2024年に刊行された写真集『I’m So Happy You Are Here: Japanese Women Photographers from the 1950s to Now』に基づいた展覧会で、フランス・アルル国際写真祭での展示を皮切りに、世界を巡回してきた。日本での開催にあたり作家や展示内容を拡大し、30名の写真家の作品を紹介している。文筆家の伊藤亜和さんが訪れ、作家との対話を通して感じたことを聞いた。
第1章 小松浩子さん/空間にそれぞれ違う“時間”を立ち上げる
写真から感じ取るものは多いけれど、自身にとって写真表現はまだハードルが高いと話す伊藤さん。まずは第1章『「写真」をめぐる冒険―想像力を解き放て!』のスペースへ。天井高6メートルという展示空間を大胆に使い、写真は平面で見るものという固定観念を覆した小松浩子さんの作品の前で足を止め、写真を空間全体に広げたインスタレーションのような展示意図について聞いてみた。
小松浩子 <繁殖模倣変換器> 2026年
小松(敬称略・以下同) 「私の作品は展示のための空間を写真で埋め尽くすという手法です。使っているのはゼラチンシルバープリントで、すべて自宅の暗室で自分で焼いています。今回は幅1メートルのロールで、長さは20メートルと30メートルのものを合わせて10本で構成しました」
伊藤「 この空間の中で、圧巻です。何年ぐらいかけて撮影しているのでしょうか?」
小松 「2008年から ずっと撮りためていますね。いつも工業地帯や資材置き場、廃材置き場を訪れて撮影しています」
伊藤 「その積み重ねがあるから、できるんですね。ところで、写真で表現することの意味はどんなところに感じていますか」
小松 「工事現場や資材置き場は好きな場所ではありますが、それを再現したいわけではないんです。人の目は常に動いていて、風景を静止させてみることができません。一方で、カメラのレンズは瞬時に止めることができます。しかし写真となって定着した風景も再び人がみると静止させられない。写真の面白さは、イメージでありながら物体でもある点にあると思っています。 また、プリントした写真を大量に重ねて構成していくことで、ひと目では捉えきれない流動的な空間を作れます。さらに立体的に設置すると、いろいろな時間が同時に混在する場が生まれる。そんなところに面白さを感じています」
第2章 岩根愛さん/ハワイと福島を結ぶ、見えない歴史を写す
「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa
第2章は『「記録と記憶」をめぐる冒険―目に見えないものに向かって』と題したコーナー。女性写真家たちが見つめ、記録してきた事象に目を向けながら展示を巡っていく。写真とは何でも撮れるようでいて、記録者の思いでどんなふうにも表現できる媒体。写真の背後にある見えない歴史や記憶にも、伊藤さんは強く惹かれていた。ハワイ移民のコミュニティを通して、ハワイと福島の関わりを記録した<KIPURA>のシリーズでも知られる岩根愛さんに話を聞いた。
伊藤 「ハワイのコミュニティと深く関わるようになったきっかけは何だったのでしょうか?」
岩根 「私はもともと音楽が好きで雑誌の撮影やミュージシャンのポートレートを撮っていました。アーティストの撮影でハワイにも行っていたのですが、日本人の歴史もハワイの土地のことも、全然勉強していなかったなと気がついて。2006年頃にハワイ移民の方々と知り合ったことをきっかけに学んでいきました」
伊藤 「ご縁があったんですね。今回の展示では作品を説明するキャプションはあまりないと思うのですが、鑑賞者にはどのように感じてほしいですか?」
岩根 「自分もそうだったのですが、ハワイに住む日系人の方々と知り合って、自分の過去につながることがたくさん見出されました。サトウキビ畑の写真があったと思いますが、サトウキビ労働者としてハワイに渡った日本人は、東日本では福島県の出身者が多かったと聞いています。そのように、キャプションがついていなかったとしても、知りたい人は調べて知って欲しいという思いもありますね。写真って、そこにあるものだけではなくて、違う時間が重なるときがある。自分はそこが魅力だと思っています」
第3章 澤田知子さん/セルフポートレートが問いかけるもの
伊藤さんが第3章のコーナーで足を止めたのは澤田知子さんの作品群。澤田さんは90年代に学生だった頃からセルフポートレートの手法を使い、内面と外見の関係性を世に問うている作家だ。今や携帯を一人1台持つ時代で自撮りも身近な文化になっているからこそ、そのコンセプトの強さに惹かれる。
伊藤 「98年に制作された、証明写真のような〈ID400〉と、それに続くお見合い写真をモチーフにした〈OMIAI♡〉の2作品は、どのような経緯で生まれたのでしょうか?」
