか埋もれてしまうかもしれない、リアルな日々の記録だ。

『あなたを選んでくれるもの』  ミランダ・ジュライ著 岸本佐知子訳(新潮社/3,080円) 2015年刊行。著者がフリーペーパーに「売ります」の広告を出す人々を訪ねたインタビュー集。

【したためる】

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(モデル)マルチファンクションペン¥5,500/ニューウェルブランズ・ジャパン(パーカー) 縦書き便箋¥440(伊東屋オリジナル)・(机上)カード¥198・封筒¥132(ともにグムンド)・ 縦型封筒¥374(伊東屋オリジナル)/銀座 伊東屋 本店 横書きレターセット(便箋20枚・封筒5枚)¥2,750/kakimori ライティングデスク¥26,500/アンティーク山本商店 その他/スタイリスト私物

アロマンシュ、一九〇七年八月一日木曜日 

わたしの好きなやさしい《メ》

いつも楽しく遊んでいます。勉強もちゃんとしています。きのうマダム・オルノワとトラシイをまわりました、とてもおもしろかった。二頭の馬を使って畑をたがやしているお百姓さんを見ました。それから道のそばで草を食べているきれいなかわいい山羊も見ました。

やさしい《メ》からだいぶ長いあいだ手紙もらっていません。書いてほしいなあ。

わたしは毎日ポーランド語の本を読んでいます。だいぶわかるようになったけれど、むずかしいです。

アンリエットによろしくいってね。

わたし《メ》が大好き。  イレーヌ

マリー⇆イレーヌ・キュリー 『母と娘の手紙』西川祐子訳

放射性元素の発見者マリー・キュリー(1867-1934)とその長女イレーヌ・キュリー(1897-1956)はともに物理化学の道を歩んだ。イレーヌが7歳のときからマリーの死までの30年間、母娘は手紙でやりとりを残している。家族の成長と別離、戦争、科学の進歩をうかがわせる行間、重なる歳月に胸を打たれ、この世でたったひとりに宛てて書く言葉の尊さを思う。

『母と娘の手紙』 マリー⇆イレーヌ・キュリー著 西川祐子訳(人文書院/品切れ) マリー・キュリーと長女イレーヌ・キュリーの往復書簡。イレーヌは生涯、母のことを親愛を込めて「Mé《メ》」と呼んだ。

【えがく】

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(上・右から)マルチカラーの線が引ける。ブロック型クレヨン各¥1,650/HIGHTIDE(unto) ガラスペン¥7,700/銀座 伊東屋 本店(川西硝子) 何十色のバリエーションがある。万年筆用カラーインク¥3,630/ペーパーツリー(Tom’s Studio) スタンダードクロッキー B5 ¥792・A4 ¥858/世界堂本店(マルマン) (下)水溶性のパステルで、水彩絵の具のように使える。パステル各¥484/銀座 伊東屋 本店(カランダッシュ) その他/スタイリスト私物

削った鉛筆の果てしなく

尖った先端を

試してみよう。

緑 — ぬくもりのある、心地よい光

赤紫 — アステカ。ノパールサボテンの

 古い血のトラパリ(*1)。

 最も活気のある昔からの色。

 モレ(*2)の、散りゆく

   葉の色

 狂気、病気、恐怖

 太陽と喜びの一部

 電気と純粋な愛。

 何もかも黒くない—本当に何もかも。

フリーダ・カーロ『フリーダ・カーロの日記— 新たなまなざし — 』星野由美・細野 豊訳

(註)*1 トラパリ:アステカ帝国で使われていた染料。 *2 モレ:メキシコ料理、肉の唐辛子・チョコレート煮込み。

画家フリーダ・カーロは、没年の47歳に至る人生最後の10年間を、絵と文による日記に残した。ページには多彩な色と詩のような言葉が躍る。これは彼女の魂を映す鏡だ。私たちの日常にも、創造力と感性を自由に放つ白いスケッチブックが必要ではないだろうか。

『フリーダ・カーロの日記 — 新たなまなざし — 』 フリーダ・カーロ著 星野由美・細野 豊訳(冨山房インターナショナル/8,800円) 引用は写真の右ページ内上段部分。文字が色分けされて書かれている。