独身を貫くレオナルド・ディカプリオの映画人生

レオナルド・ディカプリオはハリウッドの王様だ。スター俳優はほかにもいるが、彼の特別な点は、派手なアクションやシリーズものではなく、重厚なドラマ映画をヒットさせつづけることにある。最新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』(2023年)にしても、3時間半にわたるスローペースな歴史劇でありながら北米の若者を動員してみせている。 

レオナルド・ディカプリオ
photo:Getty Images

ゴシップ方面では「25歳以上厳禁ルール」説がネタ化してもいる。独身を貫くレオナルドは現在48歳のアラフィフだが、デートする相手は20代前半のモデルばかりなためだ。米国だと「レオにとってはもうセクシーじゃない」と書かれたアラサー記念の誕生日ケーキが流行するほどのジョークになっている(補足すると、彼と交際が噂された頃のリアーナとジジ・ハディッドは26を超えていた)。 

絶世の美少年の「タイタニック症候群」

レオナルド・ディカプリオ
photo:Getty Images

1974年、ドイツ系イタリア移民の両親のもとレオナルド・ウィルヘルム・ディカプリオが米カルフォルニア州LAで生まれた。その地域は、薬や大麻などの売人がはびこる治安の悪いところだった。同級生から「がいこつ」とののしられていた少年時代のレオナルドは、殴られつづける日々を送りながら俳優になる夢を抱いていたという。ただし、パンクなモヒカン頭だったためにオーディションはからきし駄目。いわゆる美少年らしい髪型にしたことで仕事が増えていくと才能が開花し、『ボーイズ・ライフ』(1993年)にて名優ロバート・デ・ニーロに支持され、ジョニー・デップの弟役アーニーを演じた『ギルバート・グレイプ』(同年)によって19歳の若さでアカデミー賞候補となった。 

『ロミオ+ジュリエット』(1996年)、そして当時史上もっともヒットした映画となった 『タイタニック』(1997年)に主演したことで、レオナルドはハリウッドの王子様になった。絶世の美少年として世界中のファンから追いかけ回される「レオフィーバー」を起こしたのだ。この狂騒は、彼を「タイタニック後症候群」に陥れてしまった。空港で女の子に足を掴まれてやめさせようとしても離してもらえなかった瞬間、こうよぎったのだという。「有名になると、誰もがあなたと話したがるが、誰もあなたの言うことに耳を傾けようとはしない」。 

王子様から王様へ

レオナルド・ディカプリオ
photo:Getty Images

セレブリティではなく俳優になりたかったレオナルドは、ファンの熱狂に恐怖を感じ、映画を休んだ。当時次々オファーされた大役......『アメリカン・サイコ』(2000年)も『スタ ー・ウォーズ エピソード2/クローンの攻撃』(2002年)も『スパイダーマン』(2002年)も、すべて断った。 

王子が王になったのはちょうどこの頃だ。彼を「キング」と呼ぶマネージャーによると、業界の大物・故ルー・ワッサーマンが助言してきたのだという。「暗い部屋でだけ会えるようにしなさい」。言い換えれば「映画館の暗闇のなかでしか人々が見ることができない存在にせよ」ということだ。こうして、いたずら好きとして知られた青年期から一転、プライベートを秘匿する神秘的なスーパースター時代がはじまった。

レオナルドは、とにもかくにも映画をつくりつづけたかったのだ。さいわい、『タイタニック』のおかげで、商業的にリスキーな企画にも予算を与えられる立場になっていた。ここから筋肉を増量して挑んだ『ギャング・オブ・ニューヨーク』(2002年)を皮切りにはじまったのが、今なおつづく重厚ドラマ街道である。『ロミオ+ジュリエット』のバズ・ラーマンいわく「見目麗しい役」への拒絶が強かったというが、それも同監督による『華麗なるギャツビー』(2013年)でハンサムな成り上がりを演じることによって克服した。 

映画と自然に捧げた人生

もう一つの生きる道と出会ったのも「タイタニック症候群」の頃だった。俳優のほかに海洋生物学者になることも夢だったこともあり、大物政治家のアル・ゴアとの会談を果たし、世界を飛びかう環境活動家となったのだ。こうした自然保護意識が活かされた映画『レヴェナント: 蘇えりし者』(2015年)ではアカデミー賞主演男優賞にも輝いている。 

レオナルドによると、生存競争の激しいハリウッドでプライベートを秘匿して生きるかたわら、自然にまつわる挑戦が新しい出会いや発見を与えてくれている。実際、彼は大の冒険好きでもある。アフリカの海でサメに噛みつかれたこと、ロシア行きの飛行機のエンジンが爆発したこと、スカイダイビング中にパラシュートが故障したことなど、九死に一生を得たエピソードにも事欠かない。

近ごろ恋人ばかり注目されているのも、ある面、映画と自然に人生を捧げた結果かもしれない。ほぼ家に帰らない生活が恋愛に不向きなのだと語っていた30代当時、彼にとっての理想の妻とは「自分が突然アラスカ旅行にいっても気にしない人」だった。加えて、大衆が 「暗闇」の外で見られる派手な情報はデートくらいしかないため、それがより目立つこともあるだろう。 

少なくとも確かなのは、レオナルドが映画をつくりつづけているということだ。「タイタニック症候群」後の10年で主演した映画は12本におよぶ。新作『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』後にもスコセッシ監督とタッグを組む予定だ。ハリウッドの王は、その身を映画にささげているから王なのだ。『J・エドガー』(2011年)の巨匠クリント・イーストウッドの言葉は、簡潔にして完璧かもしれない。 「何故レオナルド・ディカプリオは素晴らしい俳優なのか?  俳優であることを楽しんでいるからだ」。

辰己JUNKプロフィール画像
辰己JUNK

セレブリティや音楽、映画、ドラマなど、アメリカのポップカルチャー情報をメディアに多数寄稿。著書に『アメリカン・セレブリティーズ』(スモール出版)

記事一覧を見る

FEATURE
HELLO...!