澤田 「〈ID400〉は私の大学の卒業制作作品でデビュー作とも言えます。国際的な評価もいただけて、いまでも世界各地で展示する機会に恵まれています。〈OMIAI♡〉は〈ID400〉の展示がきっかけで制作しました。これだけ自分が写っている作品を並べていたら、さすがに気づかれると思っていたのに、実際には来場者の70%の人に気づかれなかったんです」
伊藤 「それは意外です」
澤田 「私も驚きました(笑)。内面と外見の関係性って自分が思っている以上に自分の知らない強さや魅力をもったものなのではないかと考えました。お見合い写真って日本の社会システムの中に浸透している写真ですし、自分のテーマに引用できると思い、制作しました」
伊藤 「澤田さんが被写体として出てらっしゃいますが、こんなにたくさんの女性像を出せることに感動しました。アイディアはどのように生まれるのでしょうか?」
澤田 「変装は即興なんです。キャラクターを演じているのではなく、こういう服を着ている人はこんな顔で、こんな髪型でと組み立てていく。自分の頭の中にあるステレオタイプな女性像が出てくるんです。でも面白いことに、見たことあるような人であるとか、友達に似ていると感じる人もいるようです」
伊藤 「確かに、その気持ちわかります。即興とは驚きです」
「まなざしの奇跡 日本女性写真家の冒険」展示風景 Photo by:Yuya Furukawa
伊藤 「自分を被写体に選んだきっかけはありますか?」
澤田 「セルフポートレートって世界的に古典的な手法なのですが、大学の写真の授業でセルフポートレイトを撮る課題が出たのが始めたきっかけでした。〈ID400〉では当初1000枚を目標にしていたのですが、300枚を超えたあたりで、そこまでの枚数は必要ないと感じ、400枚にしました。作品の説得力やわかりやすさで必要な枚数を決めています」
伊藤 「400枚は作品に必要な数だったんですね。いまは携帯も普及して、自撮りが普通になりました。私もときどき撮った写真を加工することがあるのですが、果たしてこれは本当に自分なのか?と思うことがあります。澤田さんは、外見を変えることを通じて、本来の自分から離れていくように感じることはありますか?」
澤田 「そうですね。たとえば、結婚式やデート、お葬式など、シーンによって洋服を変えますよね。その延長線上のような感じです。演じているように見えるかもしれませんが、私自身は変わらないんです。そもそも自分というのは、その人その人のそれぞれの自分というものがあって、その外見が変わることで周囲の反応が変わったり、それによって自分の気持ちが変わることもあります。存在自体は変わらないけど、外見によって変わる場合があるんです。色々な矛盾や関係性が外見と内面の中には含まれているけれど答えがまだ見つからないから、ずっと興味が尽きないんですよね」
鑑賞し終わって、伊藤亜和さんの視点 「一人ひとりの人生は銀河だった」
「出展者に共通するのは、日本女性写真家であるということだけです。一人ひとりの作家の個性や違いを感じることのほうが多かったです。“まなざし”という言葉ひとつをとっても、言葉の使い方そのものが違うというか。まなざしてくる人を差し返してくるような写真の力を感じます。
写真というと、これまでは1枚のプリントされたものをじっと見て、そこに意味や物語を見出さないといけないということを無意識にしてきた気がするのですが、小松浩子さんとお話しした際に、“違う時間が同時にそこに存在する”という新しい視点を得ることができました。
澤田知子さんの作品はセルフポートレートをたくさん並べるという手法に興味をひかれたのですが、話を聞くとすごく自分たちに身近なことだと思いました。現代においては、自分で自分を撮ることって、自分がどのような視線を他人から受けるかということも考えないといけないですよね。単純に自分の見た目だけで終わればいいのですが、他人に見られたことでその人の人生が変わることもあります。少し怖さも感じていたのですが、 澤田さんはそこは意外と朗らかに捉えられていたので救われた気がしました。自分ではない何かになりたいと思う人が多い中で、自分のそのままで楽しんでいくという姿勢を伺えたのが嬉しかったです。
岩根愛さんの作品にはただただ圧倒。自分にも色々なルーツがあるので、個人の人生や生きる様子を追って記録されている姿勢に心打たれました。人が集っているところを撮っていても、一人ひとりがどこから来て、どんな経緯で集まっているのか、そういう想像力をもてると思うんですよね。私も文章を書くうえで、周囲の人に話を聞いたりしますが、本当に一人ひとりの人生が銀河だなと日々思っています。
これまで私は、写真は光を焼き付け、目の前のものを忠実に記録するための手段だと考えがちでした。綺麗な景色を見たとき、その良さが人に伝わったらいいなと思って写真を撮ることがありますが、目の前の本物には敵わないと思ってしまいます。でも、ここで見た作品たちは、現実の再現以上の、あるいは全く異なる体験をさせてくれるものでした。写真は単に目の前のものを写しとるためだけにあるのではない。その表現の可能性の広さを改めて思い知らされた気がしました」