【パラアスリートが見つめる未来 vol.07】パラアルペンスキー/本堂杏実さん

ラグビーで培った経験値を武器に。急斜面を時速100㎞で滑り降りる!

SPUR10月号 本堂杏実

生まれつき左手の指がないことをものともせず、5歳から大学生まで健常者チームでラグビーを続けた本堂杏実選手。全国大会優勝も成し遂げるほどの実力者だった彼女が、パラアルペンスキーの世界に飛び込んだのは大学2年のとき。

「パラリンピックの存在はもちろん知っていましたが、昔から健常者と一緒にラグビーや体操、ボクシングなど手を使う競技を当たり前のようにやってきたので自分に左手の指がないという意識がまったくなくて。大学の関係者にいくつかパラの競技を打診されて、子どもの頃に家族で親しんだスキーを選びました。正直、ラグビーでさらに上を目指そうと大学に入学をしたので転向当初は葛藤がありましたが、初めてのパラスキー国際レースで出会った義足や車いすのアスリートたちの疾走感のある力強いレースを見て『私もこの世界で戦ってみたい、ここで一番になりたい!』と思いました。そこがスキーヤーとしての原点ですね」

スキーとラグビーでは競技性において重ならない、いわば一からの挑戦かと思いきや、ラグビーでの経験が武器になっている。

「高速滑走時には、スピードに乗るための低い姿勢であるクローチングが求められるのですが、ラグビーで培った重心を落とした低いタックルの姿勢がしっかりと活きています。スピードへの恐怖心がないのも自分の強み。急斜面を時速100kmほどで滑り降りるスピード系の種目は、初めは腰が引けてしまう選手が多い中、私は最初から大丈夫でした。やっぱり私、ネジが1本ぶっ飛んでいるのかも(笑)。そういうときはアドレナリンがたくさん出て、滑っていると気持ちがどんどん上がっていきます! パラアルペンスキーは、立位、座位、視覚障がいという3つのカテゴリーに分けられますが、滑るのはみんな同じコースなんです。異なった障がいのある選手たちが、同じフィールドで競い合えるのは、この競技の面白さだと思います」

SPUR10月号 本堂杏実
©WIN AGENT Inc.

現在、彼女は2026年に開催される、ミラノ・コルティナダンペッツォパラリンピックでメダル獲得を目指し、夏季トレーニングに励んでいる最中だ。

「今までのアスリート人生を振り返ると、両親が私を特別扱いせずに育ててくれたことが何よりも大きいと感じます。私がチャレンジしたいと思ったスポーツには、障がいの有無に関係なく挑戦させてくれました。健常者の男の子たちと同じチームでラグビーをプレーした原体験は大きいと思います。だからこそ、注目度の高いパラリンピックで活躍をして、頑張っている姿をたくさんの人に見てもらいたい。これまで自分のことを支えてくれた方々にメダルという形でいつか恩返しがしたいです」

本堂杏実プロフィール画像
本堂杏実

ほんどう あんみ●1997年1月2日、埼玉県生まれ。「先天性全左手指欠損」の障がいがありながらも、4歳の頃に父親の影響で始めたラグビーでは、18歳以下の日本選抜に選出されるほどの活躍を見せる。その後、日本体育大学2年時にパラアルペンスキーへの挑戦を決め、世界大会に出場し始めるとすぐに頭角を現した。パラリンピックには2018年平昌、2022年北京の2大会に連続出場を果たし、北京大会では出場した5種目すべての競技で入賞を遂げた。現在は、株式会社コーセーに所属。

本堂さんを読み解く3つのS

Society

パラスポーツを始めてからさまざまな人と関わるようになり、街で困っている人を見かけたら気負わず、声をかけられるようになりました。たとえば、白杖を持って困っている人がいたら「お手伝いできることはないですか?」とひと言声をかけてみることもあります。

Sleep

寝ることが大好きなので、大学院では睡眠について研究をしていました。遠征の際には抱いて寝ると安心できるぬいぐるみとマイ枕を必ず持参して、安眠できるように周辺環境を整えます。やはり、しっかりと休息をとることで、最高のパフォーマンスにつながると実感しています。

Smile

姪っ子と甥っ子と一緒に遊ぶことが、何よりも楽しいです。姉からは私のほうが育児をしていると言われることも(笑)。時間が合えば、2週間に1回は会っています。遠征先でうまくいかないときは二人の動画を見て、元気をもらい、気持ちを切り替えることもあります。

 

